Toujours beaucoup

いつまでもたくさん

慟哭するザンパノ

 

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50歳になって会社辞めても大丈夫なんだろうか?いや大丈夫じゃないよね~ - 攻めは飛車角銀桂守りは金銀三枚

 

仕事がつまらないからと50歳過ぎで会社を辞めるのは危険すぎる - スネップ仙人が毒吐くよ

 

同年代として身に詰まされる話だけど、結局のところは成るようにしかならないから実のところはどうでもいい。

前者の将棋マンさんは、スキルが高いがゆえに閑職を得たのか、寛大な企業で引退への花道で閑職に置かれたのか、はたまた会社が追い出そうとしているのかは分からない。

大企業や役所などきちんと機能した大きな組織(もちろん硬直した組織の短所はあるだろう)に属していると、定年というゴールテープが見えてくると、役員でもない限りは前線からは戻され、トレーナーやご意見番的な閑職に置かれ、ある意味フラフラしていればいい。

僕の出身高校の同級生は地方公務員や地方信用金庫のような、ホワイトカラーマイルドヤンキーが多い。真面目にこつこつと長年勤めあげ、うつ病や不倫に悩んでみたり子供の教育にも執心してきた。現在彼らはエクセルで計算できる死ぬまでの予算計画に余念がない。FPの出番である。僕にいわせればファッキンプランナーだけど。

並行して天下り先のリサーチに余念がない。

僕にいわせれば糞だ。

 

一方の僕はスネップさんみたいなもんだ。同列に並べてんじゃねえ、って思われるかもしれませんがご無礼をお許し願いたい。

つまり僕は一人ブラック企業つまり自営のワークショップと、掛け持ちして夜じゅう新幹線を追っかけているからまあま稼いではいるが、いかんせん不安定だ。とにかく不安定だ。自由という鎖はとにかく重たい。

トンズラやバンザイする取引先やお客さんも珍しいことではないし、退職金や休業補償は一切ないしうつ病になっている余裕もないぐらいだから、エクセルで生涯計画なんて絶対にできない。いや、できない自分の能力が低いのだし自己責任である。家を何軒か建て世界を何周かできるくらい生業に突っ込んできた顛末でもある。

泥舟で飛び出して、歓喜の大観衆に心を燃やし、鈴をぶら下げた鹿のトロフィーを狩っている間に、地元の同級生たちは時には真面目にこつこつと(時には不真面目に)働き蓄え、壮大な住宅ローンを組み、うつ病や不倫に悩んでみたり子供の教育にも執心してきたのである。

 

結局のところ本人のスキルの結果でしかない。

だから将棋マンさんが辞めようが会社にしがみつこうが、成るようにしかならない。いずれにせよ同じことの繰り返し。結果には誠実になるしかない。

能力のある者は組織に居ようと居まいと、看板やスペックの如何に関わらずうまくやっていくし、中途半端なやつはいつまでも中途半端なまま。最後は綱渡り芸人のようにザンパノに殴り殺されるか、断食芸人のように野垂れ死ぬのだ。

そしてそれは僕だ。

 

 

 

京都烏丸でかけがえのないラーメンを

食べログでなかなかに読ませる印象的なレビューを書いている人の文体で書いてみました。

普段の僕の表現と全く異なるので興味深くまた面白かったです。

 

 

ここまでラーメン屋のレビューばかりを書いてきたが、ここでひとつ京都で出会ったハイレベルな店を紹介する。


紹介するとは言っても、京都では今更という感の強い有名店であるのが予想されるが、今月の関西出張でかなりのハイペースで目ぼしいラーメン屋を巡ってきた中で、改めてここ京都の麺匠たか松を訪れた感想を記しておきたいのである。

ラーメンという食べ物の味わいが、それを食べる「場」と密接不可分であるということを最もよく実感できる店であると思った。


もとより京都という土地柄からして、訪れる者を独特の情趣で取り巻くようなロケーションの強みに富んでいるのだが、この店は正にそんな京都の風情と多様な人々の情味が凝縮された場である。

麵は長野県産小麦を石臼で挽いた全粒粉を混ぜ込んで作った、小麦の風味たっぷりの特製麺で、日本蕎麦のような褐色の麺はやや細めに切り出してある。つるつるとしたノドごしと、ざらざらとした舌触りが上品でありながらも、どこかクセになる食感が特徴である。

