親父にもぶたれたことないのに
ドラムソロで暴走してプレイをやめない生徒に対して日野皓正さんが
日野皓正:「貴様なぜ自分の任務を果たそうとしないんだ。」
生徒:「日野さんはなんで戦っているんです?」
日野皓正:「今は、そんな哲学など語っている暇はない。やめろ!おい。」
生徒:「やめてくださいよ。そんなに僕のドラムが気に入らないならあなた自身がやればいいんですよ。」
日野皓正:「出来ればやっている。貴様に言われるまでもなくな。」
生徒:「僕だって出来るからやっているんじゃないんですよ。」
バシッ(ビンタする)
生徒:「ウッ、殴ったね。」
生徒の友人:「日野さん!」
日野皓正:「殴ってなぜ悪いか。貴様はいい、そうやって喚いていれば気分も晴れるんだからな。」
生徒:「僕のドラムはそんなに安っぽいですか。」
バシッ(往復ビンタする)
生徒:「2度もぶった。親父にもぶたれたことないのに。」
日野皓正:「それが甘ったれなんだ。殴られもせずに1人前になった奴がどこにいるものか。」
生徒:「もうやらないからな。誰が二度とドラムなんてやるもんかよ。」
生徒の友人:「いいかげんにしなさいよ。しっかりしてよ、情けないこといわないで。」
日野皓正:「俺たちはステージにいる。今のままだったら貴様は虫けらだ。俺はそれだけの才能があれば俺を超えられる奴だと思っていたが残念だ。」
生徒:「・・・。日野さん、日野さんっ」
生徒の友人:「ドラムソロのテクニカルコントロールマニュアルってあるんでしょ。あたしがドラムをやるわ。自分のやった事にうぬぼれられない人なんて嫌いよ。今日までこのバンドを守ってきたのは誰でもない俺だって言えないあなたなんて男じゃない。あたし・・・。」
生徒:「ドラムソロは君には無理だよ。」
生徒の友人:「そんなことわかってるわ」
生徒:「悔しいけど、僕は男なんだな。」
ブライト指揮官が、甘ったれの天才パイロットアムロに手を上げ叱咤するガンダムの1シーンを、今回の世界的トランぺッターの日野皓正さんの教え子に対する「往復ビンタ事件」にアテレコしてみたのですが。
言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ
山本五十六さんの名言にありますが、それでも動かない人は犬以下で叩くか消えてもうらうしかないのですが。特に自我が確立していない子供の指導は、動物に対する躾のようなケースも出てきます。
しかし暴力で指導するというものは逃げやすい手でもあり、習慣性もあり核保有と同じで発射のボタンを押してはいけません。
でも銃の引き金と同じで、銃というものはいつかは撃たれるためにある。核のボタンも同じでそれが故に狡猾な外交カードでもあります。
特に今回の日野さんの行き過ぎた指導について
基本的に高みに登りつめた世界的なプレイヤーやアスリートというものは、隠された因数のように暴力的な野獣の要素を隠しています。でなければ戦いに生き残って世界を見下ろすライオンキングのように高みの岩の上に立つことはできません。
日野さんにとって今回の教え子の暴走は氏の領域を侵すもので、普段は隠されている獣の爪が光っただけなのかと。
上位者や教育者が頼る暴力とは異質なもの。
そしてライオンは全人ではないということをしっかり理解して、周りがフォローして見張っていないといけないと。
戸塚宏さんもそんな人だったなあ
Lives still
新入社員の年収ぐらいの価格のライカを触らせてもらった。
重力の存在を感じる質感、そして愚直なデザイン。
その場で一枚撮ってもらった。
まるで水中のような光と立体感。2人の主役にスポットを当てたようなフォーカス。
まるで空気までも描き出している静物画のようである。
Still life とはよくいったもんだ。
8時間耐久ハードル
目の前のハードルは高すぎて、なぎ倒しながら走り抜けていくしかないのは分かっている。
後戻りできないのも分かってる。弱音を吐いても最悪な気分になるだけなのも知っている。
でも今日はずっとギブアップするイメージに支配されていて、そんな自分自身を呪う自分がいて、夜が明けなければいいのにと願っている。
ハードルをなぎ倒すほんの一時の痛みを我慢するだけでいいのに、ギブアップして負け犬として残飯を漁る自分をイメージしてる。
夜の底が明るくなってきた。
あんなに上品そうな奥さんさえ、こんな事をたくらまなければならなくなっている世の中で、我が身にうしろ暗いところが一つも無くて生きて行く事は、不可能だと思いました。トランプの遊びのように、マイナスを全部あつめるとプラスに変るという事は、この世の道徳には起こり得ないことでしょうか。
そうして、その翌る日のあけがた、私は、あっけなくその男の手にいれられました。
神がいるなら、出て来て下さい! 私は、お正月の末に、お店のお客にけがされました。
