Toujours beaucoup

いつまでもたくさん

あしたのために(その1)

ギャグ漫画家だったりイラスト描いてたりする江口寿史さん。

氏はモデルの女性の魅力を画像データに変換して出力し、北斎画のような線と色彩表現がとても魅力的なのです。

氏のインスタグラムのアカウントは2つあります。

 

こちらは日々の情景用



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こちらは作品用

www.instagram.com

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Instagram


この作品用のアカウントについて、氏のツイッターアカウントで紹介がありました。

 

 努力だけではいかんともし難い個々の能力の差は如実にあるわけですが、それでも努力し続ける執念というものは作品に出てくるし、その努力というものは尊いものであると。

何かこう襟を正される思いになりますね。

 

ある程度極めてしまうと、唯我独尊、俺最高(勘違いも含めて鼓舞するための動機としては必要ですが)の大御所になってしまって、日々の精進を怠り次第に陳腐化して消えていくか、過去の遺産にしがみつくことになる。

同様なことが村上春樹さんの「職業としての小説家」でも詳しく語られています。

 

現在僕は全力疾走がほんとに短時間しかできません。ほんの一瞬の全力疾走以外はゆっくりと歩いています。つまり衰えて持続性のない瞬発力だけに頼って仕事をしている面が強いのです。

それよりも長距離ランナーのように、円谷幸吉選手のように「次の電柱まで、また次の電柱まで・・」とこつこつとプッシュし続けるような、衰えたなりの執念のスタイルで仕事をしないといけないのですが。

 

あしたから頑張る

 

あしたのために(その1) =ジャブ=

攻撃の突破口をひらくため
あるいは 敵の出足をとめるため
左パンチを こきざみに打つこと
このさい ひじを左わきの下からはなさぬ心がまえで 
やや 内角をねらいえぐりこむように打つべし

正確なジャブ三発につづく右パンチは 
その威力を三倍に増すものなり

丹下段平からの手紙より

 

怪僧ラスプーチン

浮遊しているような深夜の長距離高速走行で、ラジオから飛んできた懐かしい曲。

本格的に音楽に目覚めたのは高校の頃だけど、小中学生の頃に聞いた70年代の曲の方が体の奥深くにリズムが刻み込まれている。

当時はさっぱりだったのだけど、今聞いてみると歌詞もぶっ飛んでいる。

 

youtu.be

 

ラーラーラスプーチン

ロシア女王の恋人

王室は彼のワインに毒を持った

ラーラーラスプーチン

ロシアの最高のラブマシーン

彼はワインを飲みほして言った

最高だ

 

漂泊と郷愁を感じるロシア民謡の匂いを漂わせている、抑圧と欲望が渦を巻く70年代のディスコミュージック。メンバーのロシアンダンスは、ほとばしる情熱の南米スタイル。

歌詞は実在した、ロシア中の女性を虜にしたラスプーチンの物語。

 

ロシアの深い森の奥に、ラスプーチンの失われた王国が残されていそうなロマンがある。

グリゴリー・ラスプーチン - Wikipedia

 

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泪橋の桜の向こう側へ

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2キロほど離れたお客さんの家まで車検から上がったバイクを届けてきました。
 
最高の天気だし積み下ろしの手間よりはと、乗って行って届けてジョギングで帰ってきました。
ヘルメットを持って街着で走ってるから「盗難車を乗り捨てて逃走する男」になれます。
 
桜も満開でポカポカの陽気で、最高に気持ちの良い日です。
 
帰り道は桜の綺麗な大きな公園を潜り抜けてきました。大勢の人々がまたとないような最高の一時を楽しんでいました。
 
子供たちも大勢。
小学生の数人のグループが公園のあちこちにいたのですが、そろいもそろってDS?(ほとんど知らないし興味もない)でゲーム?を大盛り上がりでやっている。
 
どんなアウトドアなんだよ、なんて思いながら自分のことを回想しました。
 
僕のその子供たちの年頃は岐阜から沖縄へ移り住んだ時期。エキセントリックな街に不発弾まみれの自然もいっぱいあったところだし、いやそれしかなかったか、遊び道具も昭和博物館にあるようなものしかない、それよりもひたすら山、川、田んぼ、学校、広場、はるか遠くの海や時には街で遊んでいました。
遊ぶというよりは毎日が自分の限界を試す冒険でした。
 
そんなことを思い出したのですが、無限の空が広がるアウトドアで小さなモニターの中の世界に夢中になっている子供たち。
 
何だかもったいないですね。
 
でも子供達は時間と可能性を無限に持っているのです。手を組むのは下手くそだし不公平ですが、子供達はカードをいくらでも持っているのです。
 
それにそんな少年時代を過ごしたからって、僕は大層な人間になっているわけでもなく、むしろ世間的にはダメな大人になっています。手持ちのカードではもう何ともなりません。ゲームセットの時間は迫っています。
 
