Toujours beaucoup

いつまでもたくさん

あれから18年

 1995年も明け2週間ほど経った頃。明け方の地震はたしかに大きかったが、それがこの世の終わりのような天変地異だったとは到底想像できなかった。

 どうやらかなりの規模の地震だったようだ。まだまだアナログな情報伝達の時代でニュースは狼煙を繋ぐように少しずつ伝わってきた。しばらくすると街から黒煙が上がる映像。そしてまたしばらくすると「倒壊した阪神高速」のカタストロフを実現したかのような衝撃的な映像だった。そしてビルまでも。倒壊し横たわる高架やビルは高度な日本の土木技術の神話の崩壊を意味した。混乱した頭に飛び込んできた次の映像は、見渡す限りを焼く尽くす勢いの炎に包まれた街だった。

 個人的には人生の重要なポイントを通過しつつあるところだった。起業し2月4日に店の新規開業。そして2月初旬には長男の出産を控えて、希望や不安そしてそれらを最優先する日々を送っていた。被災者の方々には懺悔しなければならないが、これら一連の震災による大惨禍の報道を見た時「やっかいな事になったな」そう思った。起業とその後の展開に影響が出る事は確実だ。

 お世話になっていた方の仲間の弁護士の実家も被災し、僕も含めた関係者で助けに行くことになった。個人的には新規開店の準備で、はっきり言ってそれどころではない。大きな力や金も動いている。でも消去法で判断すると行くしかない。腹を決めた。だが出発日の直前にキャンセルになった。

 その後新規開店、長男の出産と続き自分のことで精一杯の怒涛の毎日をすごし、阪神淡路大震災は異国で起きた大災害のように傍観者な気分で報道をみていた。

 震災から18年。即ち起業して18年、長男は18歳とずっとリンクしていた。今日この日、未明の暗闇の中蘇るのは「倒壊した阪神高速」と「善人を焼き尽くす業火」の映像だ。

 被害に合われた方のご冥福を改めて心からお祈りいたします。