山師がいう
アポなしで僕のワークショップにやってきた40前後の男は、フレンドリーに機関銃を乱射しだした。
つまり存在を忘れた同級生のような演技でドアを開けさせて、にこやかに隙のない世間話から本題に入った。
潜在的マーケットの開拓、経営資源の活性化、組織運営の円滑化など事業のバリューアップをなりわいとする。コミュニケーションプロデュースと事業カウンセリングを行っているのだという。
「売り上げを倍増させてみせますよ。このお店にはポテンシャルがある」
その山師は僕の友人に紹介されてきたという。
「腕はあるがマネージメントとセルフプロデユースが下手くそでもったいないから何とかしてやってくれ、原石にもなるぞ」と、逸れた生徒を褒めるようなことをいい、「アポはとるな、絶対に断られるから」いわれアポなしで来たことを詫びた。
「余計なお世話だ」
僕の回答はこの7文字で表現できる。だが相手は、自分が何をしているのか何が起こっているかも分からないまま死んでいく新人パイロットではないから、逃げ出すまでドッグファイトをする必要がある。
そもそも紹介者は僕にとっては友人ではない。3番目ぐらいの引き出しの顧客である。
それをあたかも友人のようにつき合っているだけの話。飲みに行ったり、知的好奇心を満足させるトークから下ネタまで付き合ったり、24時間SNSの対応してみたり。
あくまでも「顧客の我侭や虚栄心を満足させる」営業活動の一環なのである。
僕のワークショップは乱雑であるし敷居の高い入り難さがある。
事務スペースはアインシュタインクラスの乱雑さである。
仕事の効率を上げるために、接客業でもあるのだし整理整頓せよと。そうすれば敷居も下がり仕事のロスも減り、良い連鎖で客層も向上するよと。
そんな経営指南も頻繁に頂く。
極めて正論でもあるしありがたいお話しでもある。
だが大きなお世話なのだ。
僕のワークショップは汚い。
だが、トイレだけはきれいである。工具箱の中は見事な整合性があり、必然が産みだしたハンドメイドの特殊工具類や収納ワゴン類の機能性は秀逸である。またその材料はレーシングマシン部材の端材であるから、ジェット戦闘機にも使用される最高級のアルミニウムやスチール類や複合素材やレアメタルなどである。
その価値を評価した一部のプロ顔負けの顧客の価値ある仕事が、売り上げのかなりの部分を占めているのである。そういった顧客は僕のお店が門戸を広げることを望まないし、経営指南もしないし山師を寄越したりもしない。
なぜ僕のワークショップこのようなスタイルなのか考えてください。
門戸を広げたとして、それに応えるコンテンツや体制を僕が用意できますか。
なぜこんな潰れそうなゴミみたいな個人店が20年以上続いていて、SEOを全くしていないのに特定ワードで検索上位にくるのですか。
そもそも、営業先をググらずに営業にくるなんて、冬の東部戦線に死にに行くようなもんじゃないですか。
ご提案頂いたことは100%ではないにしろ、全てチャレンジしてきました。それを経て現在のアナログ経営に帰着したのです。あなた方からそれが見えなかったとしても。
差別化とSNS対応。組織化して戦略的な経営をし原資を潤沢にする仕組みを作って、感動を創造し顧客満足させてその先には何があるのですか。あなたはそこでゴールテープをもって歓迎してくれるのですか。
でもあなたはこういうでしょう。
「いやゴールはもっと先にあるのです」
でも僕にとっての助言者や支援者そして友人は、マラソンを走る僕に道端で声援を送ってくれる観客や私設給水ポイントであってほしいのです。
疲れたら歩くし、走りたくなくなってやめるのを決めるのも自分自身なのです。
でも走り続けるのです。
光と闇の境目
鮮烈な夕陽に鮮明な夜明け
浮遊するような一番列車
あしたのために(その1)
ギャグ漫画家だったりイラスト描いてたりする江口寿史さん。
氏はモデルの女性の魅力を画像データに変換して出力し、北斎画のような線と色彩表現がとても魅力的なのです。
氏のインスタグラムのアカウントは2つあります。
こちらは日々の情景用
こちらは作品用
この作品用のアカウントについて、氏のツイッターアカウントで紹介がありました。