僕の息子は公園でゲームやる世代だったからといって道を外すわけでもなく、ちょっとアホだし小さくまとまっているけど堅実に生きている。崖から目をつぶってダイブするようなことはしません。バイクのセンスなんかも抜群だったんだけど、本人は「別に」とかいってデビュー前に引退しました。
 
桜の花の美しさと切なさは、様々な想いを呼び起こしそれは遠く届きます。桜の散る中無念にも散っていった祖父の世代への想いにも。桜花とはBakaBombという意味もあります。
 
活かさせてもらっていてすみません。
 
 

まぼろしの料理店

30代後半でうちの子供たちがまだ小さかったころ、お盆休みの次の週に一泊の南伊豆旅行に何年か続けて行っていました。

いやでも2年だけだな。

22歳ぐらいの頃に初めて利用して気に入った、南伊豆の小さな入り江にある民宿があって、それから何回か利用したのです。オレンジ色の屋根の眺望の良いとても居心地のいい宿なのですが、次第に人気宿になってしまって、もうその頃には関東からの利用客に独占されてしまって全然予約が取れなくなってしまっていました。

ゴリ押しすればきっと泊まれるのでしょうが、そういうのは苦手なので2年とも、同じ入り江にある別の民宿を利用しましたが、お気に入りの宿には及ぶべくもなく。

若いころにその宿を初めて利用した時には、宿の小5の長男が良く懐いてきて、日が暮れるまでビーチで遊んでいました。彼なんか今はもう40歳を越えているのですね。ひょっとしたら宿を継いでいるのかもしれません。

その入り江ではシュノーケリングすると、岩場には色とりどりの海水魚やグレや石鯛などがうようよしていて、魚たちの世界は見ていていつまでも飽きません。小さい息子も一緒になってシュノーケリングしていたのですが、ウツボに威嚇されてもうビビってしまって、岩場を怖がるようになっていましました。

そんな夏の小旅行の帰りに、高速道路を早めに下りて寄り道しながら帰って来た時の事。

関東圏のオーナーが多い別荘地でもある湖畔の、所々ガードレールを設置するスペースもない細い道を走っていました。注意深く走らないと湖に落ちてしまいます。

もうすっかり日は暮れてきて薄暗くなってきて、さらに非日常から日常に戻らなければならない旅の終わりは寂しいもんです。

もうすぐ夏も終わるのです。

平日の宵の口は、夏の日の旅の終わりの寂寥感とともに、まるで深い森の中を彷徨っているような気分です。そんな中に温かそうな明かりが見えてきました。

道路沿いに湖にせり出している、ささやかなイタリアンレストランでした。まるで森の中の注文の多い料理店のようなレストランに誘われるように入ってみました。

ドレスコードを問われそうな店構えではありませんが、ラフな格好をしていたし小さな子供を連れている一見客です。

入店して利用の可否を丁寧に尋ねてみました。

出てきたオノ・ヨーコ風の年配の女性はまるで、「あなたたちが来るのを待っていたのよ」とでも言いたげに、慇懃に席を案内してくれました。

はるか彼方に街の明かりが灯る真っ暗な湖を眺望する赤いテーブルクロスの席です。末席なんかではありません。

飛び込みでしかも子連れでコースを頼む度胸もなく、メニューに載っているパスタとサラダと単品を皿盛りにして、デキャンタワインをいただきました。

あまり歓迎されない客かなとは思いましたが、窮屈な思いをすることなく料理も抜群で気持ちよいひと時を過ごすことができました。

現金をあまり持っていなかったので、悪いなと思いながらクレジットカードで支払いをして店を出たのですが、エントランスからキッチンの方を見ると、トヨタF1ドライバーだったヤルノ・トゥルーリに似た気の良さそうなイタリア人(イタリアンレストランだからイタリア人シェフだと思い込んだだけですが)シェフがこちらを向いていました。

子供たちを托しながら挨拶をしたのですが、子供たちはもじもじしているだけで、もう!なんて思ったのですが、ヤルノが満面の笑みで「チャオー!!」と手を振ってくれました。彼らのホスピタリティーには敵いませんしただただ感謝です。

夏の終わりの記憶に残るひと時となりました。

それから何回もそのお店の前を通ったのですが、あの時のような引き寄せを感じたことがないし、機会もなく再訪したことはありません。

あの時のあの場所と、そこにいたヤルノとオノ・ヨーコはまるで幻だったような気がします。

こんな異国の糞田舎の、イタリアの湖にはかなり見劣りする湖畔で、こんなに気分の良いレストランをやるなんて、イタリア人こわいしオノ・ヨーコすごすぎます。

 

