Toujours beaucoup

いつまでもたくさん

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旅の終わりに

…る人の夢の中に咲く 広島丹那の母の実家の祖父の工作室祖父は戦争から帰ってきて、専売公社を定年してからはここで、丹那港の海の仲間のための道具やデジタル時計を作り続けていたここに篭ってみたり、丹那港から祖父の和船「夕凪丸」で海に出ていた祖父と釣りに行くと…ああ新年ですね僕の魂の源です 大空の色と残月の光とで今日の天気がわかる。風の清いこと寒いこと、月の光の遠いこと空の色の高いこと! 僕はきっと今日は鹿が獲れると思った。 入院中の両親のために多くの時間を費やさなければならないのです…

秘密のおじさん

…密のおじさん」とは、広島出身の母の叔父つまり広島の祖母の弟。 広島の焼け残った区画の迷路のような路地を抜けた雑居住宅の奥に隠れ住むように住んでいた。 だから「秘密のおじさん」と僕は呼んでいて、「西口のおじさん」というのが広島の親族の間での正しい呼称だ。 「秘密のおじさん」は学者肌というか、本ばかり読んでいる一風変わったひとで、僕の中のビジュアルのイメージはこれ。 もっともこのイメージは勝手に作り上げられたもので、本当のところは記憶にはない。 僕が高校に入って物理を学びだし、相…

夢の中へ

母方の広島の実家に居た。 大戦時に大陸出征の一大拠点となった宇品港と、東洋工業(マツダ)の間の丹那の小さな港と黄金山の崖に挟まれた細長い旧市街にある。 祖父が運転する車に乗って出かけた。 大陸に大戦に出征しシベリア抑留から生き延びてきた祖父はもうかなりの歳になる。運転は大丈夫だろうか。 助手席に僕を乗せ、祖父は丹那の狭い路地を、まるで獣道を駆け抜けるように飛ばしていく。 生垣と電柱の峡谷が迫る。祖父は全く速度を緩めない。 絶対に無理だ!ミラーをヒットする。 身を固くするが、祖…

映画「この世界の片隅に」 こめられた思いとレビューやあらすじなど 

…ころのない感情豊かな広島弁の吹き替えには、瞬く間にストーリーの中に引き込まれていき、情感がより豊かになり深い感銘を受けました。絵による登場人物の心理描写も見事でしたよ。 全国拡大上映中! 劇場用長編アニメ「この世界の片隅に」公式サイト この世界の片隅に - Wikipedia 終戦特集などのTVドラマや映画の実写版は、時代考証や再現性、役者の演技などもう観るに堪えない出来のものばかりなのに、宮崎駿さんの作品もそうなのですがアニメーションとなるとどうしてこうも珠玉の作品と成り得…

19970815

僕の母方の亡き広島の祖父は盆前に危篤になって、借り物のクラウンでぶっ飛ばして愛知から広島まで行った。魔のカーブが続く関ヶ原でオーバーランするとこだった。 まだ名神と山陽が繋がっていない石器時代の話。 夕暮れに原爆ドームの近くを通って宇品の近くの病院に着いて、アスファルトがまだ熱を帯びていたのをよく覚えている。 中国大陸に戦争に行って日本は負けて、ソビエトで労役に就いた後に帰ってきた。ガタイが良くて一刻で、曲がった事が大嫌いで全てぶっ飛ばしてきた。 昔の電話交換機みたいに管やモ…

シン・ゴジラと春の修羅

…ラになる前のルーツの広島の原爆まで伏線になっている。 様式美のごとく空飛ぶ京浜急行や水の街大田区の風情など細かい描写も心くすぐられ、映像表現の矛盾や稚拙さもほとんどなく、スピード感ある展開にどんどん引き込まれていった。 ただ肝心要の最後の作戦だけは気になる展開でちょっと引っかかった。 東京駅に鎮座する機能停止中のゴジラに、初動で無人N700新幹線に爆弾積んで上下線使って並走させて突っ込ませる。おいおい、その状態じゃ仮に軌道が無事で起電していてもシステム的に絶対新幹線動かせない…

遠回りと言い訳の末に

…う原爆被爆地のひとつ広島への、現職アメリカ合衆国大統領として史上初、ノーベル平和賞受賞者でもあるオバマ大統領の慰霊訪問。 一般的なアメリカつまり勝者の歴史認識としてこう記述されている。 「米国の歴史では、原爆は、第2次世界大戦を終わらせ、何百万人もの米国人の命を救ったという位置づけです。ゆえに歴史は広島と長崎への原爆投下で終わり、2つの都市で起きた惨劇については語られていません。一方、日本の歴史は、原爆投下とその甚大な被害から始まります。戦後、日本がどのように平和国家への道を…

