Toujours beaucoup

いつまでもたくさん

fridayusao on approach

fridayusao.hatenablog.com

 

fridayusaoさんの沖縄帰りの、大阪伊丹空港へのアプローチをグーグルで探してみた。

あった。グーグルすごい。

 

昔は気になっている子の家をアナログで探してみたもんだけど(つまり自分の足で)、現代っ子はグーグルで探したりしているのだろうか。

あー別にfridayusaoさんへのスートーカー行為ではないです。

 

f:id:pooteen:20161111162720p:plain

 

 

Google マップ

1ガロンの苦汁よりも 一滴の蜂蜜を用いたほうが多くの票がとれるらしい

プーチン、キンペーにドゥルテときてトランプさん。

日本は石原慎太郎クラスじゃないとやられちゃうよ。

 

「1ガロンの苦汁よりも 一滴の蜂蜜を用いたほうが多くの蝿がとれる」

リンカーン大先生のお言葉を思い出しました。

 

蠅=票だったんだ。

 

 

個人的まとめ

www.huffingtonpost.jp

 

kyoko-np.net

 

lullymiura.hatenadiary.jp

 

 

shiba710.hateblo.jp

 

gendai.ismedia.jp

夜明けのワイルドビート

昼前にスーパーの魚屋さんが鯵のタタキを差し入れしてくれた。
185円だったかな、激安。

それで魚屋が言った。
「これ実はボラも混ざってんだ。でも食べてみて、美味しいから。そのままワサビ醤油でもいいし、味噌汁にぶち込んでもいい」

 

仕事で調理が深夜というか夜明けになってしまって、時間経っちゃったからセブンイレブンのお惣菜「豚汁」に入れてみた。

磯の香りと獣のアピールがワイルドビートのようであり、もう最高のアラ汁になった。

なんか飯場汁みたいだけど、しばらくハマりそう。

 

 

 

ハロウィンのエイリアン襲来

「宇宙人襲来 H・G・ウェルズ」のラジオドラマ騒動

1938年10月30日ハロウィン特別番組として、アメリカのラジオ番組『Mercury Theatre on the Air』で放送された。この生放送は多くの聴取者を恐怖させ、実際の火星人侵略が進行中であると信じさせた。

侵略がフィクションである旨を告げる「お断り」が何度もあったと言われるが、そのうちの1度は放送開始直後、残り2度は終了間際であったため、その間、聴取者側から見れば、混乱と恐怖のための時間が充分残っていた。

 

 

「外国人は叩き出せ」

トランプ大統領候補がこう言ったところ、先住民族であるネイティブアメリカンが返す刀でこう言ったそうだ。

「君も出てゆくことになるが」

 

日本人でも顔つきを見ていれば多民族国家なのは明らかである。縄文顔、弥生顔に大和人、アイヌ人、琉球人。

東南アジアの国々を見ていると、統治国(侵略国ともいう)の色が顔立ちに大きく出ている。土着の顔に、世界を制覇したスペイン系、中華系が代表的で、加えて近代のフランス系やオランダ系に一部韓国系や日本系など。

 

蓮舫さんの二重国籍問題は個人的にはどうでもいいし興味もない。

たしか大日本帝国憲法では朝鮮籍や台湾籍でも参政権があったはずだ。そこだけは現憲法よりまとも。二重国籍については知らんけど。

 

在日外国人たちが所持している外国人登録証はエイリアンカードと呼ばれている。本当にAlien Registration Cardと実際に記載してあったのがビックリなんだけど、今ではresidence cardとなっているが、今でも通称はエイリアンカードだ。

おまわりさんは今日も気の弱そうな外国人を捕まえちゃあ「エイリアンカード見せろ」なんて言ってる。

 

アウトサイダーどころかエイリアンだよ。

 

異質なものを排除するのが大好きな日本人らしい呼称。日本は鎖国していたおかげで、南蛮の宗教を使った侵略や不平等貿易からは逃れることはできたのだけど、鎖国していた200年という時間が長すぎたのか。開国してからはまだ150年ほどで、鎖国していた時間の方が長いから、外国人は異質なものでありエイリアンなのだろう。