「だからさ、西洋料理店というのは、ぼくの考えるところでは、西洋料理を、来た人にたべさせるのではなくて、来た人を西洋料理にして、食べてやるうちとこういうことなんだ。これは、その、つ、つ、つ、つまり、ぼ、ぼ、ぼくらが……。」がたがたがたがた、ふるえだしてもうものが言えませんでした。
「その、ぼ、ぼくらが、……うわあ。」がたがたがたがたふるえだして、もうものが言えませんでした。

 

心の歌を聴け

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若手の教員を育成する立場にあるベテラン教員のお客さんと話をしていました。

教職というか公職を生業とする人々は、職権や職域を侵したり脅かすものに対しての反応が過敏になりがちです。プライドが高いとか、その世界独特な狭義な価値観ともいいます。

これは別に批評しているわけではなく仕方のないことなのです。教員として公務員として選ばれた時点で、保守的なある程度似た属性になり、そこからさらに所属組織に振り分けられていくと、同じ釜の飯を喰うってやつですね、人格も画一化されてその職業の人格になっていくのだと思います。

氏に世間で議論になっている教職のあり方や働き方、そして尊厳についてなどの話題を振ると、一気にガードを上げてきて先制パンチを矢継ぎ早に放ってきました。

「民間だってバブルのころはいい思いしたでしょう、僕らはそんなことは無かったですよ云々」

そこかよ、と思いながらも、カウンターパンチを返す気もないので、そこそこにして話題を変えるために、こんな問いかけをします。

 

「教員生活で最高の瞬間はいつでしたか?」

「またずいぶんと○○な質問(つまり無茶振り)をされるのですね」

 

こんな問いかけは予想されていなかったようで、最適な答えを探すために逡巡されているのが手に取れます。

後出しジャンケンがしやすいように僕が先にジャブを放ちました。

「僕の場合はやはり、この仕事を始めたばかりの希望に満ちていた時です」

 

これは氏の立場が若い教員を指導されているのを鑑みて、教員の初心とその後の苦難や挫折についての考えを伺いたかったのもあります。

 

本心としては、最高の瞬間なんてまだ体験していませんし、その最高の瞬間を求めて仕事しています。何回かの疑似体験はあったのだけど、それはあくまでも通過点で、おそらくその瞬間は止めることが出来た時だな、そう考えています。なんかカッコつけてるみたいですけど本当です。

 

氏の答えは漠然としていて忘れてしましました。

波及した話の中で理想の学年という問いには

 

「全校に歌声が響き渡るような指導が理想」

 

どこのミッションスクールやねん!と心中でつっこんでしまいました。

本当にそう思っているのですか?と問い返したくなりましたが、議論しているわけではないのでスルーしましたが。

 

もともとマイノリティーの僕が間違えているのかもしれませんが、公立校でそれは無理だし、実現出来たとしても間違えているのではないのでしょうか。その歌声の中には苦悩や排除された声なき声もあるはずです。

 

そんな風に、人はある程度の年齢に達するとその職業の人格になってしまいます。

特に役職が高かったり、職域が狭いほどその傾向が強いのではないでしょうか。

 

だから、一流は「2次会に行かない」 | プレジデントオンライン | PRESIDENT Online

こんなことをドヤ顔して記事にしているってもう恥ずかしくなりますよね。

 

社会に対して相対的な価値を高めるのが教育なのか、ひとりの人間として絶対的な価値のあるものを高めるのが教育なのか。

 

以前書いた記事に関連します。

pooteen.hateblo.jp

 

また教員とは対極にあるような友人の話

pooteen.hateblo.jp

京都 龍旗信 白湯鶏たいたんそば

ドナルド・キーンが京都に留学生として下宿していたときのこと。

「或る晩のことです。十五夜で、それはそれはきれいな月の晩でした。私は大学からの 帰り途、その月を見上げて惚れ惚れしながら京都の町を歩いておりました。」

キーン博士は思ったのだそうだ。こんな月の光に照らされた竜安寺の石庭はさぞ美しかろう。
是非見てみたい。博士はその足で竜安寺へ向かった。当時(大戦前)の京都の寺はいずこも 終日門が開いていて、人の出入りも自由だったという。

「私は竜安寺の門をくぐって本殿に入り、あの有名な石庭を前にした縁側に座り込みました。
月光に照らされた石庭の美しさ。私はしばらく身動きができませんでした。三十分、いえ 小一時間ほども私はぼんやりと庭を眺めていました。もう十分すぎるほど石庭に見惚れた後です。

