映画『ウインディ Windy Story』1984
バイクの世界選手権シリーズは、1980年代の前半までは140万円のヤマハの市販レーシングマシンを購入して、プライベーター(個人参戦)でタイトルを獲れるチャンスがありました。
ファミリー単位での参戦も珍しくなく、プライベートライダーはキャンパーを引っ張ったバンなどで、資本主義諸国はもとより共産圏のユーゴスラビアや東ドイツまでヨーロッパ大陸を転戦していて、いつしかコンチネンタルサーカスと呼ばれていました。
極限運転に強い植物性エンジンオイルの焼ける甘い香りと、レーシングコンパウンドのゴムがヒートする匂いに、2ストロークレーシングエンジンの断末魔のような絶叫が、東ヨーロッパの森林にこだまし、南ヨーロッパの荒野にしみ込んでいく様は、唯一無比な非日常の空間を創り出していました。
機械馬を操る人間臭い戦いもその魅力のひとつであり、つむじ風のように踊る小人や、コロッセオの血の匂いや恐怖に饐えた汗の臭いのような刹那に観衆は歓喜しました。
現代の世界選手権は先鋭化されたエンターテイメントになり、権利を行使できる組織化されたチーム、非常に高価で洗練されたデジタル管理のレーシングマシンに、高度なプロモーション団体に管理された全く異なった世界になっています。
プライベーターの時代はどこか別の世界の昔話となり、今の若いライダーに自力で世界選手権を戦ったなんて話をしても、簡単に信じてくれません。
1984年の映画『Windy Story』は、プライベーターにもチャンスがあった人間臭いコンチネンタルサーカスの最後の時代を舞台にしています。
原作は故泉優二さん。サッカーを愛する氏は真理を追究すべく1970年代後半ヨーロッパに渡り、そこで日本人で初めてバイクの世界選手権のタイトルを自力で勝ち取った片山敬済に感銘を受け、またコンチネンタルサーカスに大きな薫陶を受けました。
映画 映画『ウインディ Windy Story』1984 日西独合作 原作脚本監督 泉優二
監督: 原田眞人
制作: 中村賢一/マンフレッド・ドゥルニオク
脚本: 泉 優二/原田眞人/菊地昭典/ダー・ソレル/F.L.ホーン
原作: 泉 優二(カドカワ・ノベルズ刊)
音楽: 井上 鑑
キャスト(役名): 渡辺裕之(杉本 敬)/レスリー・モルトン(サム)/クリス(アンナ)/パトリック・スチュアート(ダフナー老人)/
僕は公開当時に駆け出しのバイクレーサーとしてこの映画を観ました。
レーシングシーンは今一つで、機械の白馬に乗った王子様のおとぎ話にはまったくついていけず、創り手のマスターベーションを見ているような映画だったいう印象があります。
おそらくDVD化もされておらず、まともなレビューも解説もほとんど見当たりません。
映画の中のセリフを借りるのなら、時の流れに見失ってしまった映画なのです。
ところがまるで何かの啓示を受けるように、Youtubeでこの映画のフルムービーに出会い33年ぶりに再見しました。
その33年の間に僕は、レースを引退した後バイク業界で独立し、結婚し子を授かり再びレースの世界に戻りました。カムバックはほんの遊びの積りだったのですが、再びレーシングの悪魔の虜になりました。全日本選手権にまでエスカレートし、ライダーとしてはパッとしなかったのですが、僕がフレームを造ってヤマハのエンジンを載せてプロデュースしたレースバイクは全日本タイトルを獲りました。世界的な環境対応の時代の変遷でメーカーも手薄で、僅か5年の短命のクラスだったがゆえに実現できた結果でもあり評価も分かれますが、地方都市の犬の糞みたいなプライベーターのバイク屋が全日本タイトルを獲ったという事実は痛快でした。
その後リーマンショックや業界の衰退で、まあ簡単にいうと終わったのです。
レーシングにハッピーエンドはないのです。
時を経て旅の終わりに再び観た『Windy Story』は実に感慨深いものでした。
ハッとさせられるセリフの数々は、実は潜在的に深く刻みこまれていることにも驚かされました。