スープは豚、鶏、海老やホタテ、そして数々の魚介のれぞれの味を抽出するために、最適な時間で別々に炊き込み、その出来上がった出汁を順番に合わせて、スープを完成させている。

つけ麵は3幕に及ぶ世界が楽しめる。1幕では切れのあるスープの味と麵の小麦の風味をストレートに味わう。2幕では麵を半分ほど食べ進んだら、添えてある玉ねぎのみじん切りを入れると、シャキシャキとした玉ねぎの食感と香りがスープの旨味を深め、玉ねぎの甘味が素晴らしいハーモニーを醸し出す。3幕では添えてある酢橘を麵に絞ってそのまま味わってみると上質な日本蕎麦のような味わいに驚くだろう。そしてその酢橘を振った麵をスープにつけると、2幕の濃厚さがすっきりとした世界に変化する。

またらぁ麵においては随時、黒七味や黒ばらのりでスープの味の変化を楽しんでもらいたい。魚介のえぐみや苦みを全く感じさせないクリーミーなスープは秀逸であり、それに黒ばらのりを振りかけると、一気に磯の香りが広がったのには心底おどろいた。

 

メニューとしては一押しの「つけ麺(鶏魚介) 850円」、基本の「煮干し香るらぁ麺 680円」、【期間限定】の「老舗の蔵出し味噌らぁ麺 800円」など。

 

若くキビキビとしたスタッフたちは、優しく親切な接客であり、初めて訪れる客もまず店の人から掛かる一声で魔法のように肩の力を抜け、自然と店内に溶け込めるのである。
一見さんお断りの気質もある京都であることを忘れさせてくれる、これこそがこの店の持ち味とも言えよう。
京都に息づく生活感を醸し出す学生や会社員風の人々らと、遠方から訪れる観光客とが自然と小さな空間を共有する連帯感をもって調和するような、不思議な親和性がここにはあった。

外から見れば、ただの小さなフランチャイズ風漂うラーメン屋である。
しかしここではオリジナリティあふれる日本蕎麦のような麵と、手を尽くして仕込まれたスープらを昇華させるセンス、そして京都の町の情味とが渾然一体となって、一つのご馳走が供されている。

ひとたびこの味わいに触れたならば、再訪は必至であろう。

何よりもこの好立地と手を尽くした料理での、この安価な価格設定にも驚かされた。
思うにこれが、日本人の料理としてのラーメンというもの提案なのではないだろうか。

ごちそうさまでした。

 

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ミッドナイトエキスプレス 生き残れ

生業であるワークショップとは別に、知り合いの会社で新幹線の仕事をしていて東海道中山道をウロウロしている。

年間100日ちょっとのミッドナイトエキスプレス

今年から覚書きで簡単に別ブログで記録をしているのだけど、昨晩は特別に京都特集で少し書いた。

 

judy.hatenablog.jp

 

 

映画「Na Komete」 彗星に乗って 1970

 日本海軍の複座雷撃機「彗星(Judy)」搭乗員の事を調べていていたら思わぬ拾い物。

こんな映像はとても好き。

数式にするとこんな感じ。

 

フランツ・カフカ+サンテグジュペリ)/ジューヌ・ヴェルヌ=Na Komete

 

つまり1888年北アフリカのフランス植民地を舞台にしたファンタジーを、ジュール・ヴェルヌの世界観で描いている。

 

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色あせたセピア色のヴェルヌタッチの背景画の中で、絵葉書の中から出てきた美しいヒロインは色あせた世界の中でも輝き、古典落語の「時そば」のようなエア卵焼きのシュールさなど、ロマンティックかつコミカルな映像が幻想的な世界を描き出している。また非現実的なストーリーの中には、当時の世情への風刺も盛り込まれいるのが、この映画の味わいを深くしている。

 

On the Comet - Wikipedia

 

 

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youtu.be

youtu.b

 

 

『聲の形』を観てきた

koenokatachi-movie.com

 

「聲」という旧漢字から声に大きな鍵があるんだろうと思っていたら、聴覚障碍者と贖罪をテーマしているようで、萌えキャラのアニメーションとは裏腹に重たそうな映画なんだ、と思った。

 

 

いつだってヒマー!!

