8時間耐久ハードル
目の前のハードルは高すぎて、なぎ倒しながら走り抜けていくしかないのは分かっている。
後戻りできないのも分かってる。弱音を吐いても最悪な気分になるだけなのも知っている。
でも今日はずっとギブアップするイメージに支配されていて、そんな自分自身を呪う自分がいて、夜が明けなければいいのにと願っている。
ハードルをなぎ倒すほんの一時の痛みを我慢するだけでいいのに、ギブアップして負け犬として残飯を漁る自分をイメージしてる。
夜の底が明るくなってきた。
あんなに上品そうな奥さんさえ、こんな事をたくらまなければならなくなっている世の中で、我が身にうしろ暗いところが一つも無くて生きて行く事は、不可能だと思いました。トランプの遊びのように、マイナスを全部あつめるとプラスに変るという事は、この世の道徳には起こり得ないことでしょうか。
そうして、その翌る日のあけがた、私は、あっけなくその男の手にいれられました。
神がいるなら、出て来て下さい! 私は、お正月の末に、お店のお客にけがされました。
「やあ、また僕の悪口を書いている。エピキュリアンのにせ貴族だってさ。こいつは、当っていない。神におびえるエピキュリアン、とでも言ったらよいのに。さっちゃん、ごらん、ここに僕のことを、人非人なんて書いていますよ。違うよねえ。僕は今だから言うけれども、去年の暮にね、ここから五千円持って出たのは、さっちゃんと坊やに、あのお金で久し振りのいいお正月をさせたかったからです。人非人でないから、あんな事も仕出かすのです」私は格別うれしくもなく
「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ」
鈴鹿8耐ウイークのスタートだ。
人非人になることを許される週末である。
だが本当のレースは翌月末からの殺人的な支払いレース。
アポロ計画でアメリカが破綻しそうになったように、非日常を求めたツケは大きい。
木村先生の最後の授業 努力した者だけに夢を見る権利がある
幼少の頃見た百科事典で人力飛行機として紹介されていた、日大理工木村研究室のオリジナリティ溢れる「リネット」初飛行のモノクロの写真が脳裏に焼き付いていました。
銭形警部がルパンを追いかけるパトカーのように、獲物を追いかけるような気持ちがあふれんばかりの伴走車に、飛び上がらんばかりの機体サポートの人影。
情熱が沸騰爆発したような初浮上の興奮の瞬間が手に取るように伝わってきます、
木村秀政先生は戦前から戦後にかけて日本の航空機の発展に大きく貢献したビッグネームで、零戦を産み出した三菱の堀越二郎氏、飛燕を産み出した川崎の土井武夫氏と並び、東大航空学科の天才三羽烏と称されていました。
木村先生は晩年には日大理工航空宇宙の名誉教授として、後進の育成と日本の航空界の発展に貢献して著書も多く残しています。
僕にとって空への憬れ、そして「鳥人間コンテスト」も子供のころからのひとつの夢で、入学した日大理工時代は手を伸ばせばすぐそこに「本物」があったのに何やっていたんでしょうね。
その時は心変わりしてバイクしか眼中に無くって、良くも悪くも「ダメ人間コンテスト」に走ってしまったのでした。
動機もあって契機まで揃ったのに、滑走路をバイクで明後日の方向に走っていってしまったのですね。
1年次教育課程の日大理工習志野キャンパスには滑走路まであったのです。
・実際の名称は「交通総合試験路」なのですが、どうみても滑走路で通称も「滑走路」で、浮上試験飛行していた人力飛行機が離陸してしまって隣接住宅地に墜落する事件もありました。あれはパイロットに魔がさしてしまったでしょうかね。
本当のところは、常に勝ちを要求される日大理工の「鳥人間たち」はやはり「本物」であまりに「本気」すぎて変人の巣窟であり魔窟でした。
本能的にここに飛び込んだら絶対ダメになると感じて、つまりイカロスの翼と同じで高く飛び過ぎてしまって翼が太陽に焼かれてしまう。
自分の性分からして、茹で上がってしまうことが容易に予測出来て尻込みしてしまって、ビビって逃げ出してしまったのです。
