富士山、浜名湖、ひとりぼっち 21世紀も17歳
浜名湖畔のランニングコースは、冬の空気が澄み切った時には富士山が見える。
2017年始動。
元旦は最高の天気。朝のクリアな視界のうちにと、ランニングを第一優先していたのだけど、もたもたしていたら走り出しはお昼になってしまった。
午後からは空気が霞んでくるから富士山は無理かな、と思っていた。
でも半島をクリアしたら
見えたぞ!
半島の先の白いフェンスのところで、スマートフォンを最大ズームにして撮っているとどこからかオヤジが現れ話しかけてきた。ひと言モノ申しそうな風貌をしている。
こちらから挨拶をしたら、返礼は略させてもらう、そんな風に話がはじまった。
これがまた富士山語りおじさんで、この辺りは知る人ぞ知るポイントなんだぞと。
あんたは運がいい、朝はぼやけて見えなかったんだ。俺は磐田(ここより30KMぐらい富士山に近い)なんだけど、意外と見えないんだ。
浜名湖大橋(R1浜名バイパスで浜名湖と太平洋遠州灘を繋ぐ水路《今切口》にかかる大橋)から見える富士もいいですね、と僕がいうと。
うむ、今切から船で浜名湖に入っていくとな、雄大な富士がのしかかるように迫って来るんだ。あれは幻想的だぞ。
冬は水もきれい。
完璧な空
ビーチや港のこんな仕草は好き。しゃんと背筋が伸びたようなロープワークがたまらない。
次の半島をクリアすると
ショートコース10キロの折り返し地点。
翌1月2日も走った。元旦より霞んでいる。
走り終わった後、ワインを一本空けた。そしてまどろんでみたり、うろうろしてみたりして、日が暮れるまで滞在した。
月と金星の競演
そんな風に2017年元旦と二日を過ごした。ひとりぼっちで井戸の中へ潜るように。それだけだし、それだけでいい。
3日から井戸の外へ出た。
午前にお参りしたら知り合いがいて挨拶した。
お宮の参道にバンのカフェがあった。絵本や小物も売っている。
ホットコーヒー400円を2杯。僕の分と娘の分。好みのビター&ダークで美味しかったけど、娘は一口飲んだだけだった。
このカフェは大みそかの23時まで、隣の市の全国から集まった的屋が並ぶ超有名稲荷で営業していたのだけど、利権がらみで追い出されて路頭に迷ったという。その後ある筋に頼んで数時間後の元旦未明からこのお宮で営業を始めたという。
カフェのオーナーはもと教師で(後で聞いて納得)、地方新聞に載ったりもしたカフェだという。普段は道の駅で営業していると。なんだか学際の模擬店みたいだった。
こういったお店は的屋との共存は難しいだろうな。
午後は企画したちょっとしたイベントをしたら心が疲れた。イベント主催って立ち上げ時は張り切るんだけど、潮が引いて暗礁や露岩が現れ操船に苦労するように、だんだん面倒になっていていつも後悔するんだけど、終わってみるとやっぱりやって良かったと思う。
4日から普通に仕事をした。
比較的静かに順調に始まったのだけど、悪い流れに変わりかねない嫌な仕事を持ってきた人は丁重に断った。喰らいつかれた。早く帰れ、お門違いだ。
こんなコース
FLY SAFE
出口にたどり着ければいいな。
でもそれは、明日晴れたらいいな、そんな程度の希望。
昨日は美しかった
愛読書のロアルド・ダール「飛行士たちの話」が新訳となり装丁も一新されたという。
これが従来までの表紙で、これがなんともポップで意味深なイラストに変わった。
あざといな
これが第一印象。この色とりどりの飛行機たちの群れは、宮崎駿「紅の豚」のワンシーンを意識しているのは間違いない。というより、「紅の豚」自体がこの「飛行士たちの話」をリスペクトした作品なのであり、色とりどりの飛行機たちの群れというのは短編集「飛行士たちの話」の中の『彼らは年をとらない』というエピソードで描かれている。
未帰還のフィンの機が二日たって戻ってきた。いったい今まで何をやっていたんだ、フィンの話を聞くとまるで時空を彷徨っていたような、それこそ雲をつかむような摩訶不思議な話だった。
雲の中に迷い込んだ機がやっと雲の外へ出ると、長い飛行機の群れが列を成して飛んでいた。無数の新旧多種多様な色とりどりの飛行機たちで、乗っているのは死んでしまった航空兵たちだ。彼らは最後の飛行をしていて、それが幻想的な景色を作り出していた。
