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Toujours beaucoup

いつまでもたくさん

愚有性との邂逅

1995年のある日。聞いたことのないレシプロエンジンの叫びが空から聞こえた。コントロールされていない粗削りで重たい鉄球のような排気音。
 
見上げると、仔羊のようなセスナ機を露払いに、西へ向かうその単発のレシプロ機は「零戦」だった。操縦法まで学んだ憧れの存在。見間違えようがない。まさに非現実が飛んでいく白日夢のような出来事。
 
あとで裏をとると茨城の竜ヶ崎飛行場の里帰りデモ飛行後に関西へ向かうところだったと思われる。
 
それから10年ほどたち航空自衛隊浜松基地の展示施設へ、また異なる「零戦」を見に行った。宙吊りになったゼロは「張りぼて」のようで自分の憧れたゼロではないように見えがっかりした。
 
そこにあるという前提で必然のように見た「飛べない零戦」は、1995に雷に打たれるような邂逅で出会った「生きている零戦」とは全くの別物だった。エンジンなど飛行可能にするためにオリジナルでなくても、「頭上をまさに飛んでいる」という圧倒的な真実、そしてその千載一遇がもたらす印象は圧倒的なものだった。*1
 
憧れて憧れて、期待し過ぎて出会った真実が、想像や予想負けしていたり。
「桂浜」や「三保の松原」など刷り込みが強過ぎてそうでしたね。
「想像と一緒だし。いやむしろ世間のイメージや評判盛り過ぎじゃね?」
スケジュールを完璧にすればするほど、その旅はつまらないものになったりします。
あまりに準備しすぎたり、「ズワイガニ食べ放題ツアー」のような設えられた旅は、無味なものになったりします。グルメもそうですね。
 
迷い道の産物で運命的な出会いをしたり、思いもかけない雄大な景色に出会ったりする愚有性を大切にしたいですね。
 
そしてその旅は終電を失って歩く道程や、仕事先での彷徨いにもあると思いませんか。
 

*1:なんとオリジナルの栄21型エンジンだったそうだ

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