「やあ、また僕の悪口を書いている。エピキュリアンのにせ貴族だってさ。こいつは、当っていない。神におびえるエピキュリアン、とでも言ったらよいのに。さっちゃん、ごらん、ここに僕のことを、人非人なんて書いていますよ。違うよねえ。僕は今だから言うけれども、去年の暮にね、ここから五千円持って出たのは、さっちゃんと坊やに、あのお金で久し振りのいいお正月をさせたかったからです。人非人でないから、あんな事も仕出かすのです」私は格別うれしくもなく
「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ」
鈴鹿8耐ウイークのスタートだ。
人非人になることを許される週末である。
だが本当のレースは翌月末からの殺人的な支払いレース。
アポロ計画でアメリカが破綻しそうになったように、非日常を求めたツケは大きい。
木村先生の最後の授業 努力した者だけに夢を見る権利がある
幼少の頃見た百科事典で人力飛行機として紹介されていた、日大理工木村研究室のオリジナリティ溢れる「リネット」初飛行のモノクロの写真が脳裏に焼き付いていました。
銭形警部がルパンを追いかけるパトカーのように、獲物を追いかけるような気持ちがあふれんばかりの伴走車に、飛び上がらんばかりの機体サポートの人影。
情熱が沸騰爆発したような初浮上の興奮の瞬間が手に取るように伝わってきます、
木村秀政先生は戦前から戦後にかけて日本の航空機の発展に大きく貢献したビッグネームで、零戦を産み出した三菱の堀越二郎氏、飛燕を産み出した川崎の土井武夫氏と並び、東大航空学科の天才三羽烏と称されていました。
木村先生は晩年には日大理工航空宇宙の名誉教授として、後進の育成と日本の航空界の発展に貢献して著書も多く残しています。
僕にとって空への憬れ、そして「鳥人間コンテスト」も子供のころからのひとつの夢で、入学した日大理工時代は手を伸ばせばすぐそこに「本物」があったのに何やっていたんでしょうね。
その時は心変わりしてバイクしか眼中に無くって、良くも悪くも「ダメ人間コンテスト」に走ってしまったのでした。
動機もあって契機まで揃ったのに、滑走路をバイクで明後日の方向に走っていってしまったのですね。
1年次教育課程の日大理工習志野キャンパスには滑走路まであったのです。
・実際の名称は「交通総合試験路」なのですが、どうみても滑走路で通称も「滑走路」で、浮上試験飛行していた人力飛行機が離陸してしまって隣接住宅地に墜落する事件もありました。あれはパイロットに魔がさしてしまったでしょうかね。
本当のところは、常に勝ちを要求される日大理工の「鳥人間たち」はやはり「本物」であまりに「本気」すぎて変人の巣窟であり魔窟でした。
本能的にここに飛び込んだら絶対ダメになると感じて、つまりイカロスの翼と同じで高く飛び過ぎてしまって翼が太陽に焼かれてしまう。
自分の性分からして、茹で上がってしまうことが容易に予測出来て尻込みしてしまって、ビビって逃げ出してしまったのです。
そして代わりにレシプロエンジンの燃費レースの、ホンダ主催の通称「エコラン」に出ていました。スーパーカブのエンジンを大改造しチームで制作した3輪の車体に載せたマシンのドライバーに幸運にも選ばれたのです。腹這いで乗り込む地を這うようなマシンで、鳥人間を夢見た少年は、桶川のホンダ航空の滑走路のアスファルトの地面を這いつくばって走っていたのです。燃費はパッとしませんでしたがスピードは群を抜いていて、それはそれで面白かったのですがね。
僕が日大理工に入学した時には(しかもバイクばかり乗っていて航空宇宙は滑り二次死亡の他の学科です)すでに木村先生は鬼籍に入っていたのですが、だいぶ上の先輩らは木村先生の最後の特別講義を受けたことがあり、また驚くことに堀越二郎先生の特別講義もあったそうです。
両氏ともに講義は日本の航空史のマイルストーンになった、零戦や戦後初の国産旅客機YS11の思い出話が中心だったといいます。
大先生の講義であるからに、例えば宮崎駿が自己の半生や想いを、堀越二郎氏や堀辰雄氏というフィルターを通して表現した映画「風立ちぬ」のような哲学的な内容も織り込まれていたかとも想像していましたが、飛行機好きオヤジの笑いあり涙ありの楽しい講義だったようです。
学外からの飛び入りも含めた立ち見客で満員御礼の講義だったと。
過去の偉人たちや、名も知れず野垂れ死にした挑戦者たちは、想像を絶する研鑽と絶対に諦めない気持ちを携えたその先に、もう少し手で手が届く初めて本当の夢があったのですね。
僕は空だけではなく、バイクでも仕事でも夢と冒険の入り口のドアの前に何回も立つ機会があったのに、ドアを開くことができなかったのです。
今振り返っても、初志貫徹で勇気を出して飛び立って、カッコつけながら落ちれば良かっただけなのですけどね。
毎年この時期になると思い出す、中途半端な選択を繰り返してきた自分らしい回顧でした。
木村先生すみませんでした。