Toujours beaucoup

いつまでもたくさん

ひこうき雲

grapee.jp

 

中三の新学期を控えた春休みに酷い怪我をして、1週間ちょっと遅れてひとりで新学年を迎えた。

クラスはもうすっかりグループの棲み分けが出来上がっていて、放課はそれぞれのグループごとに分かれて過ごしていて、周回遅れの僕は遠慮して仲間に入れなかった。そしてちっぽけな自我のせいで孤立した自分を恥じていた。

10分間の放課はまだいい、本でも読んで過ごせばいい。問題は50分の昼休み。孤独に耐えられなくって教室を出た。

転校生の経験はあるからそんなことは珍しいことじゃないのだけど、転校生ならひとりぼっちでいいのだ。ひとりぼっちでなければならない。転校生なら誰かしらが構ってくれる。だけどその時はみな僕に無関心で、自分の存在が「無」になっているようで耐えられなかった。

教室を出た僕はグランド周回の松並木の遊歩道をひたすら歩いてぐるぐる回った。

旧制中学の施設をそのまま引き継いでおり、独特などんよりとした校舎群と昼間でも薄暗い(その時の絶望的な気持ちのせいかもしれない)松並木の遊歩道は、より一層気持ちを暗くさせた。地方都市らしい公立巨大中学で、管理教育(暴力教師)に校内暴力、在日や部落差別、相関する家庭格差など負の要素がてんこ盛りで、そもそも転校生の僕にとって、その土地自体が居心地の悪い場所だった。

その後は、経緯は忘れたけど何れかのヒエラルキーに属して、何とかやり過ごしていった。学力カーストでは2番目の階層にいて(事実その階層の公立高校に入った)、時々上の階層を脅かすせいで、また異端児だったせいか、そこからの排除も強く(生徒からも教師からも)、交友関係も簡単にはいかなかった。

中学を出ると、底辺層は奴隷労働に耐えるか地下に潜る。もしくは女性なら自分を商品にする。稼ぎたいならダンプの運転手をめざすしかなかった。スポーツ進学で天国行きの切符を掴んだ者もいたが、天国行きの切符は地獄経由で目的地にたどり着いた話は聞いたことがない。

その後僕は、平々凡々とした田舎の公立進学校をでたあと、東京の付属上りが半数を占めるマンモス大学に進学して、あまりの世界の違いに驚いたもんである。

憬れて目指していたヨットも鳥人間コンテストも、身の程の違いを思い知って逃げ出した。というより、ライダー向けの体躯と才能が少しはあったようで、自然とバイクとレースの世界に導かれていった。

 

ひとり飯の自閉症のボーくんに、バスケのスター選手のラヴィス・ルドルフが飯をつき合った話。

 

ラヴィスもひとりぼっちなのかもしれない。

ラヴィスのスポーツマンの意識向上のための行動なのかもしれない。

それともトラヴィスの優しさそのものかもしれない。でもだったら横に座るかな。

 

そんなことより、スポーツエリートが貪るように食べるピッツアと、ボーくんの母の愛がこもった(おそらく)ランチボックスとの対比が、松任谷由美の言葉でいうと「白い坂道は空へ続いていた 誰も気づかす ただひとりあの子は上っていく 何もおそれない*1」のようで、何が幸せなのかの謎がより一層深くなりましたね。

 

それが普段は思い出すことのない中3の新学期につながる暗い隧道になりました。

 

 

 

 

 

*1:ひこうき雲」の歌詞です