Toujours beaucoup

いつまでもたくさん

石原文学 エピローグ 天気晴朗なれど波高し

  

headlines.yahoo.co.jp

 

東京都議会の百条委に向かうにあたり、石原慎太郎元都知事は2017年3月20日正午前、自宅前で記者団に心境をきかれ「天気晴朗なれど(も)波高し」と答え、続いて「君らは教養がないから分からんだろ」とメディアに一発お見舞いしました。

 

過去にも政治などで引用された有名な言葉で、まともな記者であれば知っているはずですが、こんな老いぼれを引き摺り出して叩く世間への、氏なりのメッセージでもあったのではないでしょうか。

 

そもそも君たちが愚かで怠慢だから(きちんと都政を見張っていなかった)こんなことになったんだろ

 

本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」というフレーズは、日露戦争で日本が当時世界最強と言われたバルテック艦隊を完膚なきまでに叩きのめした日本海海戦の出撃の際の、日本の連合艦隊司令官の東郷平八郎海軍大将が東京の大本営に打電した文言の一部で、乾坤一擲の大勝負に際しての「名文」との指摘もある言葉です。

「本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」は「本日天気晴朗ノ為、我ガ連合艦隊ハ敵艦隊撃滅ニ向ケ出撃可能。ナレドモ浪高ク旧式小型艦艇及ビ水雷艇ハ出撃不可ノ為、主力艦ノミデ出撃ス」という意味を、漢字を含めて13文字、ひらがなのみでも僅か20文字という驚異的な短さで説明しているため、今でも短い文章で多くのことを的確に伝えた名文として高く評価されています。

例えばモールス信号による電信では、わずかな途切れでも全く意味の異なる文章になるため、とにかく文章は短ければ短いほど良いとされています。

また 真珠湾攻撃の決行を意味する手旗信号のZ旗の信号文「皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ、各員一層奮励努力セヨ」も真之の作です。

成果を収めた連合艦隊解散式における、東郷の訓示(聯合艦隊解散の訓示)の草稿も真之が起草したものとされています。この文章に感動した時の米大統領セオドア・ルーズベルトは、全文英訳させて、米国海軍に頒布しました。これらから名文家・文章家としても知られており、後に「秋山文学」と高く評価されるようになりました。

秋山真之 - Wikipedia

 

石原氏はヨットマンでもあり、ヨットを通して海からも深い薫陶を受けています。

本日天気晴朗ナレドモ浪高シ

海には寛容さのかけらもなく、海は一切の反抗を許さず、波の高さは恐怖で決まるといいます。

そんな厳しい海へ挑むヨットマンのような心意気を言葉で示したのではないかと僕は思うのです。そして氏は「どうせ記者どもは通り一辺倒の解釈しかしねえんだろうな」と、笑顔で一発嫌みをお見舞いしたと。

 

ムカつく爺ではありますがやりおります。

 

1984 ブルック・シールズ

Kくんは身長が180と少しあって欧米人のようながっしりとした体形で、しかも古き良き時代のコカ・コーラのCMに出てくるモデルのような絵にかいたようなハンサムさんだった。

当時はブルックシールズが美女の代名詞みたいにいわれていたけど、ブルックシールズと並んで立っても、ブルックシールズがアクセサリーになるんじゃないかと思うくらいのイイオトコだった。

おまけに純粋無垢で無口で優しい人付き合いのいい性格で、つまり同性にもモテる非の打ちどころのないイイオトコだった。重ねていうくらいのイイオトコ。

通学の電車でも毎日のように女子高生にラブレターを渡され、週に一回くらいはいい匂いのする大人の女性に抱きつかれたりして、つまり僕とは全く違う世界を生きていた。同性愛という意味とはちょっと違うと思うんだけど、Kくんのことを好きになる同性も珍しくなかった。

