京都 龍旗信 白湯鶏たいたんそば
ドナルド・キーンが京都に留学生として下宿していたときのこと。
「或る晩のことです。十五夜で、それはそれはきれいな月の晩でした。私は大学からの 帰り途、その月を見上げて惚れ惚れしながら京都の町を歩いておりました。」
キーン博士は思ったのだそうだ。こんな月の光に照らされた竜安寺の石庭はさぞ美しかろう。
是非見てみたい。博士はその足で竜安寺へ向かった。当時(大戦前)の京都の寺はいずこも 終日門が開いていて、人の出入りも自由だったという。
「私は竜安寺の門をくぐって本殿に入り、あの有名な石庭を前にした縁側に座り込みました。
月光に照らされた石庭の美しさ。私はしばらく身動きができませんでした。三十分、いえ 小一時間ほども私はぼんやりと庭を眺めていました。もう十分すぎるほど石庭に見惚れた後です。
ふと傍らへ目をやると同時に私は驚きました。いつの間にか私のそばに、一杯のお茶が置いて あったのです。誰が?いつの間に?どうして?想像するしかないのですが、おそらくお寺の誰か だったのでしょう。外国人の若い学生が石庭に見惚れているのを見て、邪魔をしないように、 そうっとお茶を置いていってくれたのです。私は、とても感激しました。」
こんなもてなし方ができる民族は日本人だけだ、と博士は思ったそうである。
「そして、だからこそ私は日本のことが大好きになりました。」
東海道新幹線内で夜通し仕事をしていると、稀に自分の存在が無になるような瞬間がある。
単独で待機していたり歩いていたりする時間が長いのだが、獣の気配のする関ヶ原の闇からはるか遠くの眼下に大垣の街を明かりを望み、月夜の冠雪した幻のような伊吹山のあまりの荘厳さに心は漂泊する。
血の匂いを感じる古戦場の町。
燃え尽きる炎の叫びが聞こえそうな特大の流れ星。
心を切り刻みそうな冷たさを感じる名もない川の足音。
幾千もの想いが漂う、眠る中山道の旧市街。
暗闇の底の見えない高架下。
巨大橋梁の枕木の隙間から見える黒く光る川面。
飛び降りたら、落ちたら、死ぬのだろうか。それとも瀕死の負傷で地獄の呵責を受けるのか。
そんな僕は遠隔操作の高性能カメラで監視されている。暗闇でも側頭部につけたIDカードの情報までくっきりと読み取れる。監視室にいる彼らはプロだから、きっと僕が何を考えているのかまでお見通しだろう。
キーンさんの見た月夜の石庭はどんな情景だったのだろう。
こればかりは映像では表現できないだろう。
映像では決して表現できないような情景を求めて日々を走り抜ける。
そんな日々の折りに京都でラーメンを食べてきました。
和食の本場の京都には繊細な和風だしを活かしたラーメン店が競うように展開しています。
そんな中で京都、大阪で塩そばの雄として名を馳せる龍旗信へ行ってきました。
京都烏丸でかけがえのないラーメンを - Toujours beaucoup
先日訪問した麵匠たか松も近くにあります。完全にお任せでアテンドされ一切の予備知識も携えずの訪問です。
京都伝統商家建築とでもいいましょうか、間口が狭く奥行きが長い店舗でガラス越しの奥には中庭があります。この辺りの有名店の特徴で外国人観光客向けメニューも充実しています。
シャンパンゴールドのアルマイト処理された伝統的な薬缶とステンレス製タンブラーで冷たい麦茶が用意されいます。この薬缶は外国人を喜ばせる演出なのでしょうか
ステンレス製のタンブラーのデザインとサイズが、お墓に生け花を活けるための花立のようで、また鏡面ではなくヘアライン仕上げのため金属味の舌触りが強く出てまい、お茶の味が死んでしまっていて、このお店のスタイルに若干の疑念を持ってしまいました。お茶や水は器の材質に強く影響を受ける(化学反応です)と思うので、ガラスか陶器の器にしてもらいたいものです。湯呑でいいじゃん。
なのでお茶の飲むたびに「歯医者で口をゆすぐ時の味」を思い出してしまいました。
薬缶の注ぎ口が潰れていて、お茶が綺麗に注げないのもいちいち気になります。
また観光地がゆえに仕方ないのかもしれませんが、完全にアウェイな扱いを感じる店員さんたちにも少しがっかりです。おまけにユニフォームのポロシャツの襟を立てています。
さて、気を取り直してと。出来上がってきましたよ!
