Toujours beaucoup

いつまでもたくさん

背中

死んだ明治生まれの広島の爺ちゃんは、真っ直ぐで正義感が強く頑固な大きな背中の男だった。

およそ組織向けじゃないと思うし、仕事でどうしても許せない事があると仕事ボイコットして2週間炬燵から出なかったこともある。上司が自宅まで呼びに来ても追い返して婆ちゃんをずい分と困らせた。公社なんだけどそんな社員も大切にする懐の深さもあったんだろうし、爺ちゃんも頼りにされていたのだろう。

ソ連に抑留され大陸から復員復職後は退職まで勤め上げ、上京して勲何等とかを授与されたりした。
とにかく曲がった事が嫌いで、気に入らないものはぶっ飛ばしてきた。
知り合いのYさん家と同じで、自転車教える時は坂の上から背中を押す(正確には蹴るらしい)タイプで、小中時代の僕にいきなり車や漁船の運転させたり、刃物握らせたりと、まずは背中を押してくれた。

そんな爺ちゃんが危篤と聞いて広島まで車を飛ばした。
新幹線の方が早いんだけど、車で行くべきだと思った。…と後で思っただけで何も考えなかった。マツダの初代キャロルを買った勢いで広島から箱根越えのドライブをした爺ちゃんの孫として。

関ヶ原を駆け抜け大阪を越えると、名神山陽道がまだつながっていなくて、いくらアクセル踏んでもなかなか着きやしない。


夕暮れの広島の街の渋滞の中、太田川を渡り宇品の近くの病院に着いた。駐車場のアスファルトがまだ新しく、夕陽の中まだ熱を帯びていたのを覚えている。
病室に入ると爺ちゃんには色んな管がつながっていた。
もうお終いだと直ぐに分かって、もう涙が止まらなくなって泣き喚きながら爺ちゃんに謝った。
「遅くなってゴメン、もっと早く来るべきだったんだ!」
あんなに取り乱したのは後にも先にもない。
もちろん爺ちゃんはピクリともしない。

そしてそのままお葬式になった。
お葬式の時に爺ちゃんの舎弟から戦争のことを聞いた。家族のため国の為に戦争に行ったわけで、信念に反することもあったから爺ちゃんは戦争のことは黙っていたんだとわかった。
言葉の少ない爺ちゃんの大きな背中から自然と学んだことは多い。
「おまえら死んだ爺ちゃんが生きてたら、いの一番にぶん殴られるぞ!」
そんな世間の出来事が続いていています。

強く正しく生きていくことは自己矛盾との葛藤なのです。
そんなわけで僕は元気です。
ほな

ちなみに爺ちゃんはリアルにデカすぎて棺桶に入らなくて葬儀屋が違う意味で泣いてた。
なめんなよ(笑)