Kくんと並んで歩くと、自分のみすぼらしさがより引き立つようで辛かったんだけど、実際にはまわりの女性の視線はKくんに釘づけだったから、僕のみすぼらしい存在すら否定されていたのだけど。

合宿があるとKくんは、飲み会で女子の先輩の部屋に引きづりこまれて押し倒されたりもしていて、Kくんの貞操をみんなで心配していた。

双頭の毒蛇の餌食にならないように。

 

神様は生まれつき人間を不公平につくるというけど、いくらなんでもKくんには与えすぎだよ、と思っていた。

でもみんなKくんのことが好きだったから、飢えた獣の餌食にならないように気をつけていた。Kくんのレベルが高すぎて、つまり我々凡人とのギャップが大きすぎて、おこぼれにすら授かれなかったというのに。

そんなある年の夏休みに、Kくんはお盆休みが始まろうとする、夏の暑い日の夕暮れに飛行機事故で死んでしまった。痕跡すら残さずに。彼らしい。

 

神様は意地悪だった。いや公平だったのだろうか。

極東通信

北朝鮮のミサイルが有効な攻撃手段となったことが3/6の発射実験で証明され、つまり「ガチでやれるんやで」ってことになりました。

対抗処置として米国が韓国にTHAADを緊急配備することになり、反面これは中国への大きな脅威となり、中国も「ざけんなコラ」って話となり韓国を牽制しています。

日本もPAC3でのミサイル迎撃は力不足も懸念されます。

ここでさらに米国との連携を強めるか(反面それはさらに中国と北朝鮮を刺激します)、従来路線の平和憲法を前面に押し出す日本独自路線でいくのか(これは無理筋)。

つまり北、中が高い手テンパっちゃって韓はハコでフリテン、胴元の米はおまいら下りたら承知しねえぞ、って感じで日本は胸倉掴まれている状態でしょうか。

 

WW2でドイツがフランスとドーバー海峡を飛び越えて、イギリスへロケット攻撃をしました。当初のV1ロケットはノロマでRAFがスピットファイヤで迎撃可能だったのですが、V2ロケットになってからは北朝鮮の従来までのロケット並みの性能となり大きな脅威となりました。

スピットファイヤでは迎撃が不可能となり、イギリスは発射基地か生産工場を攻撃するか、命中精度の低いV2ロケットの狙いが外れることを祈るぐらいしか打つ手がありませんでした。

この時のドイツが北朝鮮でフランスが韓国、日本がイギリスなのでしょうか。って「全然ちゃうわい!」って英仏独に怒られそうですが、ドイツとフランスの仲が悪いのは今もいっしょやん。

 

 米軍THAADの韓国への配備決定と中国の反発

 

THAAD配備へ中国が「韓国叩き」 次なる標的は米国か | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

 

焦点:韓国、THAAD配備でも北朝鮮ミサイルの脅威は消えず | ロイター

映画『ウインディ Windy Story』1984 

 バイクの世界選手権シリーズは、1980年代の前半までは140万円のヤマハの市販レーシングマシンを購入して、プライベーター(個人参戦)でタイトルを獲れるチャンスがありました。

ファミリー単位での参戦も珍しくなく、プライベートライダーはキャンパーを引っ張ったバンなどで、資本主義諸国はもとより共産圏のユーゴスラビア東ドイツまでヨーロッパ大陸を転戦していて、いつしかコンチネンタルサーカスと呼ばれていました。

極限運転に強い植物性エンジンオイルの焼ける甘い香りと、レーシングコンパウンドのゴムがヒートする匂いに、2ストロークレーシングエンジンの断末魔のような絶叫が、東ヨーロッパの森林にこだまし、南ヨーロッパの荒野にしみ込んでいく様は、唯一無比な非日常の空間を創り出していました。