白湯鶏たいたんそば
載せられているのはチャーシューではなく、玉ねぎスライスをかき揚げたものです。色からしてホクホクサクサクのジューシーな味と食感を想像をしたのですが、ぐったりしていました。
クリーミーでダークなスープは、かなりこってりとしていて「どろどろ」といった表現が一番適しているのでしょうか。天下一品の「こってり」みたいなジャンクさではなく、繊細で上品な味わいで独特なコクがあります。
むしろコクというよりエグミに近く感じました。中細麺はゆるめでスープとの絡みがべったりとした食感で、そもそも基本的にスープも冷め気味で、喩えるならマイ食べログでNGワード指定された「やる気のない風俗嬢」のようです。
オペレーションが悪くてこうなってしまったのか、意地悪されたのか、これが標準なのかはわかりません。
端的に表現するとスープというより、エグミのあるクリームソースの茹ですぎたカルボナーラスパゲティのようでした。
ごちそうさまでした。
京都烏丸でかけがえのないラーメンを
食べログでなかなかに読ませる印象的なレビューを書いている人の文体で書いてみました。
普段の僕の表現と全く異なるので興味深くまた面白かったです。
ここまでラーメン屋のレビューばかりを書いてきたが、ここでひとつ京都で出会ったハイレベルな店を紹介する。
紹介するとは言っても、京都では今更という感の強い有名店であるのが予想されるが、今月の関西出張でかなりのハイペースで目ぼしいラーメン屋を巡ってきた中で、改めてここ京都の麺匠たか松を訪れた感想を記しておきたいのである。
ラーメンという食べ物の味わいが、それを食べる「場」と密接不可分であるということを最もよく実感できる店であると思った。
もとより京都という土地柄からして、訪れる者を独特の情趣で取り巻くようなロケーションの強みに富んでいるのだが、この店は正にそんな京都の風情と多様な人々の情味が凝縮された場である。
麵は長野県産小麦を石臼で挽いた全粒粉を混ぜ込んで作った、小麦の風味たっぷりの特製麺で、日本蕎麦のような褐色の麺はやや細めに切り出してある。つるつるとしたノドごしと、ざらざらとした舌触りが上品でありながらも、どこかクセになる食感が特徴である。
スープは豚、鶏、海老やホタテ、そして数々の魚介のれぞれの味を抽出するために、最適な時間で別々に炊き込み、その出来上がった出汁を順番に合わせて、スープを完成させている。
つけ麵は3幕に及ぶ世界が楽しめる。1幕では切れのあるスープの味と麵の小麦の風味をストレートに味わう。2幕では麵を半分ほど食べ進んだら、添えてある玉ねぎのみじん切りを入れると、シャキシャキとした玉ねぎの食感と香りがスープの旨味を深め、玉ねぎの甘味が素晴らしいハーモニーを醸し出す。3幕では添えてある酢橘を麵に絞ってそのまま味わってみると上質な日本蕎麦のような味わいに驚くだろう。そしてその酢橘を振った麵をスープにつけると、2幕の濃厚さがすっきりとした世界に変化する。
またらぁ麵においては随時、黒七味や黒ばらのりでスープの味の変化を楽しんでもらいたい。魚介のえぐみや苦みを全く感じさせないクリーミーなスープは秀逸であり、それに黒ばらのりを振りかけると、一気に磯の香りが広がったのには心底おどろいた。
メニューとしては一押しの「つけ麺(鶏魚介) 850円」、基本の「煮干し香るらぁ麺 680円」、【期間限定】の「老舗の蔵出し味噌らぁ麺 800円」など。
若くキビキビとしたスタッフたちは、優しく親切な接客であり、初めて訪れる客もまず店の人から掛かる一声で魔法のように肩の力を抜け、自然と店内に溶け込めるのである。
一見さんお断りの気質もある京都であることを忘れさせてくれる、これこそがこの店の持ち味とも言えよう。
京都に息づく生活感を醸し出す学生や会社員風の人々らと、遠方から訪れる観光客とが自然と小さな空間を共有する連帯感をもって調和するような、不思議な親和性がここにはあった。
外から見れば、ただの小さなフランチャイズ風漂うラーメン屋である。
しかしここではオリジナリティあふれる日本蕎麦のような麵と、手を尽くして仕込まれたスープらを昇華させるセンス、そして京都の町の情味とが渾然一体となって、一つのご馳走が供されている。
ひとたびこの味わいに触れたならば、再訪は必至であろう。
何よりもこの好立地と手を尽くした料理での、この安価な価格設定にも驚かされた。
思うにこれが、日本人の料理としてのラーメンというもの提案なのではないだろうか。
ごちそうさまでした。
荒ぶる豚
全ての道は四川へ続く