ふと傍らへ目をやると同時に私は驚きました。いつの間にか私のそばに、一杯のお茶が置いて あったのです。誰が?いつの間に?どうして?想像するしかないのですが、おそらくお寺の誰か だったのでしょう。外国人の若い学生が石庭に見惚れているのを見て、邪魔をしないように、 そうっとお茶を置いていってくれたのです。私は、とても感激しました。」

こんなもてなし方ができる民族は日本人だけだ、と博士は思ったそうである。
「そして、だからこそ私は日本のことが大好きになりました。」

 

東海道新幹線内で夜通し仕事をしていると、稀に自分の存在が無になるような瞬間がある。

単独で待機していたり歩いていたりする時間が長いのだが、獣の気配のする関ヶ原の闇からはるか遠くの眼下に大垣の街を明かりを望み、月夜の冠雪した幻のような伊吹山のあまりの荘厳さに心は漂泊する。

血の匂いを感じる古戦場の町。

燃え尽きる炎の叫びが聞こえそうな特大の流れ星。

心を切り刻みそうな冷たさを感じる名もない川の足音。

幾千もの想いが漂う、眠る中山道の旧市街。

暗闇の底の見えない高架下。

巨大橋梁の枕木の隙間から見える黒く光る川面。

飛び降りたら、落ちたら、死ぬのだろうか。それとも瀕死の負傷で地獄の呵責を受けるのか。

そんな僕は遠隔操作の高性能カメラで監視されている。暗闇でも側頭部につけたIDカードの情報までくっきりと読み取れる。監視室にいる彼らはプロだから、きっと僕が何を考えているのかまでお見通しだろう。

 

キーンさんの見た月夜の石庭はどんな情景だったのだろう。

こればかりは映像では表現できないだろう。

映像では決して表現できないような情景を求めて日々を走り抜ける。

 

そんな日々の折りに京都でラーメンを食べてきました。

和食の本場の京都には繊細な和風だしを活かしたラーメン店が競うように展開しています。

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そんな中で京都、大阪で塩そばの雄として名を馳せる龍旗信へ行ってきました。

京都烏丸でかけがえのないラーメンを - Toujours beaucoup

先日訪問した麵匠たか松も近くにあります。完全にお任せでアテンドされ一切の予備知識も携えずの訪問です。

 

京都 龍旗信

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京都伝統商家建築とでもいいましょうか、間口が狭く奥行きが長い店舗でガラス越しの奥には中庭があります。この辺りの有名店の特徴で外国人観光客向けメニューも充実しています。

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シャンパンゴールドのアルマイト処理された伝統的な薬缶とステンレス製タンブラーで冷たい麦茶が用意されいます。この薬缶は外国人を喜ばせる演出なのでしょうか

ステンレス製のタンブラーのデザインとサイズが、お墓に生け花を活けるための花立のようで、また鏡面ではなくヘアライン仕上げのため金属味の舌触りが強く出てまい、お茶の味が死んでしまっていて、このお店のスタイルに若干の疑念を持ってしまいました。お茶や水は器の材質に強く影響を受ける(化学反応です)と思うので、ガラスか陶器の器にしてもらいたいものです。湯呑でいいじゃん。

なのでお茶の飲むたびに「歯医者で口をゆすぐ時の味」を思い出してしまいました。

薬缶の注ぎ口が潰れていて、お茶が綺麗に注げないのもいちいち気になります。

また観光地がゆえに仕方ないのかもしれませんが、完全にアウェイな扱いを感じる店員さんたちにも少しがっかりです。おまけにユニフォームのポロシャツの襟を立てています。

 

さて、気を取り直してと。出来上がってきましたよ!

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白湯鶏たいたんそば

載せられているのはチャーシューではなく、玉ねぎスライスをかき揚げたものです。色からしてホクホクサクサクのジューシーな味と食感を想像をしたのですが、ぐったりしていました。

 

クリーミーでダークなスープは、かなりこってりとしていて「どろどろ」といった表現が一番適しているのでしょうか。天下一品の「こってり」みたいなジャンクさではなく、繊細で上品な味わいで独特なコクがあります。

むしろコクというよりエグミに近く感じました。中細麺はゆるめでスープとの絡みがべったりとした食感で、そもそも基本的にスープも冷め気味で、喩えるならマイ食べログNGワード指定された「やる気のない風俗嬢」のようです。

オペレーションが悪くてこうなってしまったのか、意地悪されたのか、これが標準なのかはわかりません。

端的に表現するとスープというより、エグミのあるクリームソースの茹ですぎたカルボナーラスパゲティのようでした。

 

ごちそうさまでした。