Toujours beaucoup

いつまでもたくさん

戸塚ヨットスクール

 戸塚ヨットスクールへ中学の頃通っていたことがある。

 でも問題があったわけじゃない。その頃はヤマハとタイアップしてオリンピックセイラーを養成しようという、ヤマハマリーナ浜名湖でのヨットスクールだった。

 堀江謙一の「太平洋ひとりぼっち」「単独無寄港世界一周」や、戸塚宏がウイングオブヤマハで不眠不休の神に身体を捧げるようなチャレンジで、単独太平洋横断ヨットレースに優勝したのに深く感銘を受けて、どうしてもヨットがやりたくなった。なんとか親に受講料は出してもらったが、送り迎えは毎回はしてくれないから、車で20分のとこを電車で2時間かけて通ったりしていた。

 ヨットレースはフィジカルだけでなく、戦術も多様で実に奥深く夢中になった。だが高校受験になり理解が得られず撤退。ヨットが出来る高校も探したが親を説得できずさらに撤退。

 その後の進路に向け、子供の頃からの夢だった軍用機パイロットへ向け、手段を模索したり予備校を検討したりもしたが、スポンサーは全く否定的でまたしても撤退。その後は大学のヨット部も考えたけど、純粋な競技性を目指していたのにそれとは違った感もあり、またその頃は既にバイクのウェイトの方が大きかった。

 今更考えても始まらないけど、ひょっとしたら違う人生の展開があったかもしれない。環境はもちろん、ちょっとしたキッカケと偶然の積み重ねで大きく変わったりするから。

 結婚して子供が出来てしばらくしたころ、蒲郡へヨットレースの国体を観に行った。潮の香りと風の声が織り成す空気はなんとも懐かしくて、彼らが羨ましいのと何とも言えない寂寥感で少し涙がでたな。

 戸塚宏は事件後ただちにヤマハに切られ、マスコミに事あるごとに徹底的に叩かれ、意固地になり社会性を失っていった。
海での極限体験による情操教育は効果があり、事件後も理解者や後援者もありスクールは存続していたが、社会性を失っていった結果、矯正施設的な要素が強くなったのだろうか。

 しかし、行き過ぎた結果は言及に及ばないけど、救われた人間も多いはず。