動画「2016年9月 GONE TO HELL」では、パリの一部が大きな難民キャンプと化している。北アフリカ系の移民のケアが限界を越え、当局が難民・移民キャンプを解体したことから、路頭に迷った移民・難民が大量発生し市内の一部でテントを作り始めているという。

youtu.be

移民の歴史の長いフランスでも対処に窮している移民・難民問題は、移民鎖国の国日本ではさらに困難な問題となるのは容易に想像できる。

受け入れインフラと法整備はやるかやならないかだけなのだが、日本人が新たなるエイリアンの襲来に順応していけるのだろうか。

日本はただでさえ、自国やホームレス問題や、対処できない戦後のどさくさからの不法占拠者や、人権問題を抱えている。

また移民難民を積極的に受け入れて成功した国は聞いたことがない。

日本にもかつて難民を積極的に受け入れてきた経緯もある。1978年から、受け入れが終了した2005年末まで、インドシナ難民総数144万人中11,319人を受け入れてきた。インドシナ難民とは、1975年のベトナム戦争前後に、ベトナムカンボジアラオスなどで、相次ぐ社会主義体制への移行を拒否してきた難民である。政府はその際、受け入れ以前、難民条約批准にしてこなかったが、「閣議了解」で受け入れを決め、定住促進センターをつくり、日本語教育や職業紹介・職業訓練をしてきた。

日本の難民受け入れ問題はどのような状況か?

 

国内における難民の受け入れ | 外務省

 

貧しい国が豊かな国へ移民するのは世の習わしでもある。戦前の貧しい日本からは多くの移民が出た。それこそ豊臣秀吉の時代から当時は豊かだったフィリピンや、近代に入ってからの鉱業、農業で栄えたブラジルやアルゼンチンなど。これは日本だけではない。イタリア系移民の物語「母を訪ねて3千里」では、マルコがアルゼンチンに移民した母を追い遠き旅に出た。

またそれ以前には、有色人種は南蛮の国へ奴隷として地獄行きの絶望の旅に送られた。

 

pooteen.hateblo.jp

 

それでも、日本に住むブラジル系や東南アジア系のコミュニティーは、色んな問題を抱えながらも少なくとも我が町では定着しつつある。友人も大勢いる。日本の都市で働いている地方出身の人々も移民のひとつのかたちで、近いレベルになりつつあるのかな。

在日朝鮮人など特殊な背景もある、日本独特の移民文化としてうまくいけばいい。

 

H・G・ウェルズは「戦争を終わらせるための戦争」という著作も生み出した

「戦争を終わらせるための戦争」(せんそうをおわらせるためのせんそう、英語: The war to end war)は、第一次世界大戦を表すために使われた言葉。「すべての戦争を終わらせるための戦争」(英語: The war to end all wars[1])とも呼ばれる。もともとは理想主義的な言葉であるが、現在では軽蔑的に使われている[2]

 

「移民を終わらせるための移民」になってはいけない。

 

日常

いつもお昼過ぎに、とても優しい目をした柴犬が僕のワークショップの前で立ち止まりこちらを見る。

 

やあ、調子はどうだい?

 

尻尾をブンブン振って「やっほー僕だよ!!!」って風ではない。

その柴犬は老婆を連れている。つまり傍から見ると柴犬が老婆の散歩に付き合っているように見える。

老婆は言う。

いつもこの子はここで止まってあなたが来るのを待っているのよ。あなたの事が好きでねえ・・・

一字一句変わらない会話が毎回繰り返される。

 

ばあちゃん、そうじゃなくってばあちゃんがバイク屋に会いたいんだろ?

 

会話の間柴犬はそんな顔をして待っている。

 

そして柴犬は、ばあちゃんの先に立ってゆっくりと歩きだす。ばあちゃんの方を時々振り返りながら。

 

明日も会えるといい

 

 

Far East side Sushi

「お客さんすみません、あいつらには参っちゃいますよ」

カウンター越しの板前もどきが、ボックス席の団体客に目配せして言った。大きな箱の比較的まともな味の回転寿司で、近海魚と炙りものばかりを食べていた。遠洋魚はここの店で期待するのはお門違いだ。

