Toujours beaucoup

いつまでもたくさん

鉄砲腹

 

どんな夢だったかは覚えてないがわたしは夢をみた。

夢を見て哭いた。

主婦と生活社 ジョンキョンファ著「きょうもおいしかったね」 - fridayusaoのブログ〜丘の上から

 

昨晩というか、今朝は6時ごろ床に着いたけど覚醒していて寝れそうもないな、と思っているうちに寝てしまったようだ。

パッと目が覚めると9時。10時から仕事だ。
瞬きをするように目が覚めて夢を見なかった。

やっぱり覚醒していたんだな。

 

北米の深山。獲物を追ってきた男は瀬戸際まで鹿を追い詰める。

崖っぷちに追い込まれた鹿は角を振りかざし男のほうに振り返る。スコープつきのライフルを構える男に対峙した鹿は覚悟を決めたように動かない。

君に撃てるのか?

鹿が男に問いかけたようにみえた。

山々に響き渡る銃声。

でも男を狙いを逸らした。そして鹿に向けて語りかけた。

Okay

鹿は横を向きゆっくりと去っていく。

滝が落ちる崖っぷちに立った男は、今度は腹の底から声を放った。山々にこだまする声。

Okay

しかたがなかったんだ。すべて

 

徴兵されてベトナムに来た同郷の仲間たちは、敵に捕らわれてロシアンルーレットをやらされる。友と向き合って座り、交互にリボルバーの引き金を引くのである。

6発の弾倉に1発の弾。でも助かる確率は5/6ではない。死ぬか生きるか、助かる確率は1/2である。

果たして男の機転でピンチを切り抜けた仲間たち、でも散り散りばらばらになってしまう。そこで運を使い果たしてしまったのか、彼らを待ち受けているのは悪い出来事ばかりだ。

戦後しばらく経って男は、仲間の一人がベトナムに流れ着いていたことを知り助けにいく。その仲間はアンダーグラウンドの賭博ロシアンルーレットのプレイヤーとなっていた。悪魔と契約を結んだかのように仲間の彼は連戦連勝。だが生き抜くためのチケットと引き換えに、魂を悪魔に支配されたかのように、一切の感情を持たず男のことも覚えていない。腕には回数券のように注射の痕がたくさんある。

男は彼を救うために彼と再びロシアンルーレットをすることになる。引き金が空振りするごとに、興奮の坩堝となる観衆。自ら頭を打ち抜いた者が、事実を悟り死の世界に引きずり込まれていく刹那に観衆は飢えている。

I love you

男はこう語りかけながら引き金をく。助かった。仲間の彼の表情に変化が見えた。

だが彼の順番が来て銃を持つ。男は彼の銃を持った腕を押さえつけて必死に彼に問いかける。

「俺だよ、一緒に帰ろう」

彼が男に向けて何か感情を発した。だが安堵しかけた男の腕を振り解いて、彼は銃をこめかみに当てるやいなや引き金を引く。

 

STANLEY MYERS Cavatina - YouTube

 映画 「Deer Hunter」 のテーマ「Cavatina」はなんとも美しい旋律の静かで悲しい曲だ。

 

舞い込んできた艶書 - fork and cream chair

リコさんのブログのコメント欄で、「狩猟社会と農耕社会」の話から、ピヨピヨさんの「農耕社会には付帯する牧畜という概念があるのではないか、という話になった。

家畜を屠殺して食べる生活の中では、狩猟とも違って、人間と動物の線引きの厳格さというか、動物なら殺して食べて良い、という線引きがどうしても必要だったと思っていて、ここから作られる世界観の違い

これらには考えさせれてしまった。

 

そして狩猟から「鹿狩り」のことをずっと考えていた。

岡山国際サーキットへ近道する山越えのルートでは、毎回のように鹿がひき殺されている。だが死肉は食べることができない。

ルール違反の残酷な罠で、痛みと恐怖を長時間与えた鹿の肉は恐怖の味がするという。

山を駆け、犬が追い、木となり葉となり潜み銃を放つ。絶命した鹿から瓦解するようにダニの大群が離れていく。体温を失っていく宿主の死を悟り、新たな宿主を探しに去っていくのだ。血抜きをしたあと、皮を剥ぎ一時間以内に内臓をさばき、さらに内臓を流水で血抜きする。肉は次々と解体され冷蔵されていく。そして猟犬にもご褒美として与えられて皆でシェアされる。命を頂く掟として全てを頂く。

 

国木田独歩 「鹿狩り」

国木田独歩 鹿狩り

 

尊敬する義父(叔父)との、12歳の時の鹿狩りの時の経験を回顧している。

九州佐伯の山の中の情景描写が、とても美しく豊かな筆致で語られている。

 

さて弁当を食いしまって、叔父さんはそこにごろりと横になった。この時はちょうど午後一時ごろで冬ながら南方温暖の地方ゆえ、小春日和こはるびよりの日中のようで、うらうらと照る日影は人の心も筋もけそうになまあたたかに、山にも枯れ草まじりの青葉少なからず日の光に映してそよ吹く風にきらめき、海の波穏やかな色は雲なき大空の色と相映じて蒼々茫々そうそうぼうぼう、東は際限はてなく水天互いに交わり、北は四国の山々手に取るがごとく、さらに日向地ひゅうがじは右に伸びてその南端を微漠煙浪びぼうえんろうのうちにまっし去る、僕は少年心こどもごころにもこの美しい景色をながめて、恍惚うっとりとしていたが、いつしか眼瞼まぶたが重くなって来た。かたわらを見ると叔父さんは酒がまわったか銅色どうしょくの顔を日の方に向けたままグウグウといびきをかいていた。

短い文章の中に、狩猟の作業と人生の光と影がシンクロして語られている。

そして叔父さん(義父)の涙の意味というのが、深いメタファーとなっていている。

 

しかし僕は戦慄ふるう手に力を入れて搬機ひきがねを引いた。ズドンの音とともに僕自身が後ろに倒れた。叔父さんが飛び起きた。
『何だ何だあぶない! どうしたッ?』とすくうようにして僕を起こした。僕はそのまま小藪のなかに飛び込んだ。そして叔父さんも続いて飛び込んだ。
『打ったな!』と叔父さんは鹿を一目見て叫んだ。そして何とも形容のしようのない妙な笑いを目元に浮かべて僕に抱きついた。そして目のうちには涙を浮かべていた。

国木田独歩 鹿狩り

 鉄砲腹とは腹を撃ち抜いて自害することを言うのだそうだ。形を変えたロシアンルーレットのようなものかもしれない。

 

遠く日本から海を渡り山を越え、ビルマにたどり着いた兵士たちは何を思ったのだろうか。

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