カムバックした日本人GPライダーのケイ・スギモト。離婚したアメリカ人の音楽家の妻との間にアンナという気丈で賢い娘がいます。ケイは典型的なレーサー人格、つまり身勝手で我侭なダメ人間です。世界一我侭な人間が世界チャンピオンになれるのです。
導入は西ドイツのバンドでドラムをたたくケイ。演奏が終わりメンバーに別れを告げます。レースシーズンが始まるのです。
オフシーズンに資金作りと体制作りをして、春の兆しとともにコンチネンタルサーカスに旅立ちます。そして世界選手権の合間に、賞金稼ぎでローカルレースに出ます。
首を折りに行くのさ
ケイはどこへ行くんだと訪ねたメンバーに、理由を知っているメンバーはこう答えました。レーシングというのはそんなに非社会的な行為なのかと、初見の時はがっかりしたりしました。
今はこう思っています。
あえて首を折りに行くのさ
夏休みを利用してアメリカからケイに会いにきたアンナ。小学校高学年ぐらいでしょうか。レーシングマシンつまりヤマハのTZ250を乗せたトレーラーを引っ張るキャンピングカーでの、ケイのジプシー生活にアンナは同行します。
煙草を止めらない人は負け犬よ
禁煙バッジを売って寄付を集める活動をしているアンナはケイをこう窘めます。そしてケイのガールフレンドたちのことも酷評して、直接注意したりもします。まるで口うるさい母親のようです。
その後ケイは帰ったアパートで煙草をゴミ箱に捨てます。ベッドの上に吊るされた灰皿代わりの缶を恨めしく見るケイ。そのあと喫煙シーンは無かったと思うので、アンナの言葉でケイは禁煙したのですね。
そしてケイと同様にジプシー生活をするレオファミリー。アンナのちょっと年上の息子に、いつか訪れるであろうバッドエンドに怯える妻がいます。
そしてクラッシクBMWのサイドカーに乗る老人ダフナー。ダフナーはケイやレオファミリーを何かと気にかけ、撮影をし何かと両ファミリーの面倒をみます。子供たちには数年越しに素敵なおとぎ話を伝えつづけています。
ある日ケイはダフナーに子はいるのか?と尋ねます。
今はいない
時の流れに見失ったよ
ケイはそれ以上は聞きません。
ケイはメカニカルセンスは今一つで整備不良でバイクは走らず、レースは上手くいきません。スター選手には酷い中傷もされます。ですがケイの実力を認めるスター選手所属のチームマネージャーはケイを庇い、ダフナーと同様に何かとお節介を焼きます。
だが意固地な(ダメ人間の)ケイはそれを一蹴します。
華やかなサーキットとは対照的な、パドック風景も情緒たっぷりに---社会的に見れば貧乏ったらしいジプシースタイル---描かれています。パドックで調整中のケイのTZの重たい腐ったエンジン音を見かねた女性が声を掛けます。
イグニッションタイミングがずれているわよ
実際に点火時期が狂ったエンジン音にリアリティを感じ驚いたのですが、それよりも彼女はこう伝えたかったのです。
あなたのレースマネージメント(つまり人生)はずれているわよ
彼女はサムというアメリカ人の女性メカニックで、女性ということがハンデになって仕事にあぶれていたのです。女性をいうことで信用されない、雇ってやるからヤラせろ、など。
紆余曲折はありますが、資金がないというケイに歩合制でいいというサムをメカに雇い入れ、ケイのリザルトは向上していきます。
ダフナーはアンナたちがドラキュラ城と呼ぶ中世の立派なお城の城主で(でなきゃあんな優雅にはなれないのですが)、ケイたちはある日招待されます。
地下のワイン貯蔵庫にあるワインを引っ張り出して、お城の中にひな壇のようにワインを並べ、サムは片っ端から飲みタガが外れかけています。サムはケイの想いをダフナーへ訴えるのですが、ダフナーはワインにまつわる話を絡めてサムを慰めます。
降り来たれワインの王よ ピンクの眼の肥えたバッカス
あなたのワインは少し問題あるわ
難しく考えないで楽しめばいい
たしかに私をロマンティックにさせるわ
中略
ケイは見向きもしない。あんな女たち(ケイのガールフレンドたち)のどこがいいの?
