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映画「この世界の片隅に」 こめられた思いとレビューやあらすじなど 

この世界の片隅に 片渕須直 監督・脚本

観てきましたよ。素晴らしかったです。まず何といっても背景画がとても美しく、その時代の世界を丁寧に誠意をもって描き出していて、また能面玲奈(のん)の非の打ちどころのない感情豊かな広島弁の吹き替えには、瞬く間にストーリーの中に引き込まれていき、情感がより豊かになり深い感銘を受けました。絵による登場人物の心理描写も見事でしたよ。

全国拡大上映中! 劇場用長編アニメ「この世界の片隅に」公式サイト

この世界の片隅に - Wikipedia

終戦特集などのTVドラマや映画の実写版は、時代考証再現性、役者の演技などもう観るに堪えない出来のものばかりなのに、宮崎駿さんの作品もそうなのですがアニメーションとなるとどうしてこうも珠玉の作品と成り得るのでしょうか。つまり監督や脚本のレベルが技術的なものだけではなく、その信念の賜物なのでしょうか。

資金面や興行面にも恵まれておらず、クラウドファンディングで資金を募り、公開当初は上映も小規模な状況でした。それでも良質な作品には資金も集まり、上映規模もどんどん広がっていったのは、色々と問題はあるけれど健全な社会の存在を感じました。

wikiでおさらいをしてみると、監督脚本の片桐須直氏の並々ならぬ映画化への入れ込み、原作者のこうの氏との邂逅がまた運命的なものを感じます。

2010年8月、片渕自身がこの作品のアニメーション映画を企画し、こうのに許諾を請う手紙と自作『マイマイ新子と千年の魔法』のDVDを送った。こうのは1996年に放送された片渕のテレビアニメ『名犬ラッシー』にあこがれ、「こういう人になりたい、こういうものが作りたいと思う前途にともる灯」として捉えていたため、この手紙を喜び枕の下に敷いて寝た。こうのは、アニメ映画化は「運命」と思ったという。

片渕は2010年5月から何度も深夜バスで広島に通い、後知恵を徹底的に排除した上で、多くの写真を集めたり、70年前の毎日の天気から、店の品ぞろえの変化、呉空襲での警報の発令時刻に至るまで、すべて調べ上げて時代考証をさらに重ね、原作の世界にさらなるリアリティーを加えた。「理念で戦争を描くのではなく実感できる映像にしたかった」とディテールにこだわり、劇中で登場する戦艦大和の艦上での手旗信号の内容も解読できるように作られている。

 

僕自身は母方の実家が広島であることからも、広島の歴史風土や暮らす人々には帰属意識があり、また日本の近代史にも強い思いがあります。

この世界の片隅に」で描かれた広島の情景や時系列は、一分の隙もなく誠意をもって描かれていました。

『呉(くれ)』という名前は九つの峰(九嶺)から来よるんよ

呉の地名の由来は初めて知り、呉の独特な地勢を思い出し胸を打ちました。

すずの同級生の水原のこのセリフ

兄ちゃんはバカじゃけえ、海軍はいって溺れ死んだんよ

いかにも広島人らしい物言いで、一見卑下しているようで実はリスペクトしているのが伝わってきます。

「わしは広島じゃあモグリじゃけえ・・・」

こんな口上もよく聞きますがこれは彼ら特有の謙遜なのです。

広島という街は村上水軍の歴史や、日清戦争時は日本の臨時首都機能が置かれるなど軍都、特に瀬戸内の地の利を生かした世界でも有数の軍港などの歴史。また自然災害も多く、広島の人々は有事は一致団結して助け合い、平安の時は穏やかな瀬戸内の海とともに人生を謳歌してきました。

