『聲の形』を観てきた
「聲」という旧漢字から声に大きな鍵があるんだろうと思っていたら、聴覚障碍者と贖罪をテーマしているようで、萌えキャラのアニメーションとは裏腹に重たそうな映画なんだ、と思った。
いつだってヒマー!!
そんな犬みたいに無邪気な小6の少年石田将也のクラスに転校生の少女がやってきた。
教壇の少女の目線の高さからクラスを見渡すカットは、クラス中の好奇の目が集まっていて、僕も少年時代の転校時の銃殺隊の前に立つような気持ちを思い出した。
西宮硝子
ガラスと書いてしょうこに、ガキ大将也りのしょうや
その後ストーリーは「名は体を表す」ように展開していく。
聴覚障碍者の硝子は補聴器を着けていて、発する声は言葉にならない。
僕は転校した先の沖縄の小学校の通学路の途中に聾学校があり日常的に聴覚障碍者の子供たちと接する機会があった。でもいつも駆け足で通り抜けていた。恐れていたのだ。
コントロールできない言葉にならない大きな声で近づいてくる彼らを。
梢子は懸命に筆談でコミュニケーションを望んだ。ガラスのような透明感と脆さを感じさせる硝子に、無邪気な将也は無邪鬼となり襲い掛かる。残酷な鬼はじわじわと獲物の急所に迫っていき、遂には梢子の補聴器を何台も壊した挙句に傷を負わせてしまう。
・・・屑教師東京裁判を行う・・・・
A級戦犯となった将也は学校中から村八分にされる。もちろん屑教師からも。
肉体は生きているが心は公開処刑で死んだのだ。
硝子は肉体と心に深い傷を負ったまま学校を去る。
・・・五年後に高校生となった将也は彼なりのケジメをつけようとする・・・・
親代わりの姉が西宮家に払った慰謝料を、必死にバイトした金で返した後、赤いトラス橋の欄干の上に立つ。肉体も葬り去るのだ。
とにかく教師が屑だ。
だが教師が生徒に一生消えない心の傷を残すのは珍しいことではない。
赤い橋はなんだか既視感があった。ストーリーが進んで行きロケーションとなった遊園地は長嶋スパーランドにそっくりだ。
ん・・・・
街中の公園の川の鯉?
名鉄だ
大垣??
松尾芭蕉大先生のゴール地点水の街の大垣。
正解
・・・そんなことはどうでもいいですね。
キーとなるポイントの美登鯉橋の下に流れる人口川の鯉が、何回も劇中でクローズアップされていた。それから水中からの映像も何回も。
なぜ?大垣の宣伝?いや違うべ
まて
水中ではどうやって音は伝わる?
言葉つまり声でコミュニケーションをとれるのか?
水中では音の伝わる速度が速いから、大気中とは違った声が聞こえて言葉にならないのでは。つまり水中では「声の形」が壊れてしまいコミュニケーションをするのは困難だ。
繰り返される美登鯉橋のシーンは、コミュニケーションの断絶を象徴的に現わしていたのだろうか。
ミスコミュニケーションによって何度もすれ違い、ぶつかり、逃げ、壊れる、将也と硝子と仲間たち。
ハンデキャップを持った人々の社会の居場所、いじめや差別、教育や子育て。
全てはミスコミュニケーションの結果。
ファンタジーとノスタルジーを純粋に楽しめた『君の名は』とは異なり、『聲の形』は残酷な現実の世界を突き付けられて、苦しかったし苛ついた。
僕が感じたこの苦しかったり苛ついた感情は、将也の感情でもあり硝子の感情でもあり上野たちの感情でもあるような気がした。
世の中には白黒つけずに、正視しないで逃げた方がいいこともある。
親として逃げ方を教えるのも大切だと再認識した。
だって、将也と硝子が生き残ったのは運が良かっただけなんだから。
命がけで白黒つけなくてもいい、逃げてもいいんだ。永遠の時が癒してくれるかもしれない。
生き残れ
【参考】