機械馬を操る人間臭い戦いもその魅力のひとつであり、つむじ風のように踊る小人や、コロッセオの血の匂いや恐怖に饐えた汗の臭いのような刹那に観衆は歓喜しました。

現代の世界選手権は先鋭化されたエンターテイメントになり、権利を行使できる組織化されたチーム、非常に高価で洗練されたデジタル管理のレーシングマシンに、高度なプロモーション団体に管理された全く異なった世界になっています。

プライベーターの時代はどこか別の世界の昔話となり、今の若いライダーに自力で世界選手権を戦ったなんて話をしても、簡単に信じてくれません。

1984年の映画『Windy Story』は、プライベーターにもチャンスがあった人間臭いコンチネンタルサーカスの最後の時代を舞台にしています。

原作は故泉優二さん。サッカーを愛する氏は真理を追究すべく1970年代後半ヨーロッパに渡り、そこで日本人で初めてバイクの世界選手権のタイトルを自力で勝ち取った片山敬済に感銘を受け、またコンチネンタルサーカスに大きな薫陶を受けました。 

泉優二 - Wikipedia

映画 映画『ウインディ Windy Story』1984 日西独合作 原作脚本監督 泉優二

監督: 原田眞人
制作: 中村賢一/マンフレッド・ドゥルニオク
脚本: 泉 優二/原田眞人菊地昭典/ダー・ソレル/F.L.ホーン
原作: 泉 優二(カドカワ・ノベルズ刊)
音楽: 井上 鑑
キャスト(役名): 渡辺裕之(杉本 敬)/レスリーモルトン(サム)/クリス(アンナ)/パトリック・スチュアート(ダフナー老人)/

 

 

僕は公開当時に駆け出しのバイクレーサーとしてこの映画を観ました。

レーシングシーンは今一つで、機械の白馬に乗った王子様のおとぎ話にはまったくついていけず、創り手のマスターベーションを見ているような映画だったいう印象があります。

おそらくDVD化もされておらず、まともなレビューも解説もほとんど見当たりません。

映画の中のセリフを借りるのなら、時の流れに見失ってしまった映画なのです。

ところがまるで何かの啓示を受けるように、Youtubeでこの映画のフルムービーに出会い33年ぶりに再見しました。

その33年の間に僕は、レースを引退した後バイク業界で独立し、結婚し子を授かり再びレースの世界に戻りました。カムバックはほんの遊びの積りだったのですが、再びレーシングの悪魔の虜になりました。全日本選手権にまでエスカレートし、ライダーとしてはパッとしなかったのですが、僕がフレームを造ってヤマハのエンジンを載せてプロデュースしたレースバイクは全日本タイトルを獲りました。世界的な環境対応の時代の変遷でメーカーも手薄で、僅か5年の短命のクラスだったがゆえに実現できた結果でもあり評価も分かれますが、地方都市の犬の糞みたいなプライベーターのバイク屋が全日本タイトルを獲ったという事実は痛快でした。

 

その後リーマンショックや業界の衰退で、まあ簡単にいうと終わったのです。

レーシングにハッピーエンドはないのです。

時を経て旅の終わりに再び観た『Windy Story』は実に感慨深いものでした。

ハッとさせられるセリフの数々は、実は潜在的に深く刻みこまれていることにも驚かされました。

カムバックした日本人GPライダーのケイ・スギモト。離婚したアメリカ人の音楽家の妻との間にアンナという気丈で賢い娘がいます。ケイは典型的なレーサー人格、つまり身勝手で我侭なダメ人間です。世界一我侭な人間が世界チャンピオンになれるのです。

導入は西ドイツのバンドでドラムをたたくケイ。演奏が終わりメンバーに別れを告げます。レースシーズンが始まるのです。

オフシーズンに資金作りと体制作りをして、春の兆しとともにコンチネンタルサーカスに旅立ちます。そして世界選手権の合間に、賞金稼ぎでローカルレースに出ます。

首を折りに行くのさ

ケイはどこへ行くんだと訪ねたメンバーに、理由を知っているメンバーはこう答えました。レーシングというのはそんなに非社会的な行為なのかと、初見の時はがっかりしたりしました。