そんな犬みたいに無邪気な小6の少年石田将也のクラスに転校生の少女がやってきた。

教壇の少女の目線の高さからクラスを見渡すカットは、クラス中の好奇の目が集まっていて、僕も少年時代の転校時の銃殺隊の前に立つような気持ちを思い出した。

 

西宮硝子

ガラスと書いてしょうこに、ガキ大将也りのしょうや

その後ストーリーは「名は体を表す」ように展開していく。

 

聴覚障碍者の硝子は補聴器を着けていて、発する声は言葉にならない。

僕は転校した先の沖縄の小学校の通学路の途中に聾学校があり日常的に聴覚障碍者の子供たちと接する機会があった。でもいつも駆け足で通り抜けていた。恐れていたのだ。

コントロールできない言葉にならない大きな声で近づいてくる彼らを。

 

梢子は懸命に筆談でコミュニケーションを望んだ。ガラスのような透明感と脆さを感じさせる硝子に、無邪気な将也は無邪鬼となり襲い掛かる。残酷な鬼はじわじわと獲物の急所に迫っていき、遂には梢子の補聴器を何台も壊した挙句に傷を負わせてしまう。

 

・・・屑教師東京裁判を行う・・・・

 

A級戦犯となった将也は学校中から村八分にされる。もちろん屑教師からも。

肉体は生きているが心は公開処刑で死んだのだ。

硝子は肉体と心に深い傷を負ったまま学校を去る。

 

・・・五年後に高校生となった将也は彼なりのケジメをつけようとする・・・・

親代わりの姉が西宮家に払った慰謝料を、必死にバイトした金で返した後、赤いトラス橋の欄干の上に立つ。肉体も葬り去るのだ。

 

とにかく教師が屑だ。

だが教師が生徒に一生消えない心の傷を残すのは珍しいことではない。

赤い橋はなんだか既視感があった。ストーリーが進んで行きロケーションとなった遊園地は長嶋スパーランドにそっくりだ。

ん・・・・

街中の公園の川の鯉?

名鉄

大垣??

松尾芭蕉大先生のゴール地点水の街の大垣。

 

正解

 

・・・そんなことはどうでもいいですね。

 

キーとなるポイントの美登鯉橋の下に流れる人口川の鯉が、何回も劇中でクローズアップされていた。それから水中からの映像も何回も。

なぜ?大垣の宣伝?いや違うべ

まて

水中ではどうやって音は伝わる?

言葉つまり声でコミュニケーションをとれるのか?

水中では音の伝わる速度が速いから、大気中とは違った声が聞こえて言葉にならないのでは。つまり水中では「声の形」が壊れてしまいコミュニケーションをするのは困難だ。

繰り返される美登鯉橋のシーンは、コミュニケーションの断絶を象徴的に現わしていたのだろうか。

 

ミスコミュニケーションによって何度もすれ違い、ぶつかり、逃げ、壊れる、将也と硝子と仲間たち。

 

ハンデキャップを持った人々の社会の居場所、いじめや差別、教育や子育て。

 全てはミスコミュニケーションの結果。

 

ファンタジーとノスタルジーを純粋に楽しめた『君の名は』とは異なり、『聲の形』は残酷な現実の世界を突き付けられて、苦しかったし苛ついた。

僕が感じたこの苦しかったり苛ついた感情は、将也の感情でもあり硝子の感情でもあり上野たちの感情でもあるような気がした。

世の中には白黒つけずに、正視しないで逃げた方がいいこともある。

親として逃げ方を教えるのも大切だと再認識した。

だって、将也と硝子が生き残ったのは運が良かっただけなんだから。

命がけで白黒つけなくてもいい、逃げてもいいんだ。永遠の時が癒してくれるかもしれない。

 

生き残れ

 

 

 【参考】

聲の形 感想│騒然の話題作!障害やいじめを題材とした目的とは|PUUL(プウル)

はてなブログで良かったなと思う黄金の時

はてなブログのおすすめ記事にこんなブログがあった。

はてなのおすすめ記事ったって、何が基準なのか分からないくらい(つまり僕の物差しがおかしい)、同じようなぺらいブログばかりなんだけど、久しぶりに尖がった感性の文章に出会えてうれしい。

 

kasasora.hatenablog.com

 

作者のマキノさんはオリンピック選手のトレーニングなみに、恐ろしいぐらい文章を読んでいるのは容易に想像できるし、文章に昔のスケバンが持っていたカミソリのような切れ味がある。