普通のワインは毎日飲むためにあるが、良いワインは特別な日に飲まれる。
一方アンナは地下のワイン蔵を探検していて見つけた小さな木箱の中に古い写真を見つけます。そこにはこう記してありました。
「未来の世界チャンピオン クロード・ダフナー」
やはりダフナーは息子をレースで失っていたのです。1968年5月20日にイタリアのモンツアサーキットでオイルに乗って。ダフナーはレースが嫌いで何故息子がレースに夢中になるのか理解できなかった。そして最後の2年は口も聞かなかったといい、それが 終生の心残りだといいます。その後息子に巡り合えるような気がしてレース巡りを始めたと。
つまりダフナーにとってのお遍路がコンチネンタルサーカス巡りで、息子がいかに生きたのかを探る旅なのです。
この辺りで、原作者が意図していたかどうかは、いやしていないでしょう。
この年になってこの映画に新たにとても感銘した理由が分かりました。
レーシングにハッピーエンドは存在しない
でもその中でいかに生きるか
いかに生き残るのか
目を背けてはいけない
あるシリアスなシーンでケイはこういいます。
俺にも血が通っているんだ
だがこう返されます
あなたの血は身体の外に流れる
劇中ではヨーロッパの原風景、街の景観、人々などが情緒たっぷりに描かれていきます。『ベルリン天使の詩』に映像の色が似ていたのは、日本と西ドイツ合作だというところからくるのかもしれませんね。日本映画だったらこんな映像は不可能だったでしょうし、僕の琴線に響く映画にならなかったでしょう。
またこの映画の一番の魅力はアンナにつきるでしょう。
離婚した両親の間で揺れ動く感情、パドック暮らしへの郷愁、ファンタジーとリアリティ、そして人生を愛することを懸命に学んでいる姿を見事に演じていました。
途中レオはレース中にケイと絡んで事故死します。家の主を失ったレオ家。
レオ家とのお別れのシーンでは、レオの棺を乗せた黒い車を先頭にキャンピングカーが走り出して行きます。見送るアンナは立ちすくんでいます。
ところが動き出したキャンピングカーが止まり、レオの息子が飛び出してアンナに駆け寄ってきます。そしてアンナの目を手のひらで隠して、アンナにお別れのキスをして走り去って行きます。アンナは唇を指でなぞってじっと見送るのが、なんとも情緒あふれるシーンでした。
アンナは大切にしている豚の貯金箱があります。将来、母親とオープンしたばかりの東京ディズニーランドへいくために貯金している、何よりも大切な貯金箱です。
ところが
ケイとアンナはアムステルダムに渡欧してきた母親に会いに行きます。そしてアンナが寝ているうちに、ケイはアンナを母親の元に置いて出て行きます。目を覚まして事実を確認するアンナに母親は、予定を早めて(おそらく、自分の影響が大きくなりすぎないように、とのケイの想い、アンネの居場所は母親の傍であるべきだ)てケイは出て行ったっと言います。
激しい失意のアンナはケイの次のレースのホッケンハイム(ドイツ)まで、単身向かうことを決心し家を飛び出します。
そして駅で長距離列車のチケットを買うために、窓口の前で豚の貯金箱を叩き割るのです。
Goobye Tokyo Disney Land
何よりも大切なオトーちゃんに会うために。
映画自体はハッピーエンドで終わります。そうするしかなかったんだ、そんな終わり方です。
映画の公開から33年経って、バイクの世界選手権は別世界になりました。
もうプライベーターは居ません。チームなんとか家の時代はとっくに終わったのです。
でも熱い心を持ったヨーロッパの観衆や、ダフナーのような我が町のヒーローを後援する城主様のような人々は健在です。
一方の日本は世界一のバイクを作り続けています。世界選手権最高峰のMotoGPでは日本のメーカーがハンデキャップを背負ってやっと、イタリアのメーカーが時々勝てる程度です。
ところが日本国内のバイクレーシングは全くもって衰退しました。レーシングのハードは世界一なのですが、ソフトつまり文化が全く育ってこなかったのです。皆がメーカーの仕事をすることを最終目標にして、つまり自立心なく依存心ばかりでレースをしてきた結果です。
後進国の東南アジアではバイクレーシングが急成長しています。
ところが日本から東南アジアへ輸出するハードはあっても、輸出できる文化はないのです。
レーシングにハッピーエンドは存在しない
でもその中でいかに生きるか
いかに生き残るのか
目を背けてはいけない
選んだ道の果てじゃけえ、という想いにすがっているだけでは何処にも行けない。
痛感しましたね。
一般の方にはつまらない映画かもしれませんが、よろしかったらぜひ。
youtubeなのでいつまで観れるのかわかりませんし。