今はこう思っています。

あえて首を折りに行くのさ

夏休みを利用してアメリカからケイに会いにきたアンナ。小学校高学年ぐらいでしょうか。レーシングマシンつまりヤマハのTZ250を乗せたトレーラーを引っ張るキャンピングカーでの、ケイのジプシー生活にアンナは同行します。

煙草を止めらない人は負け犬よ

禁煙バッジを売って寄付を集める活動をしているアンナはケイをこう窘めます。そしてケイのガールフレンドたちのことも酷評して、直接注意したりもします。まるで口うるさい母親のようです。

その後ケイは帰ったアパートで煙草をゴミ箱に捨てます。ベッドの上に吊るされた灰皿代わりの缶を恨めしく見るケイ。そのあと喫煙シーンは無かったと思うので、アンナの言葉でケイは禁煙したのですね。

そしてケイと同様にジプシー生活をするレオファミリー。アンナのちょっと年上の息子に、いつか訪れるであろうバッドエンドに怯える妻がいます。

そしてクラッシクBMWサイドカーに乗る老人ダフナー。ダフナーはケイやレオファミリーを何かと気にかけ、撮影をし何かと両ファミリーの面倒をみます。子供たちには数年越しに素敵なおとぎ話を伝えつづけています。

 

ある日ケイはダフナーに子はいるのか?と尋ねます。

今はいない

時の流れに見失ったよ

ケイはそれ以上は聞きません。

 

ケイはメカニカルセンスは今一つで整備不良でバイクは走らず、レースは上手くいきません。スター選手には酷い中傷もされます。ですがケイの実力を認めるスター選手所属のチームマネージャーはケイを庇い、ダフナーと同様に何かとお節介を焼きます。

だが意固地な(ダメ人間の)ケイはそれを一蹴します。

華やかなサーキットとは対照的な、パドック風景も情緒たっぷりに---社会的に見れば貧乏ったらしいジプシースタイル---描かれています。パドックで調整中のケイのTZの重たい腐ったエンジン音を見かねた女性が声を掛けます。

イグニッションタイミングがずれているわよ

実際に点火時期が狂ったエンジン音にリアリティを感じ驚いたのですが、それよりも彼女はこう伝えたかったのです。

あなたのレースマネージメント(つまり人生)はずれているわよ

彼女はサムというアメリカ人の女性メカニックで、女性ということがハンデになって仕事にあぶれていたのです。女性をいうことで信用されない、雇ってやるからヤラせろ、など。

紆余曲折はありますが、資金がないというケイに歩合制でいいというサムをメカに雇い入れ、ケイのリザルトは向上していきます。

ダフナーはアンナたちがドラキュラ城と呼ぶ中世の立派なお城の城主で(でなきゃあんな優雅にはなれないのですが)、ケイたちはある日招待されます。

地下のワイン貯蔵庫にあるワインを引っ張り出して、お城の中にひな壇のようにワインを並べ、サムは片っ端から飲みタガが外れかけています。サムはケイの想いをダフナーへ訴えるのですが、ダフナーはワインにまつわる話を絡めてサムを慰めます。

降り来たれワインの王よ ピンクの眼の肥えたバッカス

あなたのワインは少し問題あるわ

難しく考えないで楽しめばいい

たしかに私をロマンティックにさせるわ

中略

ケイは見向きもしない。あんな女たち(ケイのガールフレンドたち)のどこがいいの?