 

常として、こんなブログとの出会いがあると、まずは一番最初のエントリーを読んで出自を想像し(だって第一声が一番その人を現しているような気がする)、そのつぎはアーカイブを見る。だいたいは出生人口分布図みたいにエントリー数に波があるから、その中から突出したエントリー数の2010年に水深も見ずに飛び込んでみる。

 

ビンゴ。

じわじわくる文章にあたってまたうれしい。

 

みんながいいおうちだと言うにちがいない新しいマンションで夜中に目が覚めると自分は地面に寝ればいいんだと彼女はきっと感じてしまうのだろう。私はそう思う。だってこのマンションはお金がかかっているけれど、手がかかっていないからだ。傷のある人は手のかかった場所にいたほうがいい。でもその傷はもう、ずいぶん古いものだから、新しいマンションにいてもだいじょうぶだろうとも、私は思う。

第二こじま荘のこと - 傘をひらいて、空を

 

 

 

感性豊かで饒舌な僕の友人のマキノくんを思い出してしまった。

きっとマキノ姓には特別な何かがあるに違いない。

 

手札を並べよ - 傘をひらいて、空を

 

この人生の選択をカードゲームに喩えるのってどっかの誰かみたいだ。

断食芸人は「自分に合った食べ物を見つけることができなかった」と息絶えた

 

ずいぶん前に通りすがりの7-11のゴミ箱にプライドを捨てた。

私的なゴミを持ち込んだのは悪いとは思っている。でもそのおかげで今でも何とかやっていけているし、毎日のようにnanacoカードで買い物しているから許してもらいたい。

 

fujipon.hatenablog.com

 

大学を辞めた。死ねない呪いと向き合う毎日。

そんな三田くん(仮名)をfujiponさんが案じている。

 

気持ちは分かる。確かに社会は悪い。けどやれ社会が悪いだのADHDだの嘆いて..

そして赤門くん(仮名)は三田くんと同年代で、三田くんと似たようなバスに乗り目的地は近い。気の進まないままチケットを手に入れた就職という次のバスは、立派な見栄えのいいバスだが、同乗者もドライバーも目的地はどう見てもミスマッチで今から憂鬱でしかたない。

赤門くんは、バスを途中下車してトボトボと歩いている三田くんにいう。

 

残された奨学金だけは懸念材料だけれど、自分の置かれた状況を認識し、プライドを捨てて行動すればやり直しは不可能ではないと思う。ぜひ好きなことをして幸せになれるよう祈っています

 

そう、今すぐにザーメンハウスのゴミ箱に、イカ臭いティッシュと一緒にプライドも捨てるべきだ。

でもできまい。

 

三田くんはこんなことを言っている。

自分としては本命の国公立ではなかった。本命東工大数学1問分で落ちた。

 

これはある程度勝ち負けを経験してきたものなら分かるだろうけど、あと一問で負け続けたヤツなんてごまんといる。数学1問分で落ちたという甘美な慰めと言い訳は毒にしかならない。

 

赤門くんから三田くんに対するアドバイスとしてこんなものがある。

 

①: 自分の置かれた状況を認識する。まずはプライドを完全に捨てる。

今のあなたは、社会不適合者であり引きこもりニートであり、4年も年を食ってしまった高卒である。厳しい言い方だが、その現実直視してプライドを捨て去ることで、自分に合った道を模索する必要がある。

②: 大学に入り直すことや資格取得を目指す

知り合いでも同じように大学を3留中退→1年の浪人生活の後某有名私大に行った人がいるが、意外と就職も何とかなっているようだ。時間はあるのだから難関資格の一つでも取れれば大きくチャンスは拡がるはず。やり直しはいくらでもできるはずだ。

③: 自分長所や熱中できることを見つける

とは言っても本当に社会生活が向いてないのかもしれないし、仮に②ができてもそれが自分に合わなければ今回の二の轍を踏みかねない。

①で述べたように、まずはプライド世間体を一切考えずに、自分の好きなことや熱中できることを探してみてはどうだろうか。ものによってはフリーランスででも食べていけるかもしれないし、会社勤めしたとしても好きなことなら続きやすいだろう。

④: ①、②、③もダメで、親でもナマポでも奨学金でも利用できるものは利用し尽くして、それでもダメならその時死ぬことを考える

 

大学に入り直すことや資格取得を目指す

 

