明日へ向かって走れ
競輪選手として怒号渦巻くレーストラックに生を浮かべ、引退を間近に控えたある男が言いました。
いくら頑張ってもライバルたちはいつも3年先にいた。その差はずっと埋められなかった。今も。
彼は高校卒業までは陸上選手として活躍していました。
なかなかのセンスだっと聞きます。
そして高校卒業と同時に、厳しい関門をクリアして競輪選手養成施設に入り、猛烈なシゴキを死ぬ思いで乗り越えて競輪選手になりました。
選手養成所に入った当初は絶望したそうです。
主体は高校卒業まで自転車レースのためだけに頑張ってきた全日本クラスの選手ばかりでした。
いわゆるコストをかけて育てあげてきた養殖ものです。対する彼は天然もの。稀に宝を産みだす原石のようなもので、ほとんどは厳しい訓練に耐えかね脱落していきます。
天然ものの彼が感じたのは、特に心身ともに成長する10代中盤に積み上げた力の差、つまり陸上に執心していた3年間を悔いたそうです。
その3年間の差を埋めるために人並み以上に頑張りましたが、いつまでたってもその差は縮まるどころか、無理して故障したり怪我をしたりで、3年後を着いていくのが精いっぱいだったそうです。
でも、ひょっとしたらそれは彼の自己憐憫のための言い訳なのかもしれません。
でもいいじゃないか。
彼は調子に乗って散財したり非人になったりすることもなく、堅実に暮らし穏やかな家庭を築き上げ、恨まれることも嫉まれることもなく、決して万全とはいえないけど五体満足でリタイヤすることができました。
凡人には絶対に経験できない、スリリングな非日常の世界を骨の髄まで喰らうなんて稀有な人生で嫉妬すらします。
一流選手でも人生が立ち行かない者はごまんといます。
でも彼はパッとしない手組のゲームだったけど、きれいに上がることができました。
それって実はすごく立派なことだと思うのです。
遠い砂漠
そのくせぼくらは砂漠を愛したものだ。
砂漠は一見空虚と沈黙に過ぎないように見える。
それは砂漠が日の浅い恋人に身を任せたりしないからだ。
月曜の朝に慄く中二
親父にもぶたれたことないのに
ドラムソロで暴走してプレイをやめない生徒に対して日野皓正さんが
日野皓正:「貴様なぜ自分の任務を果たそうとしないんだ。」
生徒:「日野さんはなんで戦っているんです?」
日野皓正:「今は、そんな哲学など語っている暇はない。やめろ!おい。」
生徒:「やめてくださいよ。そんなに僕のドラムが気に入らないならあなた自身がやればいいんですよ。」
日野皓正:「出来ればやっている。貴様に言われるまでもなくな。」
生徒:「僕だって出来るからやっているんじゃないんですよ。」
バシッ(ビンタする)
生徒:「ウッ、殴ったね。」
生徒の友人:「日野さん!」
日野皓正:「殴ってなぜ悪いか。貴様はいい、そうやって喚いていれば気分も晴れるんだからな。」
生徒:「僕のドラムはそんなに安っぽいですか。」
バシッ(往復ビンタする)
生徒:「2度もぶった。親父にもぶたれたことないのに。」
日野皓正:「それが甘ったれなんだ。殴られもせずに1人前になった奴がどこにいるものか。」
生徒:「もうやらないからな。誰が二度とドラムなんてやるもんかよ。」
生徒の友人:「いいかげんにしなさいよ。しっかりしてよ、情けないこといわないで。」
日野皓正:「俺たちはステージにいる。今のままだったら貴様は虫けらだ。俺はそれだけの才能があれば俺を超えられる奴だと思っていたが残念だ。」
生徒:「・・・。日野さん、日野さんっ」
生徒の友人:「ドラムソロのテクニカルコントロールマニュアルってあるんでしょ。あたしがドラムをやるわ。自分のやった事にうぬぼれられない人なんて嫌いよ。今日までこのバンドを守ってきたのは誰でもない俺だって言えないあなたなんて男じゃない。あたし・・・。」
生徒:「ドラムソロは君には無理だよ。」
生徒の友人:「そんなことわかってるわ」