葬列なのである。
その葬列に吸い込まれるように加わるとフィンは不思議な力と光に包まれて、飛行機を操縦しているというより、勝手に飛行機が飛んでいるような状態になった。
そのうちに葬列は降下していき美しい草原に次々と降り立っていく。フィンの機も導かれるように下りていった。だがいつまで経っても着地しない・・・
フィンは気がつくと基地に下り立っていた。フィンの時間は1時間半しか経っていないのに、みんなは二日もどこへ行っていたんだと騒いでいる。
このシーンを「紅の豚」では空の墓場として、宮崎駿からロアルド・ダールへのリスペクトが感じられる描きかたをしていたのだ。
それを出汁に新訳の表紙が作られたのは間違いない。
でもこれはポジティブに捉えている。だがamazonのレビューによると新訳がどうしてもしっくりこないらしい。
どうしたもんだか。
ちなみにネイキッド&アフレイドに参加するとしたら、許される唯一の携行品としてこの「飛行士たちの話」を持っていきたいくらいに好きな短編集。
飛行士たちの話 -Over to you-
「ある老人の死」ついにその日がやってきた。崖からぶら下がった指先が離れる日だ。
「アフリカの物語」毒蛇によるおそろしい殺人の話
「簡単な任務」神さまへ通じる電話と痛み止めのモルヒネの悪夢のような彷徨い。
「マダムロゼット」
「カティ―ナ」心に刺さる、少女のたったひとりの最後の戦い
「昨日は美しかった」
「彼らは年をとらない」
「番犬に注意」水の硬度がキーになる。
「この子だけには」ダールの母への愛情と、母の愛の尊さを描いている。
「あなたに似た人」
以下amazonのレビューからの引用です。
手厳しい評価はつまりそれだけ愛されている作品だということ。
投稿者 Amazon カスタマー 投稿日 2016/9/14形式: 文庫彼らに年は取らせまい?
「彼らは年をとらない」ですよ。
新訳版は酷すぎで、なぜ前の侭で出してくれなかったのか。
他の話もパソコン翻訳機通したみたいに何が何やら頓珍漢な会話で、初めて読む人には何を言っているのか解らないでしょう。
緊張感や垣間見えるはずの乾いたユーモアも消えてしまいました。
「猛犬に注意」はラストでガックリ、ネットでも読める旧訳版の緊張感ある台詞が…
時々読み返してみたくなる本ですから購入したのですが、実家の倉庫に有るはずの旧訳版を探すことにします。
バスのベンチシートからドイツ製のスポーツカーへの道程
インフルエンザの予防接種に行ってきた。
効果は疑問視しているのだけど、感染予防措置は最低限の社会的責任ということで。
個人内科に予約して行ったのだけどやはりかなり待たされて、でもそれはいい。問題は自分勝手で公共性のない患者たち。
会社員風だったり主婦や子供らの感冒患者とおぼしき人々はマスクをしているのだが、老人たちは素面のものばかり。感冒患者でなければいいのだが、と危惧していたのだが・・・
隣の老婆が猛烈に咳をし出して止まらなくなった。
おいおい勘弁してくれよ、出ていけよ!ってもう手遅れか。風邪ではなく喘息かなにかなのかもしれないが、お願いだからマスクぐらいしてくれ。
風邪ごときで病院に行くと、余計なお土産をもらう羽目になるから避けているのだけど、義務として行ったインフルエンザの予防接種で、お土産もらってきたらもう何やってんだかわかりゃしない。
そんな無益な時間を小一時間ほど費やして医師の部屋に呼ばれた。
医師の机はきれいに整理されていて、PCと8センチほどの医師のマスコットフィギュアぐらいしか置いてない。
そしてその机は年季の入った、普及品ではあるがしっかりとした丁寧な作りの木製の机。歴史上の大先生などが使っていそうな、黒檀彫金錠前のような大げさなものではない。
ひょっとして医師が幼少のころからの学習机を愛用しているのかと感じた。
入室してきた50代とおぼしき医師に挨拶をしたあとに聞いてみた。ちなみにマスコットフィギュアには全く似ていない。
なおこの医師は恐ろしいぐらい注射の腕が良く昨年は驚いた覚えがある。そっぽ向いていたらチクっとも感じる間もなく終わっていた。それを伝えたら、それは注射針の性能のおかげですよと笑っていた。
この年季の入った机は何か由縁のあるものなのですか?
