イカロスの翼
見学に来ていた他の中3の生徒達はどれここれも似たようなものだ。田舎の中学、都会の中学。公立中学、お金持ち中学。制服が違うだけで、顔つきは似たりよったりのティーンたちだ。それが1、2年後にはその高校の在校生たちのような顔つきに育つのかと思うと興味深い。我街の高校生(兄の高二の含めて)たちは、僕が感じたビハインド感を卒業後に感じるのかもしれない。
「おいおい曲がれっていうけどさ、それは賛成できないな」
最高の味噌煮込みうどんが食べたいらしい。あんかけスパゲッティを本店で、という案は一蹴された。味噌煮込みうどんかよ。なんで好き好んであんな面倒なものを。熱いしビチビチ飛ぶし、煮込んだ味噌味で麺の風味が味わえない。
それでも老舗名店の本店をスマートフォンの地図アプリで検索しナビ設定をし大まかに記憶した。
合わせてカーナビもセットしたのだが、指定する道順が全く違う。スマートフォン指定の案内のほうが現実的だ。でもむしろ流れに身を任せたほうがいいこともある。カーナビの案内にしたがって、ブツブツ言いながら---おそらく味噌煮込みという目的がそうさせる---向った。
結果としてカーナビの案内の方が、間抜けだけど最終的には目的地の駐車場に入りやすかった。流れに逆らって溺れるより、流れに身を任せたほうが万事上手く典型的な例である。
名古屋駅の駅裏の地区で、豊臣秀吉や加藤清正の生誕地でもあり、大門、太閤、羽衣、寿、日吉、本陣、千成などの地名も長い伝統と歴史を感じさせる。
下町の町家建築、花街の妓楼建築の名残りが所々に見られる。またひと癖ありそうな傍若無人な老人の自転車がやけに多い。そんなのを引っ掛けたらえらい事になる。
つまりそういう所だ。
昼下がりでお店は空いていた。4人席がミニマムで6人以上や座敷がメイン。合い席はしない方針なのか、大きなテーブルや座敷にふたりだけというのも目立つ。効率とか回転で稼ぐなんて下品なことはしないのだろう。
この道一本でやってきた、そんな勲章をぶら下げた老齢の将軍のような番頭さんが睨みを効かせている。お土産用の味噌煮込みうどんもあり、乾麺、生麺と添え物などなかなか充実している。
しばし後、将軍に席を案内される。
お通しの漬け物。胡瓜と蕪と白菜。切れ上がった風味の生姜醤油で頂くのだがこれがなかなか。漬け物とはいえ、きちんとした素材を上品に漬けてある。
味噌煮込みうどんは、蓋を少しずらした土鍋で運ばれてきた。地獄の釜のように煮えたぎっている。蓋を開けると生卵が落とされた、形容には乏しい味噌煮込みうどんが煮えたぎっている。
グツグツと
かなり慎重に一口食べてみるが甘かった。火傷するかと思った。麺を落としたら熱いのが飛んでくるから、注意深い箸使いも必要だ。
味自体はとても美味しかった。出汁が強すぎず弱過ぎす、甘みとほろ苦さが水彩画のように表現されている。上質な七味とも良く合う。麺はびっくりするほど腰がある、というより固いと表現したほうがよいのか。最後まで威厳を保っていた。
味噌の中で無惨な姿となった葱も、ほんのり甘く歯応えの良さで答えてくる。忘れ物のような小さな肉片も一瞬の輝きのような旨味を残してくれる。
さすがになかなかのレベルだった。好きなものにはたまらないだろう。値段は高い。お客さんを回す効率は考えていないし、将軍の給料も高いせいだろう。でもそれは店の方針だ。
興味深いのは、この老舗にも態度のでかいチンピラ客がいた。40代、デブ、短髪、悪趣味な眼鏡のチンピラファッションにでかい声。将軍に対して名詞と命令形の動詞しか発しない横柄な態度は銃殺もんである。
一方では斜め向かいのテーブルの40前後の男女。
行政書士風の禿げ上がった太った男は実においしそうに食べている。
お腹を空かせた雛鳥のように口を開け
眉間にしわを寄せ
熱さと闘っているのだろう
天を仰ぎ
噴き出る汗を拭き
その瞬間の刹那を表現している。
あとで駐車場で一緒になった。400㌔は離れた遠方のナンバーのドイツ車。年収は600から800ぐらいか。
有名店のなせる技が他府県ナンバーが多かった。僕は味噌煮込みうどんのために遠征はできないな。
そんなわけで答え合わせをしてきた。つまり娘の高校の卒業式に行ってきた。味噌煮込みうどんを食べに行ったわけではない。
ちょっと偏狭な世界観で生きているような、地方の村社会の若者達を揶揄して、マイルドヤンキーという造語が生まれた。
就職2年目の兄はまさにそんな感じで、高卒、ミニバン、チャラ男、友達最高。でもそれは決して悪い事ではないし、むしろ良く頑張ったと思う。
毎朝6時半に起きて腰パン決めてドタバタと出て行く。日本の製造業に欠かせない消耗品を作っている有名なメーカーの忠実な技能工として、荒っぽい運転で裏道を突っ走って行く。そりゃ嫌な事もつらい事もあるけど、「僕の居場所はここじゃない」なんて不毛な事も言わない。
今春の21世紀枠で甲子園に出る事になった、地元伝統工業高校を卒業して今の会社に潜りこんだ。彼の適正をみてそれが最適だと思う方向で、良くやったほうだと思う。
何となく大学進学への希望もあったようだけど、今のご時世にトンデモ大学なんか出ると、就職でかえってビハインドを背負う。それ説明して、トンデモ大学の就職実績もみて理解したようだ。
「うちの工業の方が断然就職がいい!」
もちろんそれだけが全てではないけど、彼の器だとどこか大きなとこに潜り込んで、その中のコミュニティでなんとかやって行くのが良いと思った。
そんなマイルドヤンキーに対して娘の高校の生徒らは、インテリヤンキーといった感じだ。
過去の高校紛争で管理教育を断固拒否した二校のうちのひとつで、名残りは残っている。
今の日本では進路実績が学校の評価となり、自由と自治そして全人教育が特徴の娘の高校は、そんな評価には適していない。
でもそれがいい所であり、それもあって僕や娘も選択した。
それが新しい校長の管理教育に転換させようという試みと、生徒側が対立しているらしい。
でも、良い大学に行くことだけが目的なら、管理教育でネイビーシールズのように鍛え上げてくれる他の高校を選べばいいと思う。
だが自由というものは実は見えない鎖でもある。自由を履き違えたり、意識が低いと道を失ってしまうかもしれない。鎖を自慢する囚人のようになってはいけない。
娘は逡巡しながらこう言っていた。
とても自由で楽しい。反面ぐだぐなになってしまいがちでもある。---自己管理など----
「でも良かった」
それは卒業生の顔を見てりゃわかった。
結果はどうあれ、かけがえのない経験ができたのではないか。
自分を見つめ直したり、流されてしまえば万事上手くいくことを、流れに逆らって溺れてみるのもいい。
そういうのが必要な時期だ。
イカロスの翼のようだ。自由という翼を授けられ、高く飛びすぎて落ちてしまったもの、うまく飛べなかったものもいるだろう。
でも次はうまく飛べるよ。
でも沖縄そばのことは、すっかり忘れていた。