そうやって鮨と国際化のことを考えていると、なんだか鮨は日本文明そのものに似ていて、排他性や過剰な厳格さ、暗黙のうちに了解されているコードに満ちた世界で、文明の普遍化といっても、その過程で個性を失ってしまうものもあれば、うまく個性を生き延びさせて、海苔がハラペーニョに変わり、トロの代わりにアボカドが巻かれる、というふうにうまく本質を保ちながら普遍化して受容されるものもあって、失敗しつつあるほうの例を挙げれば、アニメが代表になるだろう。

未来鮨 | ガメ・オベールの日本語練習帳v_大庭亀夫の休日 

 

板前はこちらに配慮して、外国人観光客の無作法さを詫びるアピールをしてくれているが、そんなことは折りこみ済みだ。ショッピングモールや映画館などがある大きな商業施設の一角にこの町では一番大きなホテルがあり、積極的に外国人団体客を誘致している。

中部国際空港着の午後の便で来日した彼らは、一目で判別できる彼らように仕立てられた観光バスで夕方に豊橋に着く。そしてホテル近隣で買い物や夕食を済ませてて、翌日はほとんどは富士山観光に行くという。

ショッピングモールには彼ら向けに特化した商品が大量に陳列されている。フードコートにある知り合いのお店でも彼らが客となる。単価は安いのだがとにかく数の原理で、一発で大きな売り上げになる。

回転寿司屋が大きな箱なのも彼らの需要を見越しての事である。商魂逞しい2代目のオーナーは意欲的に多品種多店舗展開をしている。僕の目から見れば、官僚に踊らされる政治家のように、2代目は経営コンサルタントに踊らされているようにしか見えないけど、地元では名の通った青年実業家だ。それに比べれば、僕のワークショップの売り上げは彼らの店の1ボックス席分にも及ばないかもしれない。糞だ。

彼らは6人掛け程度のボックス席に倍ぐらいの人数で陣取って、寿司だけでなく彼らまでも回転している。テーブル単価は抜群じゃないか。オーナーの狙い通りだよ。

おい板前もどき、工業製品みたいな寿司を握ってるくせに、いっちょまえの口を利くんじゃねえ。おまえのせいで俺の寿司の味がまずくなるじゃねえか。

 

www.youtube.com

 

 寿司だけではなく料理やおもてなしは心だと思う。

Latinoの彼女が握った寿司はどんな味なんだろう。

 

SUSHI - Toujours beaucoup

「君の名は」 On the Road 旅の終わりに

夏の通り雨が運んでくる匂いは郷愁にも似ていて、あっという間に遠い過去へ時間旅行できることがある。

 

娘と映画「君の名は」を観てきた。

アニメ、セカイ系ロキノン系、ギターとおそらく夢を抱えた少年少女たち。

その世界観を正視できるのか不安だった。

 

目が覚めた女子高生の三葉が自分の異変に気がついた。手元にはおそらくiPhone4であるスマートフォンがある。3、4年ぐらい前の機種で時系列の鍵の存在に感じた。

主人公の立花瀧宮水三葉が夢の中で入れ替わり、それぞれの多感な日常を駆け抜けていく。いわゆる男女入れ替わりストーリーもんだ。

「転校生」

まいったな・・・旧式の脳がPCの壊れかけのHDのようにカタカタと音を立てそうな勢いで反応しだした。

1982年の映画「転校生」は大林宜彦が産みだした、尾道の旧市街を舞台にした高校生男女入れ替わりストーリーでとても印象に残っている。尾道の旧市街の海峡と山に挟まれた光溢れ郷愁を誘う街は、旅情を深めるようにストーリーの色を深め、オープニングとエンディングだけ、モノクロ8ミリフィルムで表現していたのも、心の柔らかいところに響いた。

「転校生」は「オンザロード」と二本立てで、17歳の高校生の僕はイッコシタの女の子と、バイク好きな僕が「オンザロード」目当てで観に行ったのだった。

ところが「オンザロード」は秋川リサの濡れ場は我々には刺激が強すぎ、また何ひとつ人生を生きていない我々には「オンザロード」の世界観はさっぱり理解できなかった。

「オンザロード」は実は大きな情熱をもったタイトルで、ボブ・ディランの人生を決定づけたとも言われるアメリカの作家ジャック・ケルアックの「オンザロード」から由来しているのは、今となってはハッキリと分かる。2012年にはケルアックの「オンザロード」は映画化された。