この世界の片隅に」ではすずという女性の、幼少から嫁入りにかけての、そして戦前から戦後の広島の人々の暮らしが丹念に誠実に描れていました。

広島の江波という町の海苔農家で生まれ育ったすず。

ある日海辺の家から街中の「ふたばや」お使いに行きますが、帰りの原爆ドームのとこの太田川にかかるT字橋で「人さらい」に捕まって背中の大きな籐籠に入れられてしまいます。籠のなかにはすでに一人の男の子がいて、状況を理解していないすずに「僕たちは人さらいに食べられてしまうんだよ」と教えます。このピンチをどうやって潜り抜けるのか。

この辺りの描写は、当時の産業振興会館(原爆ドーム)やT字橋(相生橋)や市電などの風景が丁寧に描かれていて、原爆投下地点(爆心地)でもあり、映画の展開の伏線を感じさせます。

貧しい昭和初期の地方では、まだまだ悲しい人身売買も横行していたころのこと。ここでの「人さらい」のエピソードは夢とも現実ともつきません。人身売買のための幼児誘拐であったのかあるいは本当に妖怪であったのか。

ある夏の大潮の日。

兄、すず、妹の兄弟で干潟を歩いて親戚の家のある島へ遊びに行くことになりました。しばらくすると妹は歩くのに飽き、持っていく西瓜もだんだんお荷物になってふざけだし、到着するころには泥だらけになってしまいます。

野菜や果物も冷やす役割のある井戸で水浴びし、西瓜を食べしばしの午睡に入ります。

ふと目が覚めたすずが天井をみていると、天井が1枚開いてそこから薄汚れた少女が下りてきて、残された西瓜をあっという間に平らげてしまいます。

それを見たすずは自分の着物を与え、「おかわり貰ってくるけえ待っとりんしゃい」とばかりにおかわりをもらいにいきましたが、戻ってくると女の子は居ません。

おばあちゃんは笑って座敷童だといいます。

「座敷童」は実は昔の社会の暗喩でもあり、望まれなかった隠し子や、近親婚や逃げ場のない旧社会で自失してしまった子を、隠し部屋や座敷牢に幽閉したりしていました。もしくは要らない子は口減らしで売られて「人さらいにさらわれた」ことになったりもしていました。

このシーンでも婆ちゃん以外は、すずに寝ぼけていたんじゃないかと相手にせず、婆ちゃんは座敷童だと、嘘と真ともつかない返事をします。

妖怪物語のような冒頭に展開に逡巡しましたが、この人さらいに座敷童が、この後のストーリーのキーにもなって行きます。

その後は時系列は史実を辿り、806のカタストロフィへのカウントダウンが進行していきます。それでも内地は戦争はどこか他の国で起こっているかの錯覚さえ生じ、厳しいながらも安寧な生活は続いていくのです。

自分の意志とは関係なしに18で北條家に嫁入りした浦野すず。海軍省の事務方の年上の北條周作が夫となり、義父圓太郎は海軍工廠の技師で、義母のサンは病弱で床に伏し気味です。

そんな北條家はまるで家庭内労働者を待ち望んでいたかのような雰囲気すらありますが、すずは持ち前ののんびりおっとりした性格で、涙あり笑いありの日々を送って行きます。

すずと周作の初夜を描くシーンも、お風呂で身を清めるところから通過儀礼の合言葉のような傘と柿の掛け合いが、コミカルでありながらも実に情緒深いものでした。

北條家の習作の姉の徑子は、すずとは対照的な性格で外交的で街中の黒村時計店の跡取りと恋仲になり嫁ぎます。だが、夫の急死で黒村家は時計店をたたみ下関へ帰ることになります。徑子は義父母と折り合いの悪いのもあって、長男は下関に残し、長女の晴美とともに北條家に戻ってくることになりました。

何をやらしても半人前のすず(まだまだ子供なのです)に、自分で道を切り開いてきた徑子は苛立ちを隠せずすずに辛く当たります。ですがそれは悪意からくるものではなく、新人に対する厳しい教官のようなもので、すずが生き抜くための教練にもみえました。