僕は広島じゃモグリだけど一言だけ

僕の母親は昭和14年広島生まれで被爆している。 なので僕は被爆二世ということになる。 広島の母の実家はマツダの近くの丹那町という海辺の町で、黄金山の山陰にあるから原爆の被害は家のガラスが割れた程度で済み死傷者も出なかった。祖父は大陸に兵隊に行っていた。 幼い頃に行った夏の暑い日の平和祈念式典のことはよく覚えている。 8月6日AM8時15分黙とう 暑くて熱くて厚い、長く気の遠くなるような時間。 それは炎に焼かれて亡くなった方々のことを考える時間だった。 オバマさんのアメリカ合衆…

映画「世界最速のインディアン」

…のだけど。 尊敬する広島の亡き祖父もこの映像のマンローにオーバラップする。寡黙だけど背格好はこんな感じで、ヘタレなことを言う奴は直ぐぶん殴りそうな雰囲気はそっくりだ。 大きな手で物を生み出す男 前半のマンローのインタビューで握りしめていたのはコンロッド。クランクシャフトの回転運動をピストンの往復運動に変える重要な部品だ。コックではない、ロッドである。 ボンネビルで走るというのかどんな事なのかは、このジャパニーズガイが雄弁に語っている。エンジン屋としてはまだ甘い。 総合二輪工作…

職域侵犯

…司は、小5の時に亡き広島の祖母に連れて行ってもらったデパートの中の寿司屋だ。カウンターで婆ちゃんと並んで食べた。寿司屋なんて行ける家庭じゃなかったから、生まれて初めての寿司屋ではどうしていいのか分からなかった。「何でも好きなもん頼みんしゃい。」なこと言われても、恥ずかしさと遠慮で困ってしまった。婆ちゃんだってビンボーじゃなかったけど金持ちじゃない。「これ美味しいんよ」婆ちゃんが頼んでくれた、初めて食べた鳥貝の握り。その時の映像と味をいまだに鮮明に覚えている。それ以外は全く覚え…

夢のオチは白衣を羽織ったLele Ponsだった

…の橋が見える。なぜか広島の丹那港の母親の実家の景色になっている。沖縄の海と並び僕の原点となる母の海だ。 iPhoneの画面に注意深くタッチしてポイントを絞る。 満足した僕は引き返して上っていく。上りきったとこの倉庫に道が入っていくが倉庫のドアは閉まっている。夢の中では状況がどんどん変幻していく。人が通れるぐらいはドアがスライドして中に入ることができた。 中には黒いパーティドレスの上に白衣を羽織った女性が居た。顔にはアフリカ大陸のような黒いシミがあるが、若さと美しさはそれを問題…

サバンナの掟

…ムが僕は大好きだ。 広島ナンバーのバズがあったっぺさ(それEのバスだ) あじたレース場で大会があるんだっぺ。 でもな...雨だよ雨 あーめ ぎをづけたほうがいいよ すべっから (うん気をつけるよ。先月のもてぎの雨で転んだばっかだからね) 10代の終わりごろに初めて筑波サーキットに行き様々な洗礼をうけた。 北関東弁もそう。関東地方は標準語だとばかり思っていたから、ずいぶん東北出身の奴が多いなと思った。北関東弁は東北弁に似ている。 そのうちに東北出身者は関東に来ると標準語を話すこ…

僕の好きな先生

…人生の師でもある亡き広島の祖父と新幹線に乗ったとき、祖父の吸い出した「チェリー」の香りが何とも芳ばしくて「いいな」と感じたことがあるのを思い出した。 でも煙草はやめたほうがいいけどな。 なんども言ったことあるけどもう一回言うね。昔観た映画で娘が愛する父に言った言葉。 「煙草をやめられない人は人生の敗北者よ」 http://www.asahi.com/showbiz/music/TKY200905040150.html ♪劣等生のこのぼくに すてきな話をしてくれた――2日に58…

記憶の残像

…た、ムンクの「叫び」とともに中二スピリッツに刺さる絵画でした。荒涼とした景色の中に溶け落ちるた時計。これは未曽有の熱と爆風に曝された原爆投下後の広島や長崎の焼け跡をモチーフにした、最終戦争つまり核戦争後の世界を暗喩したものかと思っていました。地平線の光も水爆実験の映像のようです。ところがこれは1931年の作だから原爆投下前だし、1937年のナチスによるゲルニカ爆撃をモチーフにしたピカソの「ゲルニカ」より前の作品なのですね。サルバドールは何でしょう、時を憎んでいたのでしょうか。