普通のワインは毎日飲むためにあるが、良いワインは特別な日に飲まれる。

 

一方アンナは地下のワイン蔵を探検していて見つけた小さな木箱の中に古い写真を見つけます。そこにはこう記してありました。

「未来の世界チャンピオン クロード・ダフナー」

やはりダフナーは息子をレースで失っていたのです。1968年5月20日にイタリアのモンツアサーキットでオイルに乗って。ダフナーはレースが嫌いで何故息子がレースに夢中になるのか理解できなかった。そして最後の2年は口も聞かなかったといい、それが 終生の心残りだといいます。その後息子に巡り合えるような気がしてレース巡りを始めたと。

つまりダフナーにとってのお遍路がコンチネンタルサーカス巡りで、息子がいかに生きたのかを探る旅なのです。

 

この辺りで、原作者が意図していたかどうかは、いやしていないでしょう。

この年になってこの映画に新たにとても感銘した理由が分かりました。

 

レーシングにハッピーエンドは存在しない

でもその中でいかに生きるか

いかに生き残るのか

目を背けてはいけない

 

あるシリアスなシーンでケイはこういいます。

俺にも血が通っているんだ

だがこう返されます

あなたの血は身体の外に流れる

 

劇中ではヨーロッパの原風景、街の景観、人々などが情緒たっぷりに描かれていきます。『ベルリン天使の詩』に映像の色が似ていたのは、日本と西ドイツ合作だというところからくるのかもしれませんね。日本映画だったらこんな映像は不可能だったでしょうし、僕の琴線に響く映画にならなかったでしょう。

 

またこの映画の一番の魅力はアンナにつきるでしょう。

離婚した両親の間で揺れ動く感情、パドック暮らしへの郷愁、ファンタジーとリアリティ、そして人生を愛することを懸命に学んでいる姿を見事に演じていました。

途中レオはレース中にケイと絡んで事故死します。家の主を失ったレオ家。

レオ家とのお別れのシーンでは、レオの棺を乗せた黒い車を先頭にキャンピングカーが走り出して行きます。見送るアンナは立ちすくんでいます。

ところが動き出したキャンピングカーが止まり、レオの息子が飛び出してアンナに駆け寄ってきます。そしてアンナの目を手のひらで隠して、アンナにお別れのキスをして走り去って行きます。アンナは唇を指でなぞってじっと見送るのが、なんとも情緒あふれるシーンでした。

アンナは大切にしている豚の貯金箱があります。将来、母親とオープンしたばかりの東京ディズニーランドへいくために貯金している、何よりも大切な貯金箱です。

ところが

ケイとアンナはアムステルダムに渡欧してきた母親に会いに行きます。そしてアンナが寝ているうちに、ケイはアンナを母親の元に置いて出て行きます。目を覚まして事実を確認するアンナに母親は、予定を早めて(おそらく、自分の影響が大きくなりすぎないように、とのケイの想い、アンネの居場所は母親の傍であるべきだ)てケイは出て行ったっと言います。

激しい失意のアンナはケイの次のレースのホッケンハイム(ドイツ)まで、単身向かうことを決心し家を飛び出します。

そして駅で長距離列車のチケットを買うために、窓口の前で豚の貯金箱を叩き割るのです。

Goobye Tokyo Disney Land

何よりも大切なオトーちゃんに会うために。

 

映画自体はハッピーエンドで終わります。そうするしかなかったんだ、そんな終わり方です。

 

映画の公開から33年経って、バイクの世界選手権は別世界になりました。

もうプライベーターは居ません。チームなんとか家の時代はとっくに終わったのです。

でも熱い心を持ったヨーロッパの観衆や、ダフナーのような我が町のヒーローを後援する城主様のような人々は健在です。

一方の日本は世界一のバイクを作り続けています。世界選手権最高峰のMotoGPでは日本のメーカーがハンデキャップを背負ってやっと、イタリアのメーカーが時々勝てる程度です。

ところが日本国内のバイクレーシングは全くもって衰退しました。レーシングのハードは世界一なのですが、ソフトつまり文化が全く育ってこなかったのです。皆がメーカーの仕事をすることを最終目標にして、つまり自立心なく依存心ばかりでレースをしてきた結果です。