そして代わりにレシプロエンジンの燃費レースの、ホンダ主催の通称「エコラン」に出ていました。スーパーカブのエンジンを大改造しチームで制作した3輪の車体に載せたマシンのドライバーに幸運にも選ばれたのです。腹這いで乗り込む地を這うようなマシンで、鳥人間を夢見た少年は、桶川のホンダ航空の滑走路のアスファルトの地面を這いつくばって走っていたのです。燃費はパッとしませんでしたがスピードは群を抜いていて、それはそれで面白かったのですがね。
僕が日大理工に入学した時には(しかもバイクばかり乗っていて航空宇宙は滑り二次死亡の他の学科です)すでに木村先生は鬼籍に入っていたのですが、だいぶ上の先輩らは木村先生の最後の特別講義を受けたことがあり、また驚くことに堀越二郎先生の特別講義もあったそうです。
両氏ともに講義は日本の航空史のマイルストーンになった、零戦や戦後初の国産旅客機YS11の思い出話が中心だったといいます。
大先生の講義であるからに、例えば宮崎駿が自己の半生や想いを、堀越二郎氏や堀辰雄氏というフィルターを通して表現した映画「風立ちぬ」のような哲学的な内容も織り込まれていたかとも想像していましたが、飛行機好きオヤジの笑いあり涙ありの楽しい講義だったようです。
学外からの飛び入りも含めた立ち見客で満員御礼の講義だったと。
過去の偉人たちや、名も知れず野垂れ死にした挑戦者たちは、想像を絶する研鑽と絶対に諦めない気持ちを携えたその先に、もう少し手で手が届く初めて本当の夢があったのですね。
僕は空だけではなく、バイクでも仕事でも夢と冒険の入り口のドアの前に何回も立つ機会があったのに、ドアを開くことができなかったのです。
今振り返っても、初志貫徹で勇気を出して飛び立って、カッコつけながら落ちれば良かっただけなのですけどね。
毎年この時期になると思い出す、中途半端な選択を繰り返してきた自分らしい回顧でした。
木村先生すみませんでした。
泡盛での門出
頼んであった冷蔵庫と洗濯機を受け取りに行ってきた。オーブンレンジを娘に選んでもらいたかったので、引越し先のレトロマンションへの入居から少し日が空いてしまった。
冷蔵庫と洗濯機は持ち帰りすれば、@5000円で10,000円値引きしてくれるというので気合いで運ぶ。洗濯機は知れていたが、さすがに娘の背丈ほどある冷蔵庫は持ちにくいは重たいわで「変な声」が出た。
日が落ちるころには諸々無事完了し早飯に。
グランドレトロマンションの玄関通路からの夕陽
娘と夕食に出かけた。徒歩で。
お目当てのすぐ近くのうどん屋は2軒とも定休日。
もう少し歩いたところにある、寿司屋、ラーメン屋か焼肉屋に向かったけど、途中で古民家を改造した酒房を発見して入ってみた。
月曜の宵の口でお店の人は、まだお客さんは来ないだろうと油断していたのか、心の準備が出来ていなかったようで、あたふたしていたのが可笑しかった。でも店主の人の良さが伝わってくる。そういうのは嗅覚でわかる。
立派な一枚板のカウンター席に座る。
カウンター越しに使い込んで淡い色合いになっているレトロな大きな黒板にメニューが所狭しとかいてある。
コロナビールと料理は「お任せ」で頼んでみた。
だけど「お任せ」は不得手なのか、結局黒板メニューの中からおすすめを誘導選択することになった。
ジャガイモとニンニクのオーブン焼き(たぶん)
ニンニクが皮ごとまるまる一房入っている豪快さで、とてもパンチがある。
味付けは黒胡椒と香草のみ。
レバーの黒胡椒炒め
レアで表面だけ炙ってあるようなイメージ。上質な黒胡椒とレバーとの相性が抜群でとても美味しかった。これは看板メニューのひとつのようだ。
二杯目は赤いラベルの泡盛をロックでお願いした。
飲みやすくマイルドな泡盛でアルコール度数も低く、まるで柔らかい水を味わうようで美味しかったのだけど、泡盛らしくなくちょっと寂しかった。
僕の中で泡盛といえば、40度オーバーで匂いもきつく、沖縄の硬水で味も尖っていて、流す汗でアルコールを飛ばしながら飲むというイメージがある。
テキーラに近いイメージ。
でも空調の効いたジャズが流れる店内で飲むなら、優しいこの泡盛の方がマッチしているのかもしれない。