それでもすずを慕う姪っ子の晴美とのふれあいや、絵心溢れるすずを癒す呉の野山や街の景色が、疾風勁草を試されるようなつらい日々に、ひと時の平安を与えます。

 

ある日闇市に砂糖を買いに出たすずは道を失い、不思議な街に迷い込んでしまいます。

いい匂い、よそ者ばかり、ここから出ない

大門から広がるきらびやかで良い香りのする非日常のような街。すずはそこがどういう場所か分かっていたのでしょうか。軍都にはつきものの花街は、それこそ呉なんかはそれは華やかだったことでしょう。すずはそこである遊女のリンに助けられます。そこでも不思議なやり取りがありました。人さらいにさらわれた時の「ふたばや」と同名の置き屋に、切り取られたノートに文盲のリン。そしてリンの着物は海の向こうの親戚の家で座敷童にあげた着物に似ています。

またある日、すずの同級生の水原がすずを訪ねてきます。

すずは小学生時代に水原のために絵を描いたことがあります。絵を描き上げたら帰ってもいいよ、という授業に、家庭不和で家に帰りたくない水原は授業を放棄して海を見ていました。絵の大好きなすずはとっくに自分の絵を書き上げていて、そんな水原のために海の絵を描いてあげます。水原の語る海は兄が死んだ海で、ウサギのような波が立つ日だった海で、そんな海をすずは情感たっぷりに描きます。そしてあろうことか、その絵は入選する騒ぎになりました。

そんな水原も海軍の水兵として巡洋艦「青葉」に乗り組んでおり、もうボロボロにやられて呉に帰って来たのだと。厚かましく接待される水原を窘めるすずの姿などは、ふだんは夫の周作に見せない姿で、周作は嫉妬しているようにみえます。

夜半に周作は水原に対して「あなたを母屋に泊めるわけにはいかない」ときっぱりと言い切り、水原を納屋の2階に泊めます。これは周作の水原に対する、幼馴染だからといって調子にのるな、という戒めだと思ったのですが・・・

なんと周作は「募る話もあるだろうから」と、すずを納屋に行かせ鍵をかけてしまうのです。

もう水原はやる気まんまんです(笑)でもって・・・(自粛)

理解に苦しむシーンでしたが・・・

 

・これは鑑賞後に確認しました。原作にあるそうですが、周作はリンと寝ており、それを引け目に感じた周作が、おそらくすずの初恋の相手であろう(もしくは今も)水原との一夜を、戦死する可能性の高い水原へ冥土の土産として餞ようという意図ではと。

そんな解説がありましたがそれも不自然ですよね。いやそうではなく、周作はいまでもリンと恋仲なのですね。でもって・・・(後半で)

閑話休題

すずが嫁いだころは、戦争はどこか別世界の出来事のようで平安な日々が続いていたのですが、戦局が傾くにつれ海軍の要衝である呉にも暗雲がたちこめてきます。

すずの家にも防空壕が掘られ、次第に空襲警報もうんざりするほど頻度を増して行き、それでも当初は空報ばかりだったのが実際の爆撃や銃撃が始まります。

徑子と晴美の母子は息子を預けてある義実家の下関に避難することになりました。混乱の中、駅で切符を買いに並ぶ徑子と離れ、すずと晴美は空襲で怪我をした義父を見舞いに街中へ出るのですが、そこへまたしても空襲があり、すんでのところで防空壕へ転がり込んで難は逃れたのですが。

軍艦の好きな晴美や、すずも水原のこともあり軍港が気になったのでしょう。爆撃のおかげで壁が破壊され、うまい具合に視界が開けた爆撃跡から二人で軍港を望むのですが、悲運が二人を襲います。