後進国の東南アジアではバイクレーシングが急成長しています。

ところが日本から東南アジアへ輸出するハードはあっても、輸出できる文化はないのです。

 

レーシングにハッピーエンドは存在しない

でもその中でいかに生きるか

いかに生き残るのか

目を背けてはいけない

 

選んだ道の果てじゃけえ、という想いにすがっているだけでは何処にも行けない。

痛感しましたね。

 

一般の方にはつまらない映画かもしれませんが、よろしかったらぜひ。

youtubeなのでいつまで観れるのかわかりませんし。

 

youtu.be

「騎士団長殺し」第一部 顕れるイデア編 村上春樹 発売

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1Q84』から7年――、
待ちかねた書き下ろし本格長編

その年の五月から翌年の初めにかけて、私は狭い谷間の入り口近くの、山の上に住んでいた。夏には谷の奥の方でひっきりなしに雨が降ったが、谷の外側はだいたい晴れていた……それは孤独で静謐な日々であるはずだった。騎士団長が顕(あらわ)れるまでは。

 

1Q84』からもう7年もたつのですね。

『騎士団長殺し』

タイトルが意表をついているというか、パッとイメージが浮かびません。

中世を舞台にした時代劇なのか、それともメタファーとしての騎士団長なのでしょうか。

「第1部 顕れるイデア編」続いて「第2部 遷ろうメタファー編」と展開しており、メタファーとしての騎士団長で現代を舞台にした物語なのかもしれません。

 

1Q84』では性的描写に批評もありましたが、忘却し難い淫夢のような描写は、社会の闇の痛烈な暗喩や、芸術的な殺しの描写とともにかなり印象に残りました。

1Q84』は冒頭に“It's Only a Paper Moon”からこう歌詞を引用してありました。

“It's a Barnum and Bailey world,  Just as phony as it can be,
But it wouldn't be make-believe If you believed in me.”

そしてヒロインの青豆は首都高3号渋谷線の非常階段から、現実に則した非現実の世界へ下りていくのです。

ここは見世物の世界  何から何までつくりもの
でも私を信じてくれたなら  すべてが本物になる

ここまで前振りがあるにも関わらず、現実の物差しで『1Q84』を批評している少なくない人々は、物語の楽しみ方が平面的で随分と損をしているのではと感じました。

でも村上春樹さんは、きっとそんな人々を皮肉でIQ=84と称しているのかもしれません。

村上春樹さんは結構意地悪なのです。

 

『騎士団長殺し』を手に取り光速でページをめくってみました。

 

実に興味深い。

中年の画家、離婚、「騎士団長殺し」という絵画  

文体は初期の作品を彷彿とさせる一人称がどこか郷愁を感じさせます。うまいですね、この辺り古くからの読者の心を震わせます。

 

折を見て読み込んでみます。でも、きっと5年後ぐらいにレビューは書くのかなあ。

村上春樹さんの長編小説は水面下に隠れている部分がほとんどで、深く潜っていく必要があり、それを探り消化するのに時間がかかるのです。

 

1Q84』ですらレビューしていないのに。

 

1Q84』後の『色彩をもたない多崎つくると 彼の巡礼の旅』も読みましたが、名古屋を舞台にした内面への贖罪の旅という視点は面白かったのですが、どちらかというと長編と長編のつなぎのような凡庸ともいえる現代小説で、まるで『1Q84』という渾身のメインディッシュのデザートのようでした。

「騎士団長殺し」

 楽しみです。   

ある一日

今日のはてなブログの「おすすめ記事」は、なんだか世の中の業の深さを垣間見るようで考えさせられました。

今朝、燃えるゴミと一緒に弁当を一緒に投棄してしまった僕の悲しみなんて、あまりに些細な出来事なんですね。

 

 

