Far East side Sushi
「お客さんすみません、あいつらには参っちゃいますよ」
カウンター越しの板前もどきが、ボックス席の団体客に目配せして言った。大きな箱の比較的まともな味の回転寿司で、近海魚と炙りものばかりを食べていた。遠洋魚はここの店で期待するのはお門違いだ。
そうやって鮨と国際化のことを考えていると、なんだか鮨は日本文明そのものに似ていて、排他性や過剰な厳格さ、暗黙のうちに了解されているコードに満ちた世界で、文明の普遍化といっても、その過程で個性を失ってしまうものもあれば、うまく個性を生き延びさせて、海苔がハラペーニョに変わり、トロの代わりにアボカドが巻かれる、というふうにうまく本質を保ちながら普遍化して受容されるものもあって、失敗しつつあるほうの例を挙げれば、アニメが代表になるだろう。
板前はこちらに配慮して、外国人観光客の無作法さを詫びるアピールをしてくれているが、そんなことは折りこみ済みだ。ショッピングモールや映画館などがある大きな商業施設の一角にこの町では一番大きなホテルがあり、積極的に外国人団体客を誘致している。
中部国際空港着の午後の便で来日した彼らは、一目で判別できる彼らように仕立てられた観光バスで夕方に豊橋に着く。そしてホテル近隣で買い物や夕食を済ませてて、翌日はほとんどは富士山観光に行くという。
ショッピングモールには彼ら向けに特化した商品が大量に陳列されている。フードコートにある知り合いのお店でも彼らが客となる。単価は安いのだがとにかく数の原理で、一発で大きな売り上げになる。
回転寿司屋が大きな箱なのも彼らの需要を見越しての事である。商魂逞しい2代目のオーナーは意欲的に多品種多店舗展開をしている。僕の目から見れば、官僚に踊らされる政治家のように、2代目は経営コンサルタントに踊らされているようにしか見えないけど、地元では名の通った青年実業家だ。それに比べれば、僕のワークショップの売り上げは彼らの店の1ボックス席分にも及ばないかもしれない。糞だ。
彼らは6人掛け程度のボックス席に倍ぐらいの人数で陣取って、寿司だけでなく彼らまでも回転している。テーブル単価は抜群じゃないか。オーナーの狙い通りだよ。
おい板前もどき、工業製品みたいな寿司を握ってるくせに、いっちょまえの口を利くんじゃねえ。おまえのせいで俺の寿司の味がまずくなるじゃねえか。
寿司だけではなく料理やおもてなしは心だと思う。
Latinoの彼女が握った寿司はどんな味なんだろう。