Toujours beaucoup

いつまでもたくさん

オフィス街の古い井戸

以前から気になっていた老舗の飲み屋がありました。
オフィス街の裏通りのビルの狭間にひっそりと隠れるような町家建築で、敷居が高そうです。手の届かない小町のように、身分不相応で憧れのままで終わるかと思っていたら、偶然にも先輩に誘われてそこへ行くことになりました。

 

店内にはモノクロの古い写真があり、往年のそのお店と人々が佇んでいます。
もとは魚の仕出し業でなんと100年の歴史があるそうです。

 

そして敷居の高いイメージとは裏腹に、安くて美味しい庶民的なお店で、僕より上の世代の常連さんの暖かい笑い声に包まれていました。お刺身は舌触りがとても柔らかくて甘く感じるのです。戻し方や包丁の入れ方の練度の高さなんだと思います。

 

驚いたことに、お客さんの中にはプロの噺家さんもいて、やはりトークが一味も二味も違うのですね。なんというか言葉に対する洞察力が高いのです。どんな問いかけにも名キャッチャーの返球のような、わかりやすく粋な返しがきます。

 

老舗なだけに看板も早く、その後知り合ったライバル出身高の先輩に連れられ、行きつけのお店に。

そこはまたエキセントリック。なんだかベイビーメタルなお店で、豊橋の有名な老舗の飲食店の社長のお店でした。いただいた奥三河の幻のお酒は深山の湧き水のような味わいでしたね。

 

いろいろと勉強になりました。

 

そして床につき見た夢は、謎の会社の運動会に出て短距離走に出た後にお風呂に入って、その後マツダのボンゴにみんなで乗って犬吠埼を彷徨い、知らない街を彷徨い、コソ泥を捕まえたり、古いプールで泳いだり。
運動会ではグラントの隅で、なぜか知り合いが飼い犬を砂風呂に入れていましたね。

 

もうわけわかりません。

ごちそうさまでした。

 

前者の老舗は撮影したりお店の名前を紹介するのはふさわしくない、コミットしない方がうまくいくような気がしました。口コミと紹介客のみで居心地の良いお店をつくる、つまり京都の「一見さんお断り」でもいいのです。もちろんそこは一見さんでも歓迎だし歓迎してくれたのですが。

また今ではオフィス街化した周辺に合わせて昼のランチを重視しているようです。

 

「この先無用のもの入るべからず」

敷居の高い印象を受ける個人店はそんなメッセージをも感じることがあります。

僕のワークショップもそうです。マネージメント能力の高いお客さんにはもずっとダメだししまくりです。僕の答えは今ではニッコリ笑うだけです。

 

逆にオープンでエブリィバデイウエルカムを追求していくと、果てはフランチャイズの大衆大型店になってしまいます。個人店では同じ土俵では勝てないですよね。

 

消費者意識や世の中のシステムも変わってきて、個人商店というものが成り立ちにくくなってきています。そこで個人店が大型大資本店と同じプロセスを踏んでも、弓折れ矢尽きる、結果になりそうです。

 

また地元密着と責任意識の高さ、創るも潰すも容易い個人商店のいいところをに目をつけ、それを束ねて徹底的に管理したのがコンビニチェーンの7-11(セブンアイホールディング)なんですね。もう一人勝ちで他の追従を許しませんよね。同じやり方では後からは絶対に追いつけません。

 

ヴェトナム戦争でアメリカを徹底的に苦しめたのはゲリラ戦です。

地下に掘った無数の穴を縦横無尽に駆け巡り、罠を仕掛け、圧倒的戦力を持ったアメリカを揺さぶり恐怖のどん底に陥れます。植えつけられた恐怖はアメリカを残虐化させ無慈悲な殺戮を繰り返すようになり、それは国内の大きな反戦運動につながります。ヒッピー文化という時代のムーブメントもそれを後押しました。

西対東の覇権戦争で問題はそれだけではないのですが、最終的にはアメリカはヴェトナムから逃げ出し初めて戦争に負けます。

サイゴン陥落と脱出劇にまつわるエピソード。

最後にアメリカ大使館に逃げ込んで孤立したアメリカ人らを、沖合いの航空母艦からヘリでピストン輸送して救出します。どんどん人で溢れかえる航空母艦では、スペースを確保するために、甲板の軍用機を人力で海に放り出したり、そりゃもうドリフの「8時だよ全員集合」の大団円のドタバタ騒ぎです。

 

でも戦い続けるのもいいのですが、あきらめてひっそり井戸に篭るのもひとつの選択でしょう。

居心地の良い井戸端のような個人店はそっとしておいた方が良いのかも知れません。