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不憫な娘へのメッセージ漫画は、「その前にお父さんしっかりしんさい」と心配してみたり、ジャンプや漫画論は全く別の世界の話で、トイアンナさんの姉は僕の知っていた女性の境遇にそっくりで戦慄し、広告は「好きなことをして飯を食う手段」と・・・

そんなんノウハウではなく本人の熱意以外ないやんけヴォケと毒づき・・・

 

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グルメにモー娘にアプリ中毒ブログ、仕上げは働き方啓発三連荘。

なかでもフミコフミオさん「ガチガチの競合他社に転職いたします」と、かずきさんの「Slerから日本マイクロソフトへ転職しました」の転職記事はあまりに対照的というか、同じ属性なのに北朝鮮と韓国なみの断絶感を感じ、 国語力はお仕事スキルに比例しないのかと再認識したり、おふたりとも守秘義務的にかなりアレですよ、と余計な心配してみたり。

まあ、おふたりの年齢の違いも大きいのですし、そんなことより燃えるゴミと一緒にお弁当を捨ててしまう自分の心配した方がいいんですけどね。

 

 

明日出来ることを今日やるな

明日出来ることを今日やるな

 

新卒で就職した会社で直属の上司がこう言いました。

地域密着の公益性の高い大手(地域では)企業です。

 

普段は6割ぐらいの力で仕事をして、いざという時に全力を出せばいい。いつも全力近いと疲れてしまって必要な時に力が出せない。

 

上司はそんな合理化した講釈を垂れていましたが、それは単に仕事をしたくないだけです。

 

チームで仕事をする時も上司はこういっていました。

一番仕事が遅いやつがぎりぎりついていけるレベルでやるのがベスト。そうすれば全員が頑張っているように見える。

 

つまり誰かがサボっているのを目立たなくするためです。

 

僕はポリシーとして、人の倍とまではいきませんが、厳しい時でも最低限は人の1.25倍は頑張るようにしていました。でないと生き残れないのは痛いほどそれまでに経験していたので、上司の言葉にはかなりの違和感がありました。

 

実行予算を組むときは、まずは会社の取り分を所定の割合でスパッと抜いて、つぎに必要経費を「あれとアレを買って(伝票が利く仕入れ先で私的な経費分もついでに)接待費(飲み代)はこれぐらいいるな」スパッと抜きます。

残ったお金で必要な費用を予算組みしていき、外注先(下請け)に発注します。

内容によってハマり確定で外注先は、「出来るかヴォケ」なんてことにもなります。ですが、予算がないから何とかこれでよろしく、他の仕事でカバーするから、この間のアレは儲かったでしょ??なんて押し切ってしまいます。

もしくは仕事を断らない(断れない)下請け先に身を削ってもらいます。そこはそこで何とかするから大丈夫という図式です。要はその下請けさんは黒いやり方で、何とかするんですけど。

下請けさんに回す金が厳しい時は、元請け(我が社)の粗利や経費を少し削ればいいのに、つまりそういう実行予算を組めばいいのに、なんて思っていましたが、上司(会社)の指示通りに機械的に私的に実行予算を組みます。

とはいえ、本当に下請けさんが死亡してしまったら、それはそれで困ってしまうので、事後に泣きついてきたり、カチこんできた下請けさんの尻を拭いたりはしていました。

 

会社の利益は堅実に冷酷に確保し、個々はゆるく仕事する。社全体の予算や経営を俯瞰していたわけでないので、一概に論評するわけにはいきませんが、まあそんな感じでした。善悪でもなくスタイルの問題ですかし、とやかくいうつもりはありません。

 

バブルのころはそれで全てうまくいっていました。末端も利益は出ないにしろ、とにかく大きなお金が飛び交っていましたから、それなりに上手くいっていました。

とにかく川や海には魚が溢れかえっていて、お腹がすいたら簡単に食い物を手に入れることができたのです。漁船が無くても、少し工夫するだけでいくらでも魚がとれたのです。

 

