正義はどこにあるの
実はもう黒船が来るのは分かっていて、ペリーに言われなくても「鎖国って無理ゲーだし、オワコンじゃね?そろそろ開国しないとまづいんじゃね??」と有識者は認識していたという。
何はともあれ明治維新からのダイナミックな近代史には、子供の頃から江戸川乱歩やシャーロックホームズと同じように、いやそれ以上に夢中になっていた。
でも核心に迫るほどに穴はどんどん深くなり、少なくとも縄文から弥生時代を水源にして、民族という大きな川の河口に立たなければばらなくなる。
太平洋戦争時の映像は今ではインターネットで簡単に見ることができる。それらから感じるのは、当時の日本人はまるで野蛮人のようで言語表現も現在とは異なっている。特に軍人やメディアの言葉の異質さは顕著で、やたらと抑揚の激しく一人称のような日本語を喋っている。共産圏のプロパガンダ放送のようだ。
そしてすぐに大きな声を出す。まるで子供かチンピラのようだ。そう自分しか見ていない子供だったのだ。チンピラも同じだ。
米軍の日本本土爆撃で撃墜されたB29のクルー達は、怒れる日本の住民に復讐されると恐れていた。つまり自分たちが何をやっているか理解していた。そして実際に撃墜さて脱出したクルーたちは復讐に燃える住民達に酷い目にあった。農民の落ち武者狩りのような側面もあったという。
B29迎撃で捨て身の戦いで機を失い、横浜市磯子区に落下傘降下した日本海軍横須賀航空隊のパイロットが、米兵と誤認され住民に撲殺されるという不幸な出来事まであった。真っ黒に燻されていて人事不省状態で誤認しやすい状態であったというが、あまりにも不幸な出来事だった。いくら復讐心に燃え心神喪失状態にあったとはいえ、文明人のやることではない。それ以来日本海軍のパイロット達は、飛行服におおきな日の丸を縫い付けるようになった。同じようなケースはほかにもあったという。
また南方で墜落した日本のパイロットたちも、しばしば原住民たちの落ち武者狩りに遭って嬲り殺されたり、敵軍に売られたりしたという。そして敗戦濃厚となった時期から、ジャングルを彷徨う日本陸軍兵士たちは、頻繁に狩りの対象になったといいう。つまりそういう報いを受ける行為をしてきたということだ。
※逆に原住民たちを従属させ、王様待遇を受けた猛者もいたというが。
彗星_ある艦爆パイロットの戦い | ガメ・オベールの日本語練習帳v_大庭亀夫の休日
この彗星の話は実に印象的な話で、体制には従うけど、人としての矜持を最後の最後に爆発させるような話は日本だけではない。
連合国(英米)によるドイツ本土戦略爆撃では、25回任務を遂行すると国に帰ることができた。
損失率は4%で、一回あたり100機出撃するとして毎回損失は補充されるとして、4機損失/回×25回で100機失われる。
つまり4%×25回で100%サヨナラだ。
ある機体でのエピソード。
その機は最後の25回目の出撃であるが、機長と尾部銃座手は友情出演のような形で26回目だった。
不幸にも最後の出撃でドイツ機の餌食となり、エンジンが火だるまになり、直ぐに消化しないと翼内タンクに引火して大爆発である。
一刻の猶予を許さない状況で、なんと捨て身の尾部銃座手が消化剤を携えて機外に這い出て燃え盛るエンジンに飛び込んで消化した。これで少しの猶予ができた。
そして撃たれて瀕死の機長は、どっちにしろ自分は助からないから、損傷で飛行がままならない機をなんとか操縦しているうちに、無事なやつらは脱出しろと。
何の因果か、行かなくてもいい26回目の出撃で自ら犠牲になった2人の気持ちは計り知れないものがある。
ちなみに初期のドイツ本土戦略爆撃では、もう死にに行くようなもので損失率は50%だったという。これには理由がある。
神風特攻は「統率の外道」ともいわれ、特攻のみならずハラキリ玉砕精神で、「武士道とは死ぬことと見つけたり」「期して生還を望まず」などと間違えた日本人の美意識を強制され捨て駒とされた。
英米は一般的には人命優先を期していたという。
ところが初期のドイツ本土爆撃では、爆撃機はドイツの迎撃機をおびき出すための囮だった。
つまり護衛の戦闘機は、誘き出したドイツ機を殲滅させるためで、裸の爆撃隊は大きな損失を出した。そしてその無謀な攻撃を何度も繰り返しドイツ空軍の1/3を無力化させ目的を達成した。その目的とはその後の史上最大の上陸作戦のためである。
つまり爆撃隊は捨て駒になったのである。もちろんその本意は隠されていた。
日本軍の総戦死者数は約210万人
うち航空従事者は約3万5千人でうち神風特攻では約4千人。
米軍の総戦死者数は約82万人
航空従事者は約8万8千人
総戦死者数は日本の方が圧倒的に多いのだが、航空従事者については逆転してアメリカの方が圧倒的に多いのである。これはイギリスも同様で、米英による戦略爆撃は彼ら自身も大きな損失を出している。つまり量をもって圧倒する戦略で、それでたとえ人命を多く消耗しようとも。
ちなみにやりたい放題だったといわれるB29による日本本土戦略爆撃でも、米軍は3千人以上失っている。神風特攻では4千人であり、結構な数の犠牲者である。
つまりそれだけ航空戦略に重きを置いていたのである。
なお戦死者数については、ドイツやソ連、中国は圧倒的に多い。
スターリンは武器より人海戦術で戦ったし、ドイツは日本以上に身の丈を越えた大きな戦いして、中国なんかは内戦をやりながら戦っていた。
大戦時の日本人は欧米と較べると、精神性や知力はまるで子供で、特に日本陸軍は大きな犠牲者を出しアジア諸国に禍根をばらまいた。
前述したように米英も航空従事者においては多大な犠牲者を出しはしたが、戦争のやり方を知っていた。
勝者と少年ジャンプの中にしか正義は存在しないのである。
話を戻して
「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」
武士としての心得を説いた「葉隠」の記述の中で特に有名な一節である。
ところがこれは「葉隠」の全体を理解せずに、この部分だけ取り出して武士道精神そのものと解釈されてしまっている事が多い。
特攻や玉砕、自決などを肯定するための美辞麗句といて用いられたこともあり、現在もこのように認識することが多いようである。
ところが実際には、武士としていかに生き抜くかの心得を、様々な視点から論述したものである。
最後の武士や騎士ともいえるエースパイロットの言葉の中には、「葉隠」に通ずる真実がある。
「敵が優秀だと感じたら、基地に帰ることにしている。もっとマシな日のために」
エーリッヒ・ハルトマン
生き残った日本人のエースパイロット達も、攻撃と同様に防御、つまりいかに逃げるかを常に考えていたという。
「自爆なんぞ俺が許さん!右手がやられたなら左手で戦え両手をやられたなら口で操縦桿をくわえて帰ってこい最後まで絶対に諦めるな!」
坂井三郎
負けは死を意味する彼らの仕事は一発のミスが命取りになる。
いかに死ぬかではなく、いかに生き抜くか、いかに逃げるか、つまりいかに泥臭く生き抜くか、それが武士道の本懐ではないか。
「ひたすら美しく生き、ひたすら美しく死ぬこと」は古代ギリシャ人と三島由紀夫に任せておけばいい。