敗戦ランナー
予選の時間に間に合わない。
スロットルを開けても開けても加速しない。
そんな夢を今でも時々見る。バイクのロードレース選手権ともなると、総力戦でものすごいエネルギーが必要になり、大きなストレスやプレッシャーにさらされる。
競技としてスポーツをある程度やった人なら想像できると思う。それもあって強迫観念として意識の奥底に刻み込まれている。
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中三のときの運動会で200メートル走に出ることになった。
クラスには野球部所属の強いリーダーがいて、イベントがあるとグイグイみんなを引っ張り、合唱コンクールやクラスマッチでも「みんなをその気にさせて」なかなかの成績を残していた。
組織を強くするためには、同調圧力をかけ、またプライドを封印し、恥をある程度認知させないと強くなれない。
このプライドを捨てて恥を認知させる、というのはロードレースで強くなるためには大切な要素である。もちろんほとんどのスポーツでもそうではあるが。
基本的にバイクは人目を忍んでこっそり練習というのがほとんどできない。衆人環視の元、負け続け、ぶざまにな姿をさらしつづけ、教えを請い、技術を盗まなければならない。
だからもう最初のステップで、かっこ良く走れない、負けるのが嫌だし怖いという理由で諦める者も多い。
ステージを上げるほどに、もともとの才能のあるものが強い気持ちを持って努力しているから、さらに厳しいストレスにさらされる。出る杭はもちろん打たれるから、新参者は手洗い洗礼を受ける。侮辱のゼスチャー、当てられて、恫喝されて、実に酷いがそういう世界で遅いやつに人権は無いし、嫌ならやめれば良いだけの話。言い訳は即退場を言い渡される。でも負けたくない。文句があるならママに言えばいい。
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それはでもクラスのパワーバランスをみると適切で、リーダーの指示に従うしかなかった。罰ゲーム確定だが、リーダーのポジティブさは皆に良い効果を及ぼしていたし、個人的には感謝している思いもあったから頑張るしかない。もちろん他にも渋々従うものもいたが、コンセンサスは取れていたように思う。リーダの自ら率先するところはもちろん、個人の人格攻撃や批評をしないところも素晴らしかった。
そして出る以上は恥をかかないように、放課後にトラックで練習をした。疲労は溜まっていったがコツも少しずつ掴んでいった。
当日はちょっとやっかいなことになった。少しずつ蓄積した疲労が突然ピークを迎えていた。逃げ出したい、こんなことなら練習しなければ良かった。本番アドレナリンに祈るしかない
ギロチンが落とされるように号砲が弾けた。
やっぱり無理だ、全然足が上がらない、猛烈に痛い。どんどん離されていく。最悪だ。それでももがく。苦しい、でも少しの間我慢するだけだ。何とかしろ。そのうちに脚の感覚が無くなって痛みを感じなくなった。下半身がなくなったような感覚だ。思わず下を見るとちゃんと走っている。
結果は残念ながらそこで漫画みたいに急加速することもなく怒涛のビリで終わった。死にたいくらいに恥ずかしかった。みんなに練習しすぎて足が動かなくなったんだと言い訳してまわった。惨めになるだけだった。
みんながどう思っていたかは知らない。ぼんやりとした薄暗い記憶の中のトラックを左にカーブしながら必死の思いで走っている。トラックの外の応援の視線は僕より遥か前に向いていた。
その経験に懲りもせず、レーストラックで同じようなチャレンジを自ら進んでして、今だに夢にまで出る。
意味なんかなかったかもしれないけど、少しは強くなれたのかもしれない。
このエントリーを拝見して思い出した遠い記憶。
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