ここのお店はぜひ!マスト的に行ってみたい。
もう説明など要らない。料理の画像と店主の顔で分かる。おでこのホクロは本物の印だ。
そんなわけでおさらい。
ここ「四川」の麻婆豆腐にはハマってる。お店とオカンも好き。
実は食べログにレビュー載せたらオカンに即座に身バレしてそれも感動した。お客さんのことを実に良くみている。なかなかできないよ。
3回目に友人を連れて行った時の事。
入るなりオカンに言われた。
「食べログに載せていただいてありがとうございます。」
もう顔真っ赤のタジタジ。前回、前々回は空気を消してひとりでお邪魔しただけなのに断定できるとは。
「でもオカンじゃなくて、オネエサンと言って欲しかったわ」
すまんオカン。
それからここには何人か四川中華マニアを連れて行った。本国で食べた四川中華とはまた違うけど、経験した今までの日本国内のどれよりもイケてると。東京の友人なんか出張の際にわざわざ寄り道するほどに。
他の料理も日本の中庸を行く、庶民的で美味しい中華料理で、ファミリーでも、社畜ランチでもウェルカム。
ここはジャパニーズアレンジの上品な中華料理かな。でも後日しったのだが、厨房の四川人に本場の味でオーダーできるらしい。
かなりヤバイと聞く。これもマストだ。
ところで食べログは検閲が厳しすぎて、指示されるまま修正していくと文章の味が抜けてしまう。また中身の無い提灯記事ほどウケが良い。
つまりお皿の裏を見みるように、行間を読めないとレビュアーの真意は伝わってこない。そのあたりを酌むと外れ店に泣くこともなくなるかと。
「まずい蕎麦屋」というストーリーがある。
だれかの文章で読んだ。
戦後すぐだったかな、神田のある蕎麦屋があまりにも不味い、でも大繁盛していると評判になった。誰もかしこも「実にまずい」という。そのうちにもう、どのくらい不味いのか気になって仕方なくなる。蕎麦なんてそうそう不味く作りようが無いだろう。
そしてついにその日がやってきた。
行ってみると押せや押せやの大繁盛。出された蕎麦を一口。
まずい...ありえないくらいマズイ....顔を上げると店のオヤジがにやりと笑った。
似たような経験が僕にもある。
小学生の頃から校区内にあったうどん屋はしばらくの間店を閉めていた。結婚して数年したある日その場所で新しいうどん屋が新築オープンした。結構お客さんも入っている。2代目か誰かが始めたのか。
しばらくしてお邪魔してみた。蕎麦を一口かき込む。
マズイ...ざけんな...
顔を上げるとオヤジがにやりと笑った。オーマイガー同じオヤジだった。
思い出したぞ、ここはまずいので評判のうどん屋だった。店が新しくなっても、やってる人間は一緒じゃねーか。
食べログでレビュー削除されたクソみたいな蕎麦を出す名古屋の黒帯とかいう店の話
このポストも真偽はわからない。たまたま悪いタイミングだったのかもしれない。でもあまりの酷さに気になるではないか。
こういったレビューは公平さを求めるなら、上と下を5%ぐらいカットしたくらいがちょうどいいのではないかと思う。
善意の中の嘘、悪意の中の真実も含めて僕は全て載せて欲しいとは思う。
ギラギラとした重たい球
若手のスタッフが横の寸胴で茹であがった麺を湯切りしている。
だが切れが甘い。
先を読んだ動きも足りない。
背後では店主の厳しい目が光っている。
ラーメン 細麺 650円
スープはダーク&クリーミー。
毛穴から豚骨臭が噴き出してきそうな、中毒性のある骨太なパンチのある味わい。
これはなかなかである。
環七「土佐っ子」を思い出す、脳幹に響くずしんとくる味。
中細麺はヘヴィーなスープとは対照的に、貞淑なパートナーのような控え目の存在。
やさしくも厳しい目をした店主は元々は港湾地区にあった家系ラーメンの出身。早朝から営業し、仕事上がりのトラック運転手や港湾労働者に愛された店。
お冷はセルフで氷ごとドバっと出てくるスピード重視のタイプ。
後輩は先輩の水を手際よく用意し演出するには最適だ。
店内は半島状のキッチンをカウンターで囲むタイプでスタッフは気を抜けない。
店主はクールに采配をふるい、彼らはそれぞれの役割を忠実に果たしている。
まるで野戦病院だ。
深夜4時まで営業している。酔客や骨太な味を求める客は決して上品とはいえない。
だが野戦病院に担ぎ込まれ安堵した負傷兵のように彼らは従順だ。
数々の修羅場をくぐり抜けた投手が投げる重たい球。
そんな骨太なスピリッツの感じられる味。
味は人となりとはいいますが、店主の人柄とポリシーが感じられ、ファンが多いのも納得です。
ごちそうさまでした。