臭いモノの問題

…さん家族に連れられて広島の三段峡の近くの公社の山荘に泊まったことがある。ワクワクした気持ちが萎えてしまうくらいに林道を延々と歩いてやっとたどり着くような一軒屋の山荘。苦労してやっとたどり着いた山荘はさぞかし思い出に残る場所になるかと思いきや、そこは「エロ本小屋」だった。 若い男性社員ぐらいしか利用しないような、登山の基地にするようなところだったのか、とにかくエロ本だらけだった。小5のもやし君がエロ本天国にたどり着いたのである。おじさんの隙をみてはお宝をコソコソ見ていた。絡みは…

虹のかなたへ ダミー・デミオ

… 奥田民生さんは広島出身。そしてマツダも広島に生まれ広島に骨を埋めた自動車メーカー。絶体絶命のピンチをなんども潜り抜けてきた。 觔斗雲(きんとうん)のように飛ぶように走るロータリーエンジンを実用化したのはマツダだけだ。 ロータリーエンジン魂に持ち、極東からやってきた身の程知らずのメーカーとしてに何度も挑み続けたルマン24時間レース。もう本当にこれで最後だ、これ以上続けられない。その最後のチャレンジで執念と魂の優勝をした。 マツダの前身は東洋工業といいい、ひょっとしたら西洋に打…

リトルボーイとファットマン 頭のいかれた爆弾と侍魂

…が亡くなった。 亡き広島の祖父。原爆が投下された日はソビエトとの国境線付近で引き延ばされた袋小路のようなウンザリとした朝を迎えていたはずだ。そして幸運にもシベリア抑留から戻ってきた故郷はまだまだ焼け野原だったろう。家族が五体満足で全員無事だったのは僥倖としかいいようがない。 そして8月9日。 人々はそろそろ昼飯のことを心配していたかもしれない。 その日小倉に落とされる予定だった第二の原爆は天候不順により長崎に落とされた。戦勝国の弁によると全ての行為は善だ。そして広島と同様に多…

原点

…りでせっかちな典型的広島人のばあちゃんがこう言ってきた。 ヤマハRD50の中古車を買った時のことだ。店頭には2台のRDが並んでいて、スポークホイールの方は走行は少ないけど少々程度が悪い。もう一台は綺麗だしキャストホイールでパッと見はこっちの方がいい。でも走行は倍以上走ってる。プライスはついていなくて口頭で聞いてみた。 「こっちは(スポーク)の方は4万5千、こっち(キャスト)は4万。」 おまえ買う気あんのかよ?そんな顔で無愛想に教えてくれた。ちなみにその1年ほど前に買ったフェル…

背中

死んだ明治生まれの広島の爺ちゃんは、真っ直ぐで正義感が強く頑固な大きな背中の男だった。 およそ組織向けじゃないと思うし、仕事でどうしても許せない事があると仕事ボイコットして2週間炬燵から出なかったこともある。上司が自宅まで呼びに来ても追い返して婆ちゃんをずい分と困らせた。公社なんだけどそんな社員も大切にする懐の深さもあったんだろうし、爺ちゃんも頼りにされていたのだろう。 ソ連に抑留され大陸から復員復職後は退職まで勤め上げ、上京して勲何等とかを授与されたりした。とにかく曲がった…

リトルボーイとファットマン

…が亡くなった。 亡き広島の祖父。原爆が投下された日はソビエトとの国境線付近で引き延ばされた袋小路のようなウンザリとした朝を迎えていたはずだ。そして幸運にもシベリア抑留から戻ってきた故郷はまだまだ焼け野原だったろう。家族が五体満足で全員無事だったのは僥倖としかいいようがない。 そして8月9日。 人々はそろそろ昼飯のことを心配していたかもしれない。 その日小倉に落とされる予定だった第二の原爆は天候不順により長崎に落とされた。戦勝国の弁によると全ての行為は善だ。そして広島と同様に多…

非現実的な夢想家

…す。1945年8月、広島と長崎という二つの都市に、米軍の爆撃機によって原子爆弾が投下され、合わせて20万を超す人命が失われました。死者のほとんどが非武装の一般市民でした。しかしここでは、その是非を問うことはしません。 僕がここで言いたいのは、爆撃直後の20万の死者だけではなく、生き残った人の多くがその後、放射能被曝の症状に苦しみながら、時間をかけて亡くなっていったということです。核爆弾がどれほど破壊的なものであり、放射能がこの世界に、人間の身に、どれほど深い傷跡を残すものかを…