今年も朝から照りつけるような暑さ。
1945年8月6日の朝。
あの日もありふれたいつもの暑い朝だった。早朝の空襲警報は解除され、人々はそれぞれの役割を果たすべく、照りつける太陽の下急いでいたはずだ。そして何が起きているのか意識する間もなく、あまりにも多くの人々が亡くなった。
亡き広島の祖父。原爆が投下された日はソビエトとの国境線付近で引き延ばされた袋小路のようなウンザリとした朝を迎えていたはずだ。そして幸運にもシベリア抑留から戻ってきた故郷はまだまだ焼け野原だったろう。家族が五体満足で全員無事だったのは僥倖としかいいようがない。
そして8月9日。 人々はそろそろ昼飯のことを心配していたかもしれない。 その日小倉に落とされる予定だった第二の原爆は天候不順により長崎に落とされた。戦勝国の弁によると全ての行為は善だ。そして広島と同様に多くの人々が何が起きたのか意識する間もなく亡くなった。心よりご冥福をお祈りいたします。
1945年8月6日に広島、8月9日に長崎に原爆が落とされてから70年。
広島は母方の実家でルーツでもあり、ほんのちょっとしたキッカケで自分が存在が無だったのかもしれません。
幼いころに参加したことのある、広島の原爆平和慰霊祭は暑くて熱くて厚い、長く気の遠くなるような時間でした。
それは炎に焼かれて亡くなった方々のことを考える時間でもあります。
「焼き場に立つ少年」
昭和20年8月9日午前11時02分、長崎に原爆が投下されました。原爆は浦上地区の中央で爆発し、この地区を壊滅させました。被災して亡くなった方々の遺体を焼いているところに、幼い弟(妹?)を背負い、はだしで、歩いてきた少年。
男の子は泣いちゃいけない、精いっぱい、涙をこらえて、直立不動の姿勢をとり、唇に血がにじむほど、歯を食いしばっていた少年。こんなちいさな少年でも、その頃の日本人は立派な、サムライだったのです。(ちいさくても強いサムライより)
やもすると左翼プロパガンダともとれる伝え方をされます。
「焼き場に立つ少年」とそれを撮ったジョー・オダネル氏 | 荒んでいく世界
義務教育の社会科の副本にもなっていて、子供たちのもので見ました。
原爆被害の真実を伝えた画像の一部で、勇気ある米軍従軍カメラマンがリスクを承知で撮影したものです。情報規制のため長い間封印されていたもので、昭和の義務教育時代にはなかったものです。
政府と、報道の自由と正義を伝えることでしか存在理由がないのに、メディアまでグルになって戦争プロパガンダや情報規制は永遠に続いています。
軍隊はそもそも洗脳教育で、恐怖から逃げるための暴力の動機付けを繰り返し植え付けてきました。完全に化けの皮が剥がれた新聞やTVもそう。
もちろんこれは日本だけでもなくアメリカでもそうです。本能のように存在する人種差別意識に火をつけます。
良いジャップは死んだジャップだけだ!ジャップを殺せ!ベトコンを殲滅しろ!アルカイダを捕まえろ!
世界で一番人を殺しているのはアメリカ人ではないでしょうか。次は中国でしょうかね。
でもそれについては揶揄するつもりはありません。戦争は間違いなく金のため、ひいては国民を守るための一番実現しやすい方法です。もちろん間違えています。
でもみんな間違えているのです。人はしょうちゅう間違えをおかします。ウソをつきます。
しかし一番大切なことは真実から目を背けない事、真実を探し続ける事です。物事には相反する側面がかならずあります。そして政府や報道、ひいては教育は、これから先も臭いものにフタをし続けます。これについては仕方ないのです。
まずは「消費者思考」から抜け出す事。
自分は保護されるべきである。保護されている。
自分には与えられた然るべき権利がある。
大きな声をあげれば誰かが助けてくれる。
憲法が自分を守ってくれる。
こうした消費者思考を逆手に取るのは簡単ですよね。簡単にだまされて洗脳されてしまうのです。
路地裏で暴漢に刃物を突きつけられた。安心安全の日本では普通に暮らしている限りは、まずありえない事でそれは素晴らしいことです。
でももしそうなったら...
