Toujours beaucoup

いつまでもたくさん

心の歌を聴け

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若手の教員を育成する立場にあるベテラン教員のお客さんと話をしていました。

教職というか公職を生業とする人々は、職権や職域を侵したり脅かすものに対しての反応が過敏になりがちです。プライドが高いとか、その世界独特な狭義な価値観ともいいます。

これは別に批評しているわけではなく仕方のないことなのです。教員として公務員として選ばれた時点で、保守的なある程度似た属性になり、そこからさらに所属組織に振り分けられていくと、同じ釜の飯を喰うってやつですね、人格も画一化されてその職業の人格になっていくのだと思います。

氏に世間で議論になっている教職のあり方や働き方、そして尊厳についてなどの話題を振ると、一気にガードを上げてきて先制パンチを矢継ぎ早に放ってきました。

「民間だってバブルのころはいい思いしたでしょう、僕らはそんなことは無かったですよ云々」

そこかよ、と思いながらも、カウンターパンチを返す気もないので、そこそこにして話題を変えるために、こんな問いかけをします。

 

「教員生活で最高の瞬間はいつでしたか?」

「またずいぶんと○○な質問(つまり無茶振り)をされるのですね」

 

こんな問いかけは予想されていなかったようで、最適な答えを探すために逡巡されているのが手に取れます。

後出しジャンケンがしやすいように僕が先にジャブを放ちました。

「僕の場合はやはり、この仕事を始めたばかりの希望に満ちていた時です」

 

これは氏の立場が若い教員を指導されているのを鑑みて、教員の初心とその後の苦難や挫折についての考えを伺いたかったのもあります。

 

本心としては、最高の瞬間なんてまだ体験していませんし、その最高の瞬間を求めて仕事しています。何回かの疑似体験はあったのだけど、それはあくまでも通過点で、おそらくその瞬間は止めることが出来た時だな、そう考えています。なんかカッコつけてるみたいですけど本当です。

 

氏の答えは漠然としていて忘れてしましました。

波及した話の中で理想の学年という問いには

 

「全校に歌声が響き渡るような指導が理想」

 

どこのミッションスクールやねん!と心中でつっこんでしまいました。

本当にそう思っているのですか?と問い返したくなりましたが、議論しているわけではないのでスルーしましたが。

 

もともとマイノリティーの僕が間違えているのかもしれませんが、公立校でそれは無理だし、実現出来たとしても間違えているのではないのでしょうか。その歌声の中には苦悩や排除された声なき声もあるはずです。

 

そんな風に、人はある程度の年齢に達するとその職業の人格になってしまいます。

特に役職が高かったり、職域が狭いほどその傾向が強いのではないでしょうか。

 

だから、一流は「2次会に行かない」 | プレジデントオンライン | PRESIDENT Online

こんなことをドヤ顔して記事にしているってもう恥ずかしくなりますよね。

 

社会に対して相対的な価値を高めるのが教育なのか、ひとりの人間として絶対的な価値のあるものを高めるのが教育なのか。

 

以前書いた記事に関連します。

pooteen.hateblo.jp

 

また教員とは対極にあるような友人の話

pooteen.hateblo.jp