Toujours beaucoup

いつまでもたくさん

気持ちの潮流

【離岸流(沿岸流)】

http://coastal.nagaokaut.ac.jp/~inu/rip_current/index.shtml#introduce2

子供の頃これで死にかけたことがある。

以前のエントリー
http://d.hatena.ne.jp/pooteen/20110630/1309390854

 また、たしかサマースクールのようなもので行ったある離島でのこと。遠浅の海をどんどん沖へ出て行った。せいぜい腰下の深さでどんどん沖へ出ていける。振り向け砂浜にいる人はかなり小さく見えるほどに。そこまでは一直線に沖に向かっていたのだが、浜辺に並行な方向に方向転換した直後にまたしても自分の無鉄砲を呪う事になる。
 
 階段を踏み外すようなあの感覚。足先に急に冷たさを感じるや否や、底なし沼に引きずり込まれるかのように流されてていく。超パニックになりながら、ああこういう時に死ぬんだなと覚悟を決めた。実は遠浅だと思っていたのは、海底が砂州状になっていて帯状に浅いポイントが沖まで続いていて、まんまと罠にはまった僕が馬鹿面して歩いていったという状況。どうして砂州状になっていたかというと、そのサイドは強い流れがあるという条件だからだ。
 
 ところが幸か不幸かあまりにも流れ強く、流れに逆らって浜に戻るどころか身を保持するのが精一杯で、その流されるままの状態が幸を奏して、流れに身を任せていれば戻れるという、学校の先生の教えを思い出した。

 これを書いている東海地方では「うど」と呼ばれていて、潮流が横一定の間隔であらわれ帯状に沖へ引っ張られる現象がある。 岸辺で遊ぶくらいならそれほど危険は無いが、岸を離れて「うど」に乗ってしまうとあっという間にかなり沖までもっていかれ、そこでパニックになって流れに逆らって戻ろとすると体力を消耗して不思議な世界へサヨナラだ。
 「うど」で流されたことがあるサーファーによると、もう浜が見えないぐらい沖まで回されるみたいで、頭でそのうち戻れると判っていても、何ともいえない絶望感を感じるそうだ。

 潮の流れるままにこの身を任せた僕は、ほうほうの体で生還したのだが、生還した要因はもう100%運のみだった。真冬の人食い噴水といい、水に潜む魔物の威力を再認識したのだった。

 この「うど」は心とか感情の流れにも似ていると思う...
恋人であったり、子供であったり、友人であったり...愛するもの気持ちが自分から離れ行く時。
 焦って自分を失ってはいけない。絶望的な手の届かないとこに流されていくなら身を委ねてみる。感情の強い流れが巡ってもとへ戻ってくるまで。
 あるいは横へ逃れてやり過ごす。決して流れに逆らって元に戻ろうとしてはいけない。
 
 流れに逆らうものには、苦しく絶望的な終わりが待っている。