おれの絵だけのインスタアカウントでおれがフォローしてる人を見たらいいです。こちらでは発見で見つけた世界中の好きな絵を描く人ばかりを有名無名問わずかたっぱしからフォローしてます。タイムラインにうまい人ばかりで、ここに自分の絵が混じると落ち込みます。が、それが刺激にもなるのでね。 https://t.co/WANpMtaD0T
— 江口寿史 (@Eguchinn) 2017年4月6日
インスタ。絵だけあげてる人ばかりフォローしていると[発見]の所にそういう人ばかりあがってくる。そこで、いい絵、上手い絵(自分にとってのね)描く人を見つけるのが最近の楽しみです。
— 江口寿史 (@Eguchinn) 2017年4月6日
インスタ。絵だけあげてる人ばかりフォローしていると[発見]の所にそういう人ばかりあがってくる。そこで、いい絵、上手い絵(自分にとってのね)描く人を見つけるのが最近の楽しみです。
— 江口寿史 (@Eguchinn) 2017年4月6日
おれは自分が本来絵の人じゃないのは十分自覚してるので、出来る限り上手く見せようとする努力は惜しまないわけだが、努力だけじゃいかんともしがたい、個々が本来持ってるものの絶対的な差というものがあることも厳然たる事実。それでも努力することは尊いこと。その執念の差も必ず絵に出るよね。
— 江口寿史 (@Eguchinn) 2017年4月6日
努力だけではいかんともし難い個々の能力の差は如実にあるわけですが、それでも努力し続ける執念というものは作品に出てくるし、その努力というものは尊いものであると。
何かこう襟を正される思いになりますね。
ある程度極めてしまうと、唯我独尊、俺最高(勘違いも含めて鼓舞するための動機としては必要ですが)の大御所になってしまって、日々の精進を怠り次第に陳腐化して消えていくか、過去の遺産にしがみつくことになる。
同様なことが村上春樹さんの「職業としての小説家」でも詳しく語られています。
現在僕は全力疾走がほんとに短時間しかできません。ほんの一瞬の全力疾走以外はゆっくりと歩いています。つまり衰えて持続性のない瞬発力だけに頼って仕事をしている面が強いのです。
それよりも長距離ランナーのように、円谷幸吉選手のように「次の電柱まで、また次の電柱まで・・」とこつこつとプッシュし続けるような、衰えたなりの執念のスタイルで仕事をしないといけないのですが。
あしたから頑張る
あしたのために(その1) =ジャブ=
攻撃の突破口をひらくため
あるいは 敵の出足をとめるため
左パンチを こきざみに打つこと
このさい ひじを左わきの下からはなさぬ心がまえで
やや 内角をねらいえぐりこむように打つべし正確なジャブ三発につづく右パンチは
その威力を三倍に増すものなり丹下段平からの手紙より
怪僧ラスプーチン
浮遊しているような深夜の長距離高速走行で、ラジオから飛んできた懐かしい曲。
本格的に音楽に目覚めたのは高校の頃だけど、小中学生の頃に聞いた70年代の曲の方が体の奥深くにリズムが刻み込まれている。
当時はさっぱりだったのだけど、今聞いてみると歌詞もぶっ飛んでいる。
ラーラーラスプーチン
ロシア女王の恋人
王室は彼のワインに毒を持った
ラーラーラスプーチン
ロシアの最高のラブマシーン
彼はワインを飲みほして言った
最高だ
漂泊と郷愁を感じるロシア民謡の匂いを漂わせている、抑圧と欲望が渦を巻く70年代のディスコミュージック。メンバーのロシアンダンスは、ほとばしる情熱の南米スタイル。
歌詞は実在した、ロシア中の女性を虜にしたラスプーチンの物語。
ロシアの深い森の奥に、ラスプーチンの失われた王国が残されていそうなロマンがある。
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泪橋の桜の向こう側へ
まぼろしの料理店
30代後半でうちの子供たちがまだ小さかったころ、お盆休みの次の週に一泊の南伊豆旅行に何年か続けて行っていました。
いやでも2年だけだな。
