Toujours beaucoup

いつまでもたくさん

1972

1972年の今頃札幌で日本発の冬季オリンピックが開催されて、ガキんちょの自分はその当時岐阜に住んでいた。

その頃世界はとってもアナログで、アナログな長屋スタイルの借家に住み、アナログな近所付き合いのとなりの看護婦のお姉さんの家で、アナログテレビを観たり蜜柑を食べたりしてた。

アナログテレビではアナログな特撮で、アナログでまだまだ戦後の暗闇の臭いがするシナリオの、ウルトラマン仮面ライダーを観たりしていた。

札幌オリンピックのテレビ画面では、アナログなスタイルの笠谷選手が、アナログな人力の飛距離測定員が並ぶ花道に、ときの声を発しながら栄光を掴むように飛び立った。

お茶の間では安全装置のないアナログな石油ストーブで、アナログスタイルの薬缶がシューシューと、アナログな生活のBGMを奏でていた。

フィギュアスケートで尻餅をつく大失敗で世界中を凍らせたけど、腐らず笑顔で演技を終えたジャネット・リンは「札幌の恋人」「銀盤の妖精」と名付けられ一躍日本のアイドルになった。「札幌の愛人」と呼ばれていた人もずいぶんと居たはずで心境はいかなるものだったのか。よけいな下世話。

ところでホームシックになった彼女のために母国アメリカのマックはハンバーガーを空輸したらしい。いかにもアメリカ人が好きそうなパフォーマンスだけどステマの一種ですよね。

真の幸福に至れるのであれば それまでの悲しみはエピソードに過ぎない。(『銀河鉄道の夜』より)


こんなフレーズを真に信じることが出来た時代かもしれないけど、こんなフレーズをいうと「神は死んだ」とか言われる今のデジタルな世界も悪くない。

ソチ冬季オリンピックのジャンプのカサイ選手を観て、カサヤ選手を思い出したりして当時の情景が甦った。

でも今の体で1972年に戻ったら、その黒社会っぷりに鬱になるかもしれん(笑)