恐怖で竦んでしまいますよね。思考停止してしまいますよね。
そして今。
目に見えるところでは極左と極右が落としどころのない論争をしています。
その真ん中の人々、つまりまともな感覚をもった者なら、今の相反する真理に白黒をつけられないと思います。そして黙っています。
憲法第9条は理念としては素晴らしく、今までは何とか機能してきました。でもそれは
憲法のおかげなんかではなく、アメリカの圧倒的な経済力と思惑のおかげ。また日本政府も例えば
自衛隊の合憲
違憲や、その他の戦争問題についてはあえて白黒つけない方針でしたね。
でもこれからは今まで通りいかないのは明らかです。
憲法第9条にまつわる様々な問題に白黒つけることは現実的ではないけれど、このままでは日本といえども、気の毒な大陸の周辺諸国のような目に合うかもしれません。
大陸から美しい海を
南シナ海をへだてた島国までも、今では治安を脅かされています。
現代では、全面戦争はないという前提で国防を強化していますが思うのです。 最善の抑止力は圧倒的な経済力を持つしかない。
日本も諸国に行ってきた
ODAは国防費みたいな意味合いもあります。まともな国際感覚を持った国に対してですが。日本の
ODAは形を変えた現代の
大東亜共栄圏思想のようなもの。諸国の自立繁栄を基礎インフラや教育から目指します。ほか医療や治安維持など目的は多岐に渡ります。
大東亜共栄圏思想は植民支配目的という側面もありましたが、対象諸国には基礎インフラや教育の成果は明らかに出ています。逆鞘になった国もありますがね。
親日的に接してくれる諸国は、もちろん間違えも多く犯したが、その後の日本の頑張りを評価してくれている面も大きいのではないでしょうか。
僕は1974から1978まで家庭の事情で沖縄に住んでいました。本土からの転校生としての沖縄は、チビでひ弱なもやし君にとってはタフな側面も多々ありましたが、それに勝るポジティブな経験もかなりできました。いまでは懐かしい思い出です。
その沖縄時代に台湾に行ったことがあります。日本本土に行くのと変わらない感覚で行けたのです。
初めての台湾。
もやし君的にはかなりビビってました。
だって沖縄以上に日本人は恨まれてるはずだ。もやし君はダイナミックな近代の歴史に夢中で、
蒋介石とその賢い妻、シェン
ノートンとフライングタイガース、
高砂軍と、教科書以上のことも織り込み済みです。
ところが台湾は大人の国でした。
タクシーに乗れば日本語は必ず通じます。教育のレベルが高いのは規律正しい小学生たち…ちょっと息がつまりそうな印象を受けましたけど…つまり同年代の子供たちで想像がつきます。
豚の頭が転がっているような市井の市場、辺境の田舎…それこそ
高砂族がいるような…でもちゃんと常識が通じます。
もちろん言いたいことはあるけど、とりあえずリスペクトするよ、そんな大人の姿勢を感じたのを印象的に憶えています。
おじいちゃんがジャパニーズソルジャーなの。
そんなフィリピーナには---しかもSAKURAという名前だった!---、なんだか「うちの爺ちゃんがホントすいません」なんて気分になりますが、彼女らは色々あったけど、今はそれをむしろ勲章のように説明してくれます。
台湾の話もそうですけど、それは日本とは色々あったけど、とりあえずは経済的に頑張って結果を出したから。それにつきると思います。
まあそれにはアメリカも大きく絡んでいますし、その要因は
スターリンとかレーニンとか冷戦時代や、地球の反対側では
キューバ危機など、話の落とし所が無くなってしまいますけど。
話はグルグルロータリー
ランナバウトですけど、結局のところ今の構図はもうお判りですよね。
日本に勝利したはずの
蒋介石は中国大陸を追い出され台湾になりました。中国は根絶やしのプロの
漢民族が圧倒しています。そして新しい恐怖政治のリーダーは
文化大革命で国民を恐怖政治で思考停止させました。そして今では世界を二分するような圧倒的国力を持つ国となりました。
日本と戦う
蒋介石をヘルプしたアメリカは史上最大の失策を犯したのかもしれません。
日本は第二次大戦後に破綻したイギリスのように、かつては栄えていた国のようになり、高齢化した国民の
社会保障に戦々恐々とする未来です。経済もなかなかうまくいきません。でももう一度、今までのようにはいかないけれど、国力をあげ圧倒的な経済力の取り戻して いけないでしょうか。
民主党は「みんなが平等に豊かになり幸せになる」というポリシーで政権をとりました。そして、そんなことできるわけがない、というのを証明する結果になりました。幻想だったのです。
力のあるものを優遇する、今の日本の一見不公平に見える政策は結果として国力をあげることになりますね。
ただ今の政策は国民に思考停止させるような、ある意味愚民化政策ともいえます。
また消費者思考からの脱却のために、教育のあり方、家庭のありかたなどの見つめなおす必要があります。
リトルボーイとファットマンは日本に落とされた二つの原爆のニックネームです。
チビとデブ
そしてアメリカは特攻専用機「桜花」にバカボム(BAKA BOMB)というニックネームをつけました。乗っていたはオール5の若者たちです。つまり文武両道の優秀な者しかパイロットになれなかったのだが、最終的には「頭のいかれた爆弾」と揶揄されるような
攻撃機しかなかったのです。
これが最後にわかった当時の日本の姿でした。
サムライはあまりにあまねきた
侍魂のため、自らくびれてしまったのです。
今それからどれだけ進歩できたことか。