シン・ゴジラと春の修羅
mental sketch modefied
心象のはひいろはがねから
あけびのつるはくもにからまり
のばらのやぶや腐植の湿地
いちめんのいちめんの諂曲 模様
(正午の管楽 よりもしげく
琥珀のかけらがそそぐとき)
いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を唾 し はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
(風景はなみだにゆすれ)
砕ける雲の眼路 をかぎり
れいろうの天の海には
聖玻璃 の風が行き交ひ
ZYPRESSEN 春のいちれつ
くろぐろと光素 を吸ひ
その暗い脚並からは
天山の雪の稜さへひかるのに
(かげろふの波と白い偏光)
まことのことばはうしなはれ
雲はちぎれてそらをとぶ
ああかがやきの四月の底を
はぎしり燃えてゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
(玉髄の雲がながれて
どこで啼くその春の鳥)
日輪青くかげろへば
修羅は樹林に交響し
陥りくらむ天の椀から
黒い木の群落が延び
その枝はかなしくしげり
すべて二重の風景を
喪神の森の梢から
ひらめいてとびたつからす
(気層いよいよすみわたり
ひのきもしんと天に立つころ)
草地の黄金をすぎてくるもの
ことなくひとのかたちのもの
けらをまとひおれを見るその農夫
ほんたうにおれが見えるのか
まばゆい気圏の海のそこに
(かなしみは青々ふかく)
ZYPRESSEN しづかにゆすれ
鳥はまた青ぞらを截る
(まことのことばはここになく
修羅のなみだはつちにふる)
あたらしくそらに息つけば
ほの白く肺はちぢまり
(このからだそらのみぢんにちらばれ)
いてふのこずゑまたひかり
ZYPRESSEN いよいよ黒く
雲の火ばなは降りそそぐ1922年4月8日
東京湾で発見された無人のプレジャーボートには、場違いなきっちりと揃えられた男物の黒い革靴と、テーブルの上には折り鶴と読み古された一冊の文庫本があった。ブックカバーは取れ日焼けした藁色の岩波文庫には「春と修羅」と特徴的なフォントが印刷されていた。
映画「シン・ゴジラ」のこの導入時の一瞬の映像に、監督脚本の庵野秀明のメッセージを強く感じた。
この映画は彼の心象風景なのか?
8/12 21:20開演 「シン・ゴジラ」を娘と観てきた。
大型商業施設にあるシアターで、時間はほとんどなかったが娘の咳止めを隣のスーパーの中の老舗薬局で買った。名物オヤジの老練な薬剤師に咳止めのシロップの所在を尋ねると、ダイ・ハードのジョン・マクレーンのように表情が一変し「どんな具合なんだ?」と乗り出してくる。医者に処方してもらった薬を飲んでいるが効き目がなく、咳止めシロップの方も併用したいと答えた。
I got it!とばかりに奥に引っ込むオヤジ。やばい時間ないぜ。
手に錠剤を持って出てきたオヤジは、「これを飲んでいるんだろ?だったらこのシロップだ。一日四回錠剤と一緒に飲め。いいか4回だ」と。
随分と高いシロップだったけど、オヤジの演出料こみだな。
以下ネタバレです!
