Toujours beaucoup

いつまでもたくさん

官能評価

扇動。動揺。高揚。そこに結びつく欲動。それを出そうか、見せようか、本気で実力ほどに溺れてみようか、そんな思いに至る出会いをした時にはセクシーという語を当て嵌めていい気がする。

 

扇動、動揺、高揚、そこに結びつく欲動 - fork and cream chair

 このリコねえさんのエントリーとコメントでのやり取りは真に考えさせられた。ちょっと難しすぎて空海が出てきたぐらいでわからなくなった。
だから自分の言葉で感じたことを書いてみる。

 

造り手の情念がこもったバイク。

バイクには官能評価というのがある。
スタイル、性能、工業製品として、イニシャルコスト(車両価格)、ランニングコスト(維持費)、そして最近では環境負荷などの評価があるけど、これは理詰めで造ることが出来る。家電と同じだ。
そしてもう一つ大切なのが官能評価。
スロットを開けると車体全体にピンと緊張が漲る。
スネーキングするようなブレーキング時の身体の下でのたうち回るような動き。
金切り声のようなエンジン音と排気音。
全開走行をした後の熱を持った車体と、4レーシングコンパウンドとオイルがピークに達した饐えたような臭い。
究極はレーシングマシンであり、身近な実用車でも心を震わせるバイクがある。
 
これは車でも同じだ。
新車の匂いとか乗り心地でイメージするとわかりやすいかもしれない。
それはまるでティーンのひと時の儚い輝きのようだ。
 
 
 

「章男さん、あなたはレーサーになるわけじゃない。クルマのことをアレコレ言えなくてもいいんだ、まずは好きか嫌いか言えるようになれ」

「クルマは料理と一緒で、素の状態が美味くなければ本当の良さは出ない。蕎麦が不味ければ、いくら天ぷらを乗っけても意味はないんだ」

「クルマと会話をするんだ。クルマは生き物だから、計算だけではできない。対話をせずに計算だけで作るから、クルマが家電になってしまう」

 

豊田章男さんの記事でもそうだ。

車やバイクも生き物で、それを女という文字に入れ替えても同じではないだろうか。

いや、それは男目線が過ぎるよ、と言われるかもしれない。

でも僕はバイクを造るときは「扇動。動揺。高揚。そこに結びつく欲動」のようなもの、そして「勝利」のイメージをする。ひたすらイメージする。頭の中でイメージして絵にしてさらにイメージして。

そしてそれは最高のパートナー(乗り手)を持って完成する。

でもおそらくもうそんなことをすることはない。最後の仕事は終わった。

 

最後に造ったバイクが巡り巡って帰って来ている。往年は全日本のトップ争いをしていた。

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