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天才の翼

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エイドリアン ニューウィ。
世間には馴染みの薄い名前だろう。偉大なるカリスマF1デザイナー。もし彼が建築家でその才能を開花させていたら、世界に名を轟かせていたのは間違いない。

モーターレーシングの世界は、重度の麻薬中毒者のようにスピードや野心の奴隷になった者の巣窟だ。驚くようなキャリアの逸材も珍しくない。
最高にイカした悪い女に虜になり、やりたい一心で心神喪失に近い境地に達しているようなものだ。しかるべきに産み出される結果は数々の犠牲に成り立つ芸術性の高いものである。

鈴鹿サーキットのサインボードエリアに立つとしよう。僕はバイクの世界しか知らないからその話をする。300㎞で飛んでくるマシンはすごい迫力だ。300kmというスピードは空気が粘性体になり、それを引き裂くエンジンの咆哮音は、怒れる野獣の群れのようである。

時折スピードの悪魔は牙を剥き、物理の通りエネルギーが発散する。
300㎞でクラッシュしたマシンは、その運動エネルギーを一瞬で発散する。その一部は空気を振動させ、地獄の銅鑼の音のように、身の毛もよだつ炸裂音がする。

ねずみ色のアスファルトの背景には、最新のテクノロジーつまり数々の金属が削られる炎色反応の花火になる。チタンは白、鉄はオレンジ、アルミは湿気った花火の色、カーボンファイバーは線香花火のように火花を撒き散らす。路面に這いつくばるライダー、動き出した、良かった無事だ。ピクりとも動かないライダー。魔法の杖を一振りしたように立ち上がってくれ。意識が無いのか、お願いだ脳震盪ぐらいであってくれ。

タイム通り戻ってこないマシン。マシントラブルかミスなのか。何か良くないことが起こったのがわかる、モニターに映し出される結果。自分がデザインしたマシンがクラッシュした時の、あの地獄の底に引きずり込まれるような絶望感。

セナの死の影響を質問するとニューウィは身震いする。悲痛なためらいを見せたあと彼は「そうだね」と言う。「あのあと、わたしの少ない髪の毛は全部抜けてしまった。だからわたしは肉体的に変わってしまった。恐ろしかった。パトリック・ヘッド(ウィリアムズのテクニカル・ディレクター)とわたしは、レーシングを続けたいのかどうか自問したよ。自分たちがつくったマシンで他人が死ぬようなスポーツにわたしたちは関わりたいのだろうか? さらに、この事故は設計ミスによって故障した部品が原因だったのだろうか? それから裁判が始まった」

アイルトン・セナが不幸なクラッシュで亡くなった1994年のサンマリノGP。
F1史上もっとも獰猛といわれた1000馬力のエンジンとまだまだ過渡期だったシャシーと安全対策の時代で、1994シーズンは溜まったツケを悪魔に払い続けたようなシーズンで目を覆いたくなるようなクラッシュが続出し、セナも色んな事が上手くいかないシーズンを神に祈るように走り続けていた。

そのサンマリノの週末は悪夢のような出来事が続き、前日には死者の名がついたコーナーでローランド・ラッツェンバーガーが亡くなっていた。

「今日は走りたくないんだ」
セナは走る前に近親の者にそう漏らしていたという。レースはスタート直後のクラッシュで仕切りなおしとなった。こういう時は気持ちを強く持ち続けるのが難しい。リスタート後オンボードカメラは300kmオーバーでタンブレロへ飛び込んでいくセナを映していた。突然マシンがコントロールを失い一直線にウォールに吸い込まれていった。何か良くないことが起こったのは確実だ。空撮画像はコクピットの中で頭を垂れ微動だにしないセナを映し続けている。モニターの前のデザイナーのエイドリアン・ニューウイは全てを悟ったのか泣いていた。

これぞスポ根 映画「RUSH」 - Toujours beaucoup


奈落の底で苦んだエイドリアン。だが彼は戻ってきた。そして彼のデザインしたマシンは再び栄光をつかんだ。

彼は、これまで60歳になるまでにレーシングから引退するといい続けていたことを指摘されると頭をかく。「近づきつつあるね。わたしは今いくつだっけ? 52? 53?」

天才は難しい質問に混乱しているようだ。「52歳だと思う。うん、52歳だな」

ニューウィは仕事に全精力を注いでいるので、このようにささいなことで悩むことはない。「多様性や、創造性と競争の融合が大好きだ。欠点は、つねにプレッシャーにさらされることだね。しかし常に仕事の見返りを得ることができる。うまく行かないときは苦しいし、ブリティシュ・エアロスペースで仕事をしたほうがいいと思う。しかし本当にうまく行っているときは最高の気分だね」

ブリティッシュエアロスペース(イギリス航空宇宙局)というのは、モーターレーシングの対極ともいえる公務員的なもの、という意味だろうか。もしくはマクラーレンのボスにまでなったマーティン・ウィットマーシュが、ブリティッシュエアロスペース出身だということを皮肉っているのだろうか。

マーティンは2015年3月、アメリカスカップ参戦を目指すベン・エインズリー・レーシング(BAR)のCEOに就任。同チームにはエイドリアン・ニューウェイが参加することが決まっており、F1界から2人目の加入となった。

エイドリアン・ニューウェイ - Wikipedia

マーティン・ウィットマーシュ - Wikipedia