「シン・ゴジラ」
日本と日本人の良いところと悪いところを、世相や歴史を絡めてコミカルかつ皮肉たっぷりに描いていた。特に311の東日本大震災や自衛隊と安保の在り方と政府、ゴジラがゴジーラになる前のルーツの広島の原爆まで伏線になっている。
様式美のごとく空飛ぶ京浜急行や水の街大田区の風情など細かい描写も心くすぐられ、映像表現の矛盾や稚拙さもほとんどなく、スピード感ある展開にどんどん引き込まれていった。
ただ肝心要の最後の作戦だけは気になる展開でちょっと引っかかった。
東京駅に鎮座する機能停止中のゴジラに、初動で無人N700新幹線に爆弾積んで上下線使って並走させて突っ込ませる。おいおい、その状態じゃ仮に軌道が無事で起電していてもシステム的に絶対新幹線動かせないよ。米軍は無人攻撃機使っていることから、航空自衛隊の有人攻撃はできないのはわかるけど。
でもこれはおそらく神風特攻に見立てているのですね。新幹線は大戦中の航空技術者が航空技術で開発したルーツから、最新のN700(あえてN700と呼称していた)を人知を超えた化け物ゴジーラの動きを一瞬でも止めるために特攻させるという比喩だったのかもしれない。これは大戦末期でどうしようもないけど、一瞬でも米軍の侵攻を食い止めたかったという特攻の目的そのもの。続けてかわいそうな山の手線まで白菊特攻のように特攻させているし。
その後、動きを封じたゴジラに、高層構造物に生コンを打設する大型ポンプ車を終結させて、地下鉄サリンの時に解毒剤を奇跡的なネットワークでかき集めたとように、日本中の英知と組織力で急造した血液凝固剤を、ゴジーラの腔内に流し込む。
もうこの辺りは完全ムリゲーで、どうやってそこ行くねん?無理やろ?・・・と
でも読み取れなかったけど、ポンプ車にはくっきりと何かのロゴが入っていた。
ああ、スポンサーなんだな、だからムリゲーコンプリートなんだ、なんて邪推してしまった。自衛隊はF2(主力のアメリカ製のF15じゃない)や10式戦車などの最新国産兵器をメインに、米軍はB2編隊と無人爆撃機まで出して超カッコよく描かれていたのも、一大協力者だったからかな。
地下鉄に避難するシーンも興味深かった。
史実には残っていないが過去の大空襲の際には、駅員が個人の判断で閉鎖されいてる地下鉄構内に避難させたり、運転手と連携して勝手に地下鉄を動かして避難行動をさせた。報告もなく史実には残っていないが、起電記録などの証拠はあるという。
ところが現在の有事であるゴジーラからの避難では、コンプライアンスや無責任主義に縛られる現在の日本人の体制側の姿を311を彷彿とさせるように揶揄されていた。
また体制側のドラマばかりで、市民の姿はほとんど描かれておらす、バトルオブブリッテンのように地下鉄構内に避難し徹底抗戦を続けたロンドンの人々のような描写も欲しかった。
ラスト
都心を汚染したゴジラの放射性物質は半減期が20日と短く、2 - 3年で影響がなくなるものと判明し、復興への道が開かれた。しかしゴジラはあくまで活動を停止したに過ぎないため、多国籍軍による熱核攻撃へのカウントダウンは残り58分46秒で「一時停止」のままで、万が一ゴジラが活動を再開した場合はカウントダウンが再開される状況である。東京駅のそばに立ったまま凍ったゴジラ、その尻尾の先から、人型をした謎の異形が数体生じているところを映して、本作は幕を閉じる。
その尻尾の映像は驚いたことに「春の修羅」そのものだった。
心象のはひいろはがねから
あけびのつるはくもにからまり
のばらのやぶや腐植の湿地
いちめんのいちめんの諂曲 模様
おれはひとりの修羅なのだ
まことのことばはここになく
修羅のなみだはつちにふる
ZYPRESSEN いよいよ黒く
雲の火ばなは降りそそぐ
心象の灰色鋼から出た山通の弦は
雲にまで絡まり木のようになった
野ばらの藪や腐臭漂う湿地帯は
遜ったような世界だ
俺は独りの修羅だ
真実の言葉はここにはなく
修羅の涙は土に降る
西洋ヒノキは黒く屹立し
雲の火花は降りそそぐ
ゴジーラの機能は使い方によっては毒にも薬にもなる。
一旦は封印して問題は先送りにしたがカウントダウンは続く。
黒く屹立した針葉樹は廃炉の冷却塔を連想させ汚染の恐怖は続く。
そんな庵野秀明の核へのアンチテーゼだったのでしょうか。
あるいはゴジーラが封印されたエヴァンゲリオンという、庵野秀明の心象風景なのかもしれないし。
折り鶴は原爆慰霊のシンボルにもなっている平和へのメッセージだろう。
*ちなみに御用学者を宮崎駿に見立ててブラックジョークにしているシーンと(しかも映画監督を使って!)、日本の総理が時間稼ぎのためにひと肌脱いで、仏大使に土下座外交しているシーンは、悪乗りが過ぎるように感じて気分の良いものじゃなかった。