にっこりと笑った医師はこういった。
これは父の代から使っている机で、ほらこれも見てください。
そういった医師は対面の診察台のビニールシートを捲った。
これも父の代からで、父が手術台に使っていたものを脚を切って診察台にしているのですよ。
医師はとてもうれしそうに説明してくれて、会話が終わったころには注射は終わっていた。
小2の1学期まで在籍した岐阜の、長良小学校の同級生に開業医の息子がいた。
S君といい家も近く良く遊びに行った。RC構造の立派な自宅兼医院で立派な芝の庭があった。お父さんの院長はタコ入道のようで偉丈夫な印象がかすかに残っている。
僕が沖縄に転校してしばらくした後、S君の父親が亡くなったという知らせがきた。
岐阜市内からS君の家に帰るには、山の麓の終点の集合住宅前までバスに乗る。僕の家は終点のひとつ前。
S君と父が家へ帰るバスのベンチシートに並んで座って終点に着いたら、眠っていたと思った父親が事切れていたという。
そんなことってあっていいのか?
かなりショッキングな出来事だった。
それから40年経った。
この時にS君の自宅の前も通った。
おどろいたことにS君の自宅兼医院はそのまま残っており、医院は閉鎖されたままでドイツ製の好感の持てるスポーツカーが止まっていた。ひとり息子だったからおそらくS君のだろう。そしておそらく独身なのだろう。奇妙なくらい生活感のない家だった。
一方完全に山で道が潰える場所にある、これも良く連るんでいたY君の家は、おそろしいくらい立派な家に変わっていた。並みの稼ぎではないのが容易に分かる成功者の家だった。僕と同じ大学の文系学部に行ったところまでは聞いていた。
S君は勤務医か何かなのだろうか。ドイツ製のスポーツカーから察するに、地元の中小企業勤務ではないだろう。
どんな道を歩んできたのだろうか。
岐阜ハーフマラソン後に走ってきた僕はここにいる。だけど世界観がうまく掴めなくてドアをノックすることはできなかった。
親子2代の医師の机は、遠い記憶のS君とS医師の乗ったバスのベンチシートにつながって、先刻の非常識な老人へ怒りなんて、S君の失意に比べれるべくもない。
9 Points, 20,000 Dollars, and a Lot of Happiness
現代F1は、あまりに厳しくコントロールした結果、レーシングというより序列通りのパレードになってしまった。高度に洗練された、静かで安全で公平で配慮の届いたショーになったのだ。
技術的には高度に先鋭化されているのだが、リスクを抑えすぎたのだ。
我々がモーターレーシングに求めるのは、疾風怒濤の非現実の世界での百花繚乱、百花斉放、乾坤一擲の戦いであり、プロレスを観ているのではない。
結果としてF1ファンは現実逃避しノスタルジーに走る。運動エネルギーの爆発、発狂するアイルトン・セナ。
この映像はなかなか良く出来ていて、最後のジェームス・ハントのセリフがいい。
2017年来年は大きく規則を変更し、ラップタイムを向上させる目的であるという。
2017年は、F1にとって新しい始まりとなる。視覚的効果だけではなく、機械的・空力学的にも影響のある大幅な変更がマシンに加えられるからだ。
この規約変更による包括的な目標は、ラップタイムの5秒短縮であり、その結果、ピレリは幅の広いタイヤを供給し、マシンの空力学的表面に無数の変更が加えられることになった。
参考までに2016年今年の鈴鹿の映像を
高度に洗練された技術のおかげでラップタイム的には決して遅くないのだが、五感に訴えてこないから遅く感じてしまう。
参考
F1 DataWeb : 鈴鹿サーキットの結果[ドライバー別]
よるくまは泣かない おすすめ記事
