Toujours beaucoup

いつまでもたくさん

ここは見世物の世界 何から何までつくりもの でも私を信じてくれたなら

診療所を開業した医者の父さんは、慈愛に満ちた精神で貧しいものにも献身的に医療を施す。そのために収入も少なく生活は困窮を極め、9歳の息子も僅かなお金を稼ぐために働く毎日。ついに母さんは名前も聞いたことないような外国に出稼ぎに行ってしまう。


息子はそれでも理想を変えない父さんを嫌いになってしまったが、ある日、食うにも困っている自分の血を献血してまで患者を救う父の姿を見て息子は思い直す。だがそれからしばらくすると、母さんの仕送りも途絶え音信不通になってしまう。

9歳の息子は最後に母に一目会いたい一心で遥かなる旅に出る。

 

そう「母をたずねて三千里」である。いまからおよそ120年前の話で舞台となったイタリア、そして日本も貧しく、農業や鉱業で潤っていたアルゼンチンやブラジルなどの南米や北米などへの移民が珍しくなかった


幼いマルコが母を訪ねて、イタリアジェノバからアルゼンチンの内陸部まで食うや食わずの果てしない旅をする。両親譲りのマルコの家族愛や献身さと、カトリックの相互扶助と慈愛の精神が、様々な出会いや偶然を産みマルコは瀕死の母のもとへたどり着くことが出来た。

マルコとの再会は母の病の特効薬になり、マルコの献身さも恵みを得て、回復した母とマルコは故郷ジェノバに戻ることができた。マルコは父のような医師になろうと決意する。


故郷の父は献身的な働きが身を結びなんとか診療所も軌道に乗り、マルコの兄の独り立ちをしていて、めでたしめでたし、となるわけである。

 

ところが実際は・・・
マルコは旅の途中で南米ギャングに囚われ下働きをする地獄のような日々を送っていた。母さんは死んでしまったのだろうか・・・それとも・・・
父は皆民医療の理想を貫くための資金確保でマフィアの治療をするうちに抗争に巻き込まれて殺されてしまった。兄貴は将来に絶望して自死
・・・麻薬王マルコの回想・・・というのが120年後の現在の姿なんでしょうか。

 

日本だったら、旅立ったマルコは監視社会の現代日本ですから夜には保護されて親元に戻されるでしょう。児童労働なんてとんでもない。兄さんは家族を助けるために頑張って一流大学出て一流企業に入ったけど、馬鹿正直すぎて潰れて自死。母さんも日本から出稼ぎってもう現実的で無いし、慈愛の心だけが取り柄で正規雇用の仕事にも就けず、身を削るようなタフな仕事で家計を助けるしかない。かといってマルコ家だと公的扶助も拒絶するだろうし、父さんも皆民保険制度の日本では、無料で無保険者や困窮者の治療をしようものなら社会が許してくれそうにない。透析を止めろ!自業自得だ!

 

そうなってくると、マルコのように慈愛に満ちたひとりの人間として、強く正しく育っていくことは今はとても難しいし、夢や未来や道徳を説くのも理想論では子を迷わしてしまいますね。

 カルピス子供名作劇場の「母をたずねて三千里」や「フランダースの犬」など感動人間ドラマも、子供時代の自分はツッコミばかり入れていた。もっと頑張れるだろ、頑張りどころ違うだろ、マルコの親もネロの爺さんもなんでもっと現実を教えないんだ。馬鹿なの?

でも仕方ないんだ。

It's a Barnum and Bailey world,
Just as phony as it can be,
But it wouldn't be make believe
If you believed in me.

“It's Only a Paper Moon”

ここは見世物の世界
何から何までつくりもの
でも私を信じてくれたなら
すべてが本物になる

村上春樹1Q84」の一節でもあるのですが、タフな毎日の中に稀に訪れるひと時の平安の時が、マルコにもネロにもありました。ネロは自業自得とも批評される悲しい結末となりました。

 

僕を信じてくれたらすべてが本物になるんだ。

 

いつもの締めですが、強く正しく生きるということは自己矛盾、つまり見世物と本物とのやり取りであるのですね。

 

なんか説法みたいな話になっちゃったよ。