赤門くんは、自分を知り御して乗り越えてきただけに的確である。

だが、三田くんは①も②も③も無理だろう。あてもないままバスを途中下車して、ヒッチハイクする執着もなく、峠の無料休憩所に居座ってしまった。

 

僕の同級生の友人御茶ノ水くんは、三田くんと同じような状況に陥り、プライドを捨てられないまま拗らせて、自分に合った生き方を見つけることができないまま50歳を迎えてしまった。

40くらいまではそれでも、持ち前のIQの高さと学歴で派遣仕事で食いつないできたが、どれも契約切れでバスを下ろされ、40越えるとチケットすら手に入れられなくなった。プライドの高さと偏狭な性格が災いしてきたのは明白だ。面倒な乗客としてバスを下ろされたのだ。

御茶ノ水くんは、40越えてからは資格取得をし職を得ようとしている。だが、資格で食えるような仕事こそ社会性やコネが要求され、チケット売り場に永遠に並び続けることになる。

御茶ノ水くんは幸か不幸か、親元にいて衣食住には困っていないし、遺産で何とかもなるのだろう。だが社会を恨みネトウヨ思考に傾倒し引きこもる御茶の水くんを、おせっかいな友人として見ていられない。御茶ノ水くんは飲みに誘えば3回に1回ぐらいは応じるし、おっぱいパブでは楽しそうだった。

戸塚ヨット式ではあるのだが、御茶ノ水くんを穴から引きづり出してフィジカルから人間を変えるべく、僕の関連する会社で現在チャレンジしてもらっている。

最初は意欲的で頑張っていたし周囲も大目にみてくれるから何とかやってきたが、一年経った今状況が芳しくない。うまく出来ない引け目とプライドから彼は頑張らなくなってしまった。寛容な会社だから能力が足りなくてもプッシュする姿勢を見せれば評価してくれる。だが頑張れないものには次第に周囲も諦めで厳しく当たるようになり、序列の低い仕事に回される。予想はしていたが、仕事自体は彼に合っているようだ。でも逃げ続けてきたツケが回っているようだ。

傲慢な言い方かもしれないが、社会復帰する最後のチャンスである。頑張ってもらいたいから、最近は密にケアして裏から操っている。

 

三田くん。

あっという間に時間は経ち御茶ノ水くんになってしまうから、環境を無理やり変えるしかないと思う。

とはいえ自分で環境を変えるのは無理だろうから、無理やり自分を変えてくれるような環境にダイブするか、無理やり自分を変えてくれるような人に出会える場所を目指すべきなのでは。

本当に死にたいのなら、とにかく巣を出て飯場に身投げして人間改造してみてもいいと思う。

 

以前にも取り上げたが、フランツカフカの「断食芸人」という短編がある。

 

断食芸はかつては人気の芸だった。断食芸に対して町中が沸き立ち、断食が続くにつれ、断食芸を間近で見るために席を予約するものまで現れたほどだった。断食芸人は格子の付いた檻の中に入り、敷き詰めたの上に座ってじっとしている。檻の中には他に時計が置かれているばかりである。断食芸人は時おり水で口を湿らす他は何も口にせず、また人目に隠れて物を食べないようにと常時見張りが付いている。芸に対して誇りを持っている断食芸人は、見張りが厳しければ厳しいほど喜んだ。興行は決められた日数である40日間続けられ、それが終われば音楽とともに人々の間に出迎えられる。しかし断食芸人は、40日で断食をやめなければならないことに不満であった。

今では断食芸の人気はすっかり衰え、断食芸人は相棒の興行主と別れてサーカス一座と契約を結ばなければならなくなった。断食芸人の檻は動物小屋とともに並べられるが、珍しい動物を見にやってきた人々は断食芸人に興味を示さない。断食芸人はすっかり忘れ去られてしまうが、今や自分が望むだけの断食を続けることができた。ある日、監督が断食芸人の檻に気が付いた。藁屑を掻き出すと、断食芸人がまだ断食を続けている。問いかける監督に対して、断食芸人は「自分に合った食べ物を見つけることができなかった」と述べ、息絶える。断食芸人が片付けられると、その檻には生命力に溢れた豹が入れられた。

 

断食芸人のような生き方もあるだろう。それがいまの三田くんや御茶ノ水くんの姿だ。

 

やったらええやん - Toujours beaucoup