なんとその爆撃跡にはお触れで注意されていた時限爆弾が埋まっており、それを思い出すのに遅れたすずは、慌ててて晴美の手を引いて離れようとするのですが・・・・

ブラックアウトし暗黒と絶望と後悔の渦巻く世界に翻弄され、傷だらけで目が覚めたすずは、右手を失いその先に繋がっていたはずの晴美を失ってしまいます。

すずを責める徑子。すずは呵責を感じながらも、そもそも何で私は、ここに嫁に来たことでこんなに苦しまなければならないか、そうも感じていたかもしれません。

失意の日々、迫る空襲のさなか避難するすずに白鷲が訪れてきます。すずはその白鷲の姿を水原と感じたのでしょう、必死に逃がそうとします。迫る米軍機の機銃掃射に寸でのところで周作に救われるすず。

この辺りから、すずと周作の感情のすれ違いも無くなって夫婦の絆も深まり、無常たる現実を乗り越えるために徑子とも和解し家族の一員として一致団結したようでした。

そこでとどめの原爆が投下されます。

8月6日の朝、呉の人々は山の向こうの広島の方向に異常な光を見ます。暫くすると暗雲たちこめ荒れ狂う修羅となり、広島からの飛散物が呉まで届きます。

何か非常に深刻な良くないことが起きているのは確実です。

そして玉音放送は戦争の終わりを告げます。

まずなによりもホッとした者も多いと聞きますが、すずの家族はそれぞれの感情を爆発させます。掛け替えのないあまりに多くのものを失った喪失感からきたカタルシス。

一方、原爆で焼き払われた広島では、焼けただれた母親が幼子の娘の手を引いて彷徨っていました。母親が覆いかぶさって娘を庇ったのでしょう、娘は無事です。

母子は手をつないだまま座って休みます。長い時間。そのままずっと。

母はそのまま事切れてしまいますが、娘は手を繋いだまま待ち続けます。母が溶解し崩れ去るまで。

ああ、孤児になったこの子は助かって欲しいな、でもなんでこのシーンを挿入するのだろうと思いました。

戦後の街を彷徨うこの子は、すず夫婦に出会い養女になることになり、それはそれで安堵したのですが、ここで何か様々な点が繋がったような気がしました。

 

曲解かもしれませんが、この母子というのはリンとその娘。そしてその娘の父は周作ではないのでしょうか。

話を戻すと、すずが幼いころに出会った座敷童の少女は、望まれない子で農家に幽閉されていたリン。リンはその時のすずとの出会いを、もらった着物を後生大事にするぐらい大切にしていたのです。

その後遊女に出た(売られた)リンは客としての周作と出会い、あろうことか恋仲になってしまったが、周作とすずの結婚を機に別れたのです。ところがリンはすでに周作の子を身籠っており娘が生まれてしまうのです。その流れて行った広島で不幸にも母子ともに被曝しますが、リンは必死に最愛の娘を守り抜き、周作とすずの元に導かれたのではないでしょうか。

リンの娘(孤児の娘)の母と繋がっていた手は、すずの失った右手でもあり、晴美と繋がっていた手でもあったのです。

時系列が前後しますが、すずは戦後復興中の爆心地となった広島市内のT字橋で、つまり子供のころ人さらいにさらわれた場所で周作と語らい、自分たちを確かめ合います。

ここの時間のために全ては流れてきたのです。

いうまでもなく、子供のころすずが一緒に人さらいにさらわれた男の子は周作で、それが二人の最初の出会いだったのです。

 

あるサイトで見かけたステファヌ・ブリゼというフランスの映画監督の言葉なのですが

観客が映画を見て涙を流すとすれば、それはスクリーンの中に観客自身の人生を映し出しているからです。監督が余計なことをする必要はない。どんな感情を抱くかは観客自身が決めることです

 

この世界の片隅に

戦中の物語なのですが、70年後のすずと同世代の若者でも、昔の恋愛や暮らしに自分自身の人生を投影できるような、素晴らしい映画でありそして原作だったのが、大ヒットの第一要因だったのは間違いないでしょうね。

 

※一回観ただけで、ストーリーの時系列や細部が異なっているかもしれませんが、ご了承くださいませ。

 

 

最後は浮き砲台として呉軍港に着底した巡洋艦青葉

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