「お任せ」が不得手なのかもしれない、と書いたが、店主はキチンを料理の修行をすることなくこのお店を始めて7年目だという。だから手の込んだメニューは少な目で、「お任せ」も不得手なのかもしれない。
でもお客をリスペクトする謙虚さと誠意が伝わってきて、「元気の押し売り」みたいな料理も実に共感が持てるもので気持ちが良かった。
画像は撮り損ねたが「砂肝のぺペロンティーノスパゲッティ」も頂いて、これもパワフルなガッツある味と盛りで(麵200gぐらいじゃないかな)、これは包んでもらった。
駅前から流れてくる単身者の男性客が多いらしく、ガテン系の味と盛りが好まれるらしい。包んでもらって持ち帰ったスパゲッティは、深夜に冷蔵庫から出して冷たいまま食べたけど2倍美味しくて嬉しくなった。
泡盛が二杯目に入るころ、中年のベタベタした見るからに不倫カップルが入って来て、居心地が悪くなってお暇した。
僕のワークショップの店名で領収書を切ってもらったのだけど、店主はつき合いを介して僕の店の噂を知っていたようで、なんか変なテンションになって盛り上がっていた。
ポジティブな噂で良かった。
この街は狭すぎる。
FLY SAFE
とても疲れていて
いや正確には、魂やメンタルは覚醒していているのだが、肉体能力の限界を超える寸前で、このままでは確実に肉体が壊れてしまう。
身体からのシグナルは危険領域に達しているこを警告している。
離婚することになり、別居に伴いレトロな6階建てのマンションの最上階に住むことになった。
娘とふたりで。
娘も来春には進路の結果がどうであれ自立してもらうから、近いうちにひとりで暮らすことになり必要最小限の住処である。
ここから見える遠くの山からの朝日はとても綺麗なのよ
マンションオーナーの老婦人の一言で決めた。他にもっと好条件の賃貸もあったのだが、この一言が決め手になった。
キッチンの窓からは夏の花火大会が見えそうだ。
うまいビールが飲めるといい。
離婚やら引越しは猛烈なエネルギーが要るので、億劫で憂鬱な気分になるのかと予想していた。
ところが心は晴れ渡りとてもポジティブな気分になった。
だが完全にオーバーワークのところにこれだから、文頭のように身体が壊れかけている。
Fly safe
エースパイロットの遺訓を唱えている。
それからはてなブログに少し辟易としていた。
障子を開けてみよ世界は広いぞ
大起業家の言葉を聞かせてあげたいし、魂の叫びのようなテキストに出逢えなくなってしまっていた。
もちろんこれは己の引き寄せの結果でもある。
でも久々に素敵な文章に会えた。
ピヨピヨさんはすごい。
賢こさと謙虚さ、そしてその深層が実に魅力的。
携えているだけで安心な良薬のようで嬉しい。
"Rendevous - C'était un Rendez-vous - 1976"
Rendevous - C'était un Rendez-vous - 1976 - YouTube
9分間の刹那
夜明けのパリの街をV12エンジンの咆哮が駆け抜ける。ワンテイク、ローアングルのスチール映像のわずか9分間の短編映画だが、映像からはドライバーの生きざま、パリの街の息遣いが伝わってくる。
一見するとアウトローの気の狂った暴走映像のようであるが、実は腕の確かなドライバーがマージンをもってドライビングしているのがわかる。しかも楽しんでいる。
V12エンジンのサウンドは、操作映像は一致しているがスピードは合っていないことからアテレコなのもわかる。
そんなことも感じながら観た。
後日メイキング映像もあることが判明し、答え合わせすることができた。
やはりブラインドの危ない場所は監視スタッフを立たせていたらしいし、実際の走行はメルセデスのセダンだった。パリ独特の石畳も含めたストリートにフィットしたサスペンション性能が理由らしく(カメラのブレを考慮して)、やはりローアングルにはかなりの拘りがあったという。実に興味深い。
C'était un rendez-vous - Lelouch - Making-of - English Subtitles
https://youtu.be/LDXFvtVlYcM