「騎士団長殺し」第一部 顕れるイデア編 村上春樹 発売
『1Q84』から7年――、
待ちかねた書き下ろし本格長編
その年の五月から翌年の初めにかけて、私は狭い谷間の入り口近くの、山の上に住んでいた。夏には谷の奥の方でひっきりなしに雨が降ったが、谷の外側はだいたい晴れていた……それは孤独で静謐な日々であるはずだった。騎士団長が顕(あらわ)れるまでは。
『1Q84』からもう7年もたつのですね。
『騎士団長殺し』
タイトルが意表をついているというか、パッとイメージが浮かびません。
中世を舞台にした時代劇なのか、それともメタファーとしての騎士団長なのでしょうか。
「第1部 顕れるイデア編」続いて「第2部 遷ろうメタファー編」と展開しており、メタファーとしての騎士団長で現代を舞台にした物語なのかもしれません。
『1Q84』では性的描写に批評もありましたが、忘却し難い淫夢のような描写は、社会の闇の痛烈な暗喩や、芸術的な殺しの描写とともにかなり印象に残りました。
『1Q84』は冒頭に“It's Only a Paper Moon”からこう歌詞を引用してありました。
“It's a Barnum and Bailey world, Just as phony as it can be,
But it wouldn't be make-believe If you believed in me.”
そしてヒロインの青豆は首都高3号渋谷線の非常階段から、現実に則した非現実の世界へ下りていくのです。
ここは見世物の世界 何から何までつくりもの
でも私を信じてくれたなら すべてが本物になる
ここまで前振りがあるにも関わらず、現実の物差しで『1Q84』を批評している少なくない人々は、物語の楽しみ方が平面的で随分と損をしているのではと感じました。
でも村上春樹さんは、きっとそんな人々を皮肉でIQ=84と称しているのかもしれません。
村上春樹さんは結構意地悪なのです。
『騎士団長殺し』を手に取り光速でページをめくってみました。
実に興味深い。
中年の画家、離婚、「騎士団長殺し」という絵画
文体は初期の作品を彷彿とさせる一人称がどこか郷愁を感じさせます。うまいですね、この辺り古くからの読者の心を震わせます。
折を見て読み込んでみます。でも、きっと5年後ぐらいにレビューは書くのかなあ。
村上春樹さんの長編小説は水面下に隠れている部分がほとんどで、深く潜っていく必要があり、それを探り消化するのに時間がかかるのです。
『1Q84』ですらレビューしていないのに。
『1Q84』後の『色彩をもたない多崎つくると 彼の巡礼の旅』も読みましたが、名古屋を舞台にした内面への贖罪の旅という視点は面白かったのですが、どちらかというと長編と長編のつなぎのような凡庸ともいえる現代小説で、まるで『1Q84』という渾身のメインディッシュのデザートのようでした。
「騎士団長殺し」
楽しみです。