当ブログはカテゴリー 少年が基軸となっており、時事ネタではなく純粋な記事としてアクセスが多かったものを、おすすめ記事としていくつかピックアップしました。
また プロフィールもご拝読いただけると、当ブログのベースが見えてくるかと思います。
過去と現在をリンクさせながら、たとえば芥川小説に出てくるような少年たちや、なかなかつり革に手が届かなかったころ、泣きたくても泣けなかったよるくまのような気持ちをイメージして書いたりしています。
意図的に一人称で構成し冗長にならないように書いているので、言葉足らずで読み手によっては読み難い文章かもしれません。
また 強く正しく生きるために では、いろんな生き方を模索したり論じています。
強く正しく生きるということは相反する真理と葛藤しながら、つまり自己矛盾との折り合いをつけながら、先の見えない綱渡りをするようなところがあります。
その折り合いのつけ方とでもいいましょうか。それを書いています。
慟哭するザンパノ
50歳になって会社辞めても大丈夫なんだろうか?いや大丈夫じゃないよね~ - 攻めは飛車角銀桂守りは金銀三枚
仕事がつまらないからと50歳過ぎで会社を辞めるのは危険すぎる - スネップ仙人が毒吐くよ
同年代として身に詰まされる話だけど、結局のところは成るようにしかならないから実のところはどうでもいい。
前者の将棋マンさんは、スキルが高いがゆえに閑職を得たのか、寛大な企業で引退への花道で閑職に置かれたのか、はたまた会社が追い出そうとしているのかは分からない。
大企業や役所などきちんと機能した大きな組織(もちろん硬直した組織の短所はあるだろう)に属していると、定年というゴールテープが見えてくると、役員でもない限りは前線からは戻され、トレーナーやご意見番的な閑職に置かれ、ある意味フラフラしていればいい。
僕の出身高校の同級生は地方公務員や地方信用金庫のような、ホワイトカラーマイルドヤンキーが多い。真面目にこつこつと長年勤めあげ、うつ病や不倫に悩んでみたり子供の教育にも執心してきた。現在彼らはエクセルで計算できる死ぬまでの予算計画に余念がない。FPの出番である。僕にいわせればファッキンプランナーだけど。
並行して天下り先のリサーチに余念がない。
僕にいわせれば糞だ。
一方の僕はスネップさんみたいなもんだ。同列に並べてんじゃねえ、って思われるかもしれませんがご無礼をお許し願いたい。
つまり僕は一人ブラック企業つまり自営のワークショップと、掛け持ちして夜じゅう新幹線を追っかけているからまあま稼いではいるが、いかんせん不安定だ。とにかく不安定だ。自由という鎖はとにかく重たい。
トンズラやバンザイする取引先やお客さんも珍しいことではないし、退職金や休業補償は一切ないしうつ病になっている余裕もないぐらいだから、エクセルで生涯計画なんて絶対にできない。いや、できない自分の能力が低いのだし自己責任である。家を何軒か建て世界を何周かできるくらい生業に突っ込んできた顛末でもある。
泥舟で飛び出して、歓喜の大観衆に心を燃やし、鈴をぶら下げた鹿のトロフィーを狩っている間に、地元の同級生たちは時には真面目にこつこつと(時には不真面目に)働き蓄え、壮大な住宅ローンを組み、うつ病や不倫に悩んでみたり子供の教育にも執心してきたのである。
結局のところ本人のスキルの結果でしかない。
だから将棋マンさんが辞めようが会社にしがみつこうが、成るようにしかならない。いずれにせよ同じことの繰り返し。結果には誠実になるしかない。
能力のある者は組織に居ようと居まいと、看板やスペックの如何に関わらずうまくやっていくし、中途半端なやつはいつまでも中途半端なまま。最後は綱渡り芸人のようにザンパノに殴り殺されるか、断食芸人のように野垂れ死ぬのだ。
そしてそれは僕だ。