Toujours beaucoup

いつまでもたくさん

走りながら考えること

 もともとそういうところはあるのだけど、しばらく無気力ともとれる醒めた日々を送ってきた。閉塞しているかもしれない真っ暗闇の長いトンネルをやっと抜け、次のステップへの充電のような期間が必要だった。それが数年前のことだ。
 
 昨年辺りから、ちょうどこの一連の話を書き始めた頃から少しずつ何か変化の兆しが見えてきた。長くて暗いトンネルの中での恐怖と開き直りは、精神的にフォーマットされアップブレードされたようだった。二度と御免ではあるが。

 そして今年の春から少しずつ走り出すようになった。朝の森の中、夜の街の中、殺人的な夏の日差しの下。少しずつ距離と速度も増やしながら。体内の細胞を洗い流すかのような滝のように出る汗は自分を変えてきたのが実感できた。酸欠状態になって脳は3割くらいしか動いていないのだろうか?走りながら考えることは何だか幻覚を見ているよな思考だ。アルコールに掻き回された思考とは明らかに違う。あるものは走ることは心の筋肉を鍛える事だと語った。そうかもしれない。

 そして最近まれに何か感情を揺れ動かすようなものを感じる。遠くの雷鳴がかすかに聞こえてくるように。そのかすかな雷鳴は近付いてきているようであるが、そのまままた遠ざかるかもしれない。

 とにかく何かが自分の中で起きつつあるようだ。そろそろ充電は終わり。次へのステップになるといい。

「走ることについて語るときに僕の語ること」
村上 春樹
走ることつまり氏の生き方について、とても自由に肩の力を抜いて綴っているゆるい作品。「ミックジャガー」や「ポニーテール」の喩えや「枯渇する才能」のお話は、氏ならではの巧みな表現でとても楽しめました。