そのバブル絶頂のころ僕は会社を辞め、畑違いの業種の(つまり趣味を仕事にしたのです)、まるで満蒙開拓のようなギャンブルに出るように起業しました。

 

その後バブルは崩壊しました。

天変地異により海や川から魚はいなくなってしまったのです。魚がいるところに獲りに行ける体力があるものだけが生き残り、そうでない者は野垂れ死んでしまったのです。

 

その後リーマンショックも経て、在籍していた会社は今でも健在です。上司が数人廃人になったり、給与カットなど、色々とゴタゴタはしたようですが、公益性が高い企業なので何とかなるのです。

汚れ仕事をしていたある下請けさんは潰れました。そこはファミリー企業で、一族離散で親族がリアルに数人死亡しました。事後に聞いたその悲惨な顛末に随分と心を痛めたものです。

でも視点を変えれば、その下請けさんはそもそも魚を獲るスキルが足らなかったのです。

 

ところで僕の満蒙開拓の顛末はというと、まるで大日本帝国の滅亡かのようでした。

予測以上の厳しい原野でしたが、それでも帝国が邁進している頃は、儲からないにしろマーケットがまだまだ大きく、メーカーや仕入れ先なども懐が大きくて、大変ながらもなんとかやっていました。

まだまだ川に魚はそれなりにいたのです。

しかし戦局はどんどん危うくなってきます。

そして帝国が滅亡したかのように、リーマンショックが訪れました。

 

満蒙ではリーマンショックのように、ソ連軍が国境を越え雪崩れ込み邪知謀略の限りを尽くし阿鼻叫喚の様を呈し、多くのものが殺されたり野垂れ死にする運命となり、人々は命辛々逃げ出しました。

 

僕の業界は最盛期の1割程度の規模になっています。

メーカーの下で食い扶持を確保することを、最終的な目的にしていたものは厳しい側面に立たされています。

満蒙の地の多くは荒れ果て元の原野に戻ってしまいました。僕はそんな中に取り残された水辺の独立集落といった感じでしょうか、それでも独自の道を切り開き可能性を模索するような日々です。

 

この世界の片隅に』の喩えでいうならば

自分で選んだ道の果てじゃけえ

そんな想いにすがって生きるしかないのです。

 

youtu.be

"Minority" Greenday

I want to be the minority

I don't need your authority
Down with the moral majority
'Cause I want to be the minority

マイノリティでいたいんだ
みんなに認めてもらいなんて思わない
みんなの常識なんてぶっ潰せ
だって俺は俺でありたいんだ


I pledge allegiance to the underworld
One nation under dog
There of which I stand alone
A face in the crowd
Unsung, against the mold
Without a doubt
Singled out
The only way I know

俺はこの糞みたいな世界に忠誠を誓う
そこに犬の糞みたいにひとりで立っている
人混みに埋もれたような面で
調子にのるな 型にはまるな
自分を信じろ
それしかない


'Cause I want to be the minority
I don't need your authority
Down with the moral majority
'Cause I want to be the minority
 
マイノリティでいたいんだ
みんなに認めてもらいなんて思わない
みんなの常識なんてぶっ潰せ
だって俺は俺でありたいんだ


Stepped out of the line
Like a sheep runs from the herd
Marching out of time
To my own beat now
The only way I know

敷かれたレールから抜け出した
群れから跳び出す羊の様に
狂ったマーチのように
自分のリズムだけを頼りに
それが俺の知っている唯一のやり方


One light, one mind
Flashing in the dark
Blinded by the silence of a thousand broken hearts
"For crying out loud" she screamed unto me
A free for all
Fuck 'em all
You are your own sight

ひとつの光 ひとつの心
暗闇の中で光っている
数えきれないほどの挫折による沈黙の暗闇から
”声を絞り出すのよ!”彼女は俺に叫んだ
みんな自由だ
この糞野郎ども
自分の目で見たことを信じろ