22歳ぐらいの頃に初めて利用して気に入った、南伊豆の小さな入り江にある民宿があって、それから何回か利用したのです。オレンジ色の屋根の眺望の良いとても居心地のいい宿なのですが、次第に人気宿になってしまって、もうその頃には関東からの利用客に独占されてしまって全然予約が取れなくなってしまっていました。
ゴリ押しすればきっと泊まれるのでしょうが、そういうのは苦手なので2年とも、同じ入り江にある別の民宿を利用しましたが、お気に入りの宿には及ぶべくもなく。
若いころにその宿を初めて利用した時には、宿の小5の長男が良く懐いてきて、日が暮れるまでビーチで遊んでいました。彼なんか今はもう40歳を越えているのですね。ひょっとしたら宿を継いでいるのかもしれません。
その入り江ではシュノーケリングすると、岩場には色とりどりの海水魚やグレや石鯛などがうようよしていて、魚たちの世界は見ていていつまでも飽きません。小さい息子も一緒になってシュノーケリングしていたのですが、ウツボに威嚇されてもうビビってしまって、岩場を怖がるようになっていましました。
そんな夏の小旅行の帰りに、高速道路を早めに下りて寄り道しながら帰って来た時の事。
関東圏のオーナーが多い別荘地でもある湖畔の、所々ガードレールを設置するスペースもない細い道を走っていました。注意深く走らないと湖に落ちてしまいます。
もうすっかり日は暮れてきて薄暗くなってきて、さらに非日常から日常に戻らなければならない旅の終わりは寂しいもんです。
もうすぐ夏も終わるのです。
平日の宵の口は、夏の日の旅の終わりの寂寥感とともに、まるで深い森の中を彷徨っているような気分です。そんな中に温かそうな明かりが見えてきました。
道路沿いに湖にせり出している、ささやかなイタリアンレストランでした。まるで森の中の注文の多い料理店のようなレストランに誘われるように入ってみました。
ドレスコードを問われそうな店構えではありませんが、ラフな格好をしていたし小さな子供を連れている一見客です。
入店して利用の可否を丁寧に尋ねてみました。
出てきたオノ・ヨーコ風の年配の女性はまるで、「あなたたちが来るのを待っていたのよ」とでも言いたげに、慇懃に席を案内してくれました。
はるか彼方に街の明かりが灯る真っ暗な湖を眺望する赤いテーブルクロスの席です。末席なんかではありません。
飛び込みでしかも子連れでコースを頼む度胸もなく、メニューに載っているパスタとサラダと単品を皿盛りにして、デキャンタワインをいただきました。
あまり歓迎されない客かなとは思いましたが、窮屈な思いをすることなく料理も抜群で気持ちよいひと時を過ごすことができました。
現金をあまり持っていなかったので、悪いなと思いながらクレジットカードで支払いをして店を出たのですが、エントランスからキッチンの方を見ると、トヨタのF1ドライバーだったヤルノ・トゥルーリに似た気の良さそうなイタリア人(イタリアンレストランだからイタリア人シェフだと思い込んだだけですが)シェフがこちらを向いていました。
子供たちを托しながら挨拶をしたのですが、子供たちはもじもじしているだけで、もう!なんて思ったのですが、ヤルノが満面の笑みで「チャオー!!」と手を振ってくれました。彼らのホスピタリティーには敵いませんしただただ感謝です。
夏の終わりの記憶に残るひと時となりました。
それから何回もそのお店の前を通ったのですが、あの時のような引き寄せを感じたことがないし、機会もなく再訪したことはありません。
あの時のあの場所と、そこにいたヤルノとオノ・ヨーコはまるで幻だったような気がします。
こんな異国の糞田舎の、イタリアの湖にはかなり見劣りする湖畔で、こんなに気分の良いレストランをやるなんて、イタリア人こわいしオノ・ヨーコすごすぎます。
「だからさ、西洋料理店というのは、ぼくの考えるところでは、西洋料理を、来た人にたべさせるのではなくて、来た人を西洋料理にして、食べてやる
家 とこういうことなんだ。これは、その、つ、つ、つ、つまり、ぼ、ぼ、ぼくらが……。」がたがたがたがた、ふるえだしてもうものが言えませんでした。
「その、ぼ、ぼくらが、……うわあ。」がたがたがたがたふるえだして、もうものが言えませんでした。