 

ジャック・ケルアック - Wikipedia

映画『オン・ザ・ロード』予告編 - YouTube

 

1982「オンザロード」は評価としてはB級映画であるかもしれないが、反体制と正義を貫くためのロードムービーで正しくケルアックのオンザロードの精神を貫いていた。またゲリラ撮影で撮られたという荒唐無稽さが記憶に刻まれている。

On tha Road 旅の終わりに

↑ いつかレビューをリンクします。

 

だが当時はオマケで観た「転校生」が、多感でまだまだ純粋だった17歳の僕には強く印象を残し舞台の尾道聖地巡礼の旅にもつながったのだ。

 

・・・・

 

そんなことを思い出しながら「君の名は」は始まった。

とにかく背景画が実写かと見紛うばかりに写実的で美しく、ヒロインの住む山間部のどこか懐かしい村を描いていた。湖、山、水力発電、祠、商店、学校そして光と闇。

 

「君の名は」のストーリーとともに、懐かしい記憶のロードムービーがパラレルで同時進行しだしたのだ。

 

・・・・

 

三葉の住む糸守町を遠くの山から俯瞰した映像が出てきた。その後の展開の鍵にもなってくる「組紐(組糸)」伝承の地で糸守湖の畔にある村で、これはビジュアル的には諏訪湖を、背景としては飛騨地方をオマージュしていることはすぐに分かった。

三葉の口咬酒を奉納した深山の果てにある火山湖は乗鞍岳権現池であり、旅情あふれる高山本線や美しい飛騨の街はそのままに描かれていた。

 

f:id:pooteen:20161029102749p:plain

権現池

そしての瀧の住む東京は、懐かしい四谷、新宿、渋谷、信濃町などの街並みや鉄道がくっきりと描かれていた。

astral01.hatenablog.com

 

しばらくすると気がついた。この映画は三葉と瀧の男女入れ替わりストーリーの本旨とは別に、パラレルで野山の美しくも陰鬱な地方都市から上京した若者が育っていき、人生を振り返るような歳になった時の郷愁を、ロードムービーのようにも描いている。

特に僕自身のログがあるような場所ばかりで、シンパシーを強く感じた。

 

ところで冒頭で三葉が使っていたiPhone4の3、4年前の時系列から、瀧のシーンでは瀧はiPhone5もしくはiPhone6が使われていて、ここ1、2年の時系列と混在していていた。実は瀧と三葉の間には3年という時間差があったのだった。

 

【三葉】三葉がどうしてもまだ見ぬ瀧にどうしても会いたくなり、飛騨古川駅から東京を目指すのだが、山手線の中で出会った瀧は三葉より年下の中学生だった。

 

【瀧】入れ替わりがなくなったために、三葉の村を俯瞰した絵だけを頼りに、瀧が三葉に会いに行くと三葉は3年前の隕石落下で村ごと死んでいた。

 

・ちなみに三葉と瀧は繰り返される入れ替わりと、お互いのスマホや紙にメッセージを残しあうことでお互いを認識しあうことが出来ていた。

・つまり三葉が死んだために入れ替わりが無くなったのだ。

iPhoneの仕様違いというタイムパラドックスはここで解決したのですね。

 

瀧は3年前に三葉が死んでしまっていたという現実に打ちのめされるが、奉納された口咬酒や、三葉が中学生の瀧に渡した組紐が、隠された時間の変数になっていきます。

そして・・・

 

ここから先のストーリーはもう書きません。

 

あの日の夜の祭りばやしや参道、そしてバス停から送電線にいたるまで・・・僕にとって「君の名は」は、遠い過去へのロードムービーのようで、それが17歳のデートで見た映画からジャック・ケルアックにつながる、終わらない夢のような心の旅ができたのは思わぬ収穫でした。

おまけにボブ・ディランノーベル文学賞まで獲りやがった。ケルアックのおかげだぞ。

ノーベル文学賞2016 - Toujours beaucoup

娘は娘で純粋にファンタジーと世界観や音楽を楽しめたようです。

 

ふう・・・やっと書けたけど、なんかしっくりしない。

 

pooteen.hateblo.jp