Toujours beaucoup

いつまでもたくさん

つきせぬ想い

幼年時代の思い出から得た神聖で貴重なものなしには、人間は生きてゆくこともできない。

 

カテゴリーの「少年」は、少年時代の忘れ得ぬ心象風景や、折に触れて思い出す尊い日々をモチーフにしています。そんな心の引き出しを開けたり閉めたり、ほこりを払ってみたり。
 
今ここにいる場所は、偶然の出会いやきっかけ、流れにあえて身を委ねてみたり、目をつぶって飛び込むような選択の末に流れ着きました。
 
大空への憧れは海に変わり、やがて翼を授かりました。バイクに初めて乗ってアクセルを開けた時の胸がふくらむような浮遊感、空を飛ぶってこういう感じなのかもしれない、それはまさに翼です。ホンダのバイクのエンブレムが翼であるのは、そんな意味があるのかもしれませんね。
そして人々の翼を紡ぐような生業を得ました。
 
奥田民生さんの「さすらい」のように導かれたようなもの。
 
風の先の終わりを見ていたこうなった
雲の形を真に受けてしまった
 
人影見当たらぬ終列車 ひとり飛び乗った
海の波の続きを見ていたらこうなった
胸の隙間に入りこまれてしまった
誰のための道しるべだったんだ
それを無視したらどうなった
 
そして少年から大人への長く曲がりくねった道、長いトンネル。
 
そして長い月日が経ちました。
日々はもはや漂泊の心模様。
 
月日は二度と戻らぬ旅人であり、行きかう年もまた同じ。船頭として舟の上で人生を過ごす人、馬子として愛馬と共に老いていく人、かれらは毎日が旅であり、旅が住いなのだ。かの西行法師や宗祇、杜甫李白など、古の文や墨客も、その多くは旅において死んだ。私もいつの頃からか、一片のちぎれ雲が風に流れていくのを見るにつけても、旅への想いが募るようになってきた。
 
旅に病んで夢は枯れ野を駆け廻る
 
松尾芭蕉さんの「奥の細道」と辞世の句はぐっときますね。
 
あちこち旅をしてまわっても、自分から逃げることはできない。
 
それを赦すことが出来なかったヘミングウェイは、ある朝ショットガンで自分の頭を吹っ飛ばした。
 
アニタ ユンの「つきせぬ想い」という映画を、ずい分前の大晦日の地上波TVで観ました。浅野忠信の「地雷を踏んだらさよなら」など、その日は印象的な放映が続き、なにか心が漂うような気分になったのを覚えています。
最期の淵に足をかけた病床のアニタ ユン。彼女のおかげで腐った自我から抜け出すことが出来た彼氏。彼女はそこで最後のささやかなわがままを言いました。
 
饅頭飴を買ってきて
 
その時の彼女というよりユンの表情が、もう演技ではなく彼女そのものでした。饅頭飴を必死に探し回ってやっとの思いで戻ってきた彼を迎えたのは永遠の別れ。彼女は自分が死ぬのは分かっていて、なぜ饅頭飴なんて言ったんだろう。死に目を見せたくなかったのでしょうか。
 
おっさんそれはあかんやろ手出したら犯罪やで。
この映画は単純にあらすじをテキストにするとただの難病ものカルピス子供劇場です。実際観ていても途中までは安物のラブストーリー感がつきまといました。ダメ人間のおっさんと少女の恋という背徳感が邪魔するし、糞の役にも立たない自己愛に溺れる彼にイライラします。
 
でもそれは社会通念の呪縛だったのかもしれません。正しく強く生きることを、おっさんの彼に身を捧げて教えた彼女。安物の指輪もかけがえのないものになりました。
 
そして宇宙の闇に放り出されるようなバッドエンド。
 
服を買いに行くのに着ていく服が無いとか、プライドや過去に固執したり、デスペラードごっこして居場所がないとか、やっかいな自我という糞にまみれて、ごちゃごちゃ言ってないで、その瞬間に精一杯生きる。
 
はかないもの
 
そこんとこ死にたいくらいに刺さりましたね。
 
Excuseは ダメよ。
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