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ジョージ・オーウェル 『象を撃つ』

村上春樹1Q84」はジョージ・オーウェルの「1984」にタイトルだけでなく、そのエントロピーや哲学も共通している。

 

「1984」は出版当初から冷戦下の英米で爆発的に売れ、同じ著者の『動物農場』やケストラーの『真昼の暗黒』などとともに反全体主義、反集産主義のバイブルとなった。また政府による監視や検閲や権威主義を批判する西側諸国の反体制派も、好んでこの小説を引用する。

 

オーウェルは警官時代の赴任先の植民地での経験で、反帝国主義や反権威主義の想いを強くし、それは「象を撃つ」で見事に表現されている。

 

とつぜん、結局は自分が象を撃たなければならなくなったことを悟った。人々がそれを望んでいる以上、わたしはそうせざるをえないのだ。否応なく、二千人の意志によって前に押し出されていくのを感じる。この瞬間、ライフルを手に立ちつくしているまさにそのとき、東洋における白人による支配の虚しさ、無益さを、わたしは初めて理解したのだった。ここにわたしがいる。銃を手にした白人が、武器を持たない原住民の群衆の前に立っている。いかにもこの劇の主役のように。けれども実際は、うしろの黄色い顔の意志に押されて右往左往する愚かな操り人形にすぎないのだった。この瞬間、わたしは悟った。白人は専制君主となったとき、自分自身の自由をみずから無効なものにするのだ、ということを。空疎な、ポーズをとるだけの張りぼて、類型的な旦那(サヒブ)になってしまうのだ、ということを。

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象を撃つ