生徒:「悔しいけど、僕は男なんだな。」
ブライト指揮官が、甘ったれの天才パイロットアムロに手を上げ叱咤するガンダムの1シーンを、今回の世界的トランぺッターの日野皓正さんの教え子に対する「往復ビンタ事件」にアテレコしてみたのですが。
言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ
山本五十六さんの名言にありますが、それでも動かない人は犬以下で叩くか消えてもうらうしかないのですが。特に自我が確立していない子供の指導は、動物に対する躾のようなケースも出てきます。
しかし暴力で指導するというものは逃げやすい手でもあり、習慣性もあり核保有と同じで発射のボタンを押してはいけません。
でも銃の引き金と同じで、銃というものはいつかは撃たれるためにある。核のボタンも同じでそれが故に狡猾な外交カードでもあります。
特に今回の日野さんの行き過ぎた指導について
基本的に高みに登りつめた世界的なプレイヤーやアスリートというものは、隠された因数のように暴力的な野獣の要素を隠しています。でなければ戦いに生き残って世界を見下ろすライオンキングのように高みの岩の上に立つことはできません。
日野さんにとって今回の教え子の暴走は氏の領域を侵すもので、普段は隠されている獣の爪が光っただけなのかと。
上位者や教育者が頼る暴力とは異質なもの。
そしてライオンは全人ではないということをしっかり理解して、周りがフォローして見張っていないといけないと。
戸塚宏さんもそんな人だったなあ
Lives still
新入社員の年収ぐらいの価格のライカを触らせてもらった。
重力の存在を感じる質感、そして愚直なデザイン。
その場で一枚撮ってもらった。
まるで水中のような光と立体感。2人の主役にスポットを当てたようなフォーカス。
まるで空気までも描き出している静物画のようである。
Still life とはよくいったもんだ。
8時間耐久ハードル
目の前のハードルは高すぎて、なぎ倒しながら走り抜けていくしかないのは分かっている。
後戻りできないのも分かってる。弱音を吐いても最悪な気分になるだけなのも知っている。
でも今日はずっとギブアップするイメージに支配されていて、そんな自分自身を呪う自分がいて、夜が明けなければいいのにと願っている。
ハードルをなぎ倒すほんの一時の痛みを我慢するだけでいいのに、ギブアップして負け犬として残飯を漁る自分をイメージしてる。
夜の底が明るくなってきた。
あんなに上品そうな奥さんさえ、こんな事をたくらまなければならなくなっている世の中で、我が身にうしろ暗いところが一つも無くて生きて行く事は、不可能だと思いました。トランプの遊びのように、マイナスを全部あつめるとプラスに変るという事は、この世の道徳には起こり得ないことでしょうか。
そうして、その翌る日のあけがた、私は、あっけなくその男の手にいれられました。
神がいるなら、出て来て下さい! 私は、お正月の末に、お店のお客にけがされました。
「やあ、また僕の悪口を書いている。エピキュリアンのにせ貴族だってさ。こいつは、当っていない。神におびえるエピキュリアン、とでも言ったらよいのに。さっちゃん、ごらん、ここに僕のことを、人非人なんて書いていますよ。違うよねえ。僕は今だから言うけれども、去年の暮にね、ここから五千円持って出たのは、さっちゃんと坊やに、あのお金で久し振りのいいお正月をさせたかったからです。人非人でないから、あんな事も仕出かすのです」私は格別うれしくもなく
「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ」
鈴鹿8耐ウイークのスタートだ。
人非人になることを許される週末である。
だが本当のレースは翌月末からの殺人的な支払いレース。
アポロ計画でアメリカが破綻しそうになったように、非日常を求めたツケは大きい。