Toujours beaucoup

いつまでもたくさん

本丸突入

豊橋の駅裏のガード下にタイムスリップしたような一角がある。

新宿のゴールデン街のように、戦後復興のどさくさに生まれたバラックに近いような木造長屋が立ち並んでいる。火が出れば通りごと丸ごと焼けてしまうから、消防法的にはアウトで、既成事実だけで存続していて建て替えはきかない。焼き鳥屋が一番多いから、木造長屋にしみ込んだ永年の油で、火事になったら大炎上で新幹線は間違いなく止まるだろう。

最近ではゴールデン街と同じように、若者が様々なコンセプトで続々と出店するようになっている。

二軒ぶち抜きのメキシカン、マッチョ系、ガラス張りの焼き鳥屋など。

むかしながらの焼き鳥屋や、ババアの小料理屋もある。その中にはオリンピック選手の母親が経営する小料理屋もある。育成に死ぬほど金のかかる競技だから、テーブルチャージは協賛費こみで高いのであろうか。

その中にひとつに僕の好きな立ち飲み屋がある。クラウン一台分くらいのスペースだろうか、L字のカウンターの立ち席に、元プロ野球選手のようなガタイのいい役者顔の男が切り盛りしている。きちんとした料理人上がりで、料理のレベルは高い。しかもオーダーを捌きも魚の捌きも抜群に早くてしかも安い。だから平日からとても繁盛している。

 

f:id:pooteen:20160527222128j:image

ただ焼いただけのアスパラだけど、とてもおいしかった。

 

このあいだ友人とそこに軽く飲みに行ってきた。

以前に行った時は、ひとりで飲みに来ていたおっさんみたいな女子と仲良くなってハシゴして午前2時くらいまで飲んでた。

「駄目だよ女の子がひとりでこんな風についてきちゃあ。もっと気をつけた方がいいぞ」

なんて5回くらい言ったような気がする。でも彼女の人生だ。

 

今回も偶然同じ席になって、その時の女の子と同じ場所で青年が一人で飲んでいた。コイツ京都人だな、というのが第一印象。それは単純に京都出身の知り合いに似ていただけ。でもそのあと、彼は人格形成において京都が多きな要素を占めていることがわかった。K君としよう。

友人と飲んでいたのだけど、その日はちょうどイベント帰りのような中年グループが半分店から溢れていて、まるで怒号飛び交う阪神戦や中日戦の乱闘のような騒ぎである。

K君がL字型カウンターの短い辺の一番奥。二番目が僕で友人が3番目。K君はかまってほしいオーラを出していたので時々話を振ってみた。

京都人と感じたし他所から来た風だったから、「どこから?」と訪ねてみると「住まいは豊橋で今日は職場の岡崎からの帰りだと。

高3の時に神奈川から豊橋へ引っ越してきて、その後京都に10年住み最近豊橋に帰ってきたという。転勤族だったらしく、今は父親はジェネコンを定年退職して豊橋に居を構えていると。

高3の時に転入したのが豊橋で一番の進学校で、中々の学力でそれまでは神奈川の中高一貫進学校にいたという。どこか直ぐわかったけど、彼は学校名を言わなかったからそれは割愛。その後は東大滑って京大の教育学部に入学。京大卒業後は有名大手予備校に10年講師をやっていたという。予備校名は聞いたけどこれは伏せておく。伏せるまでもないが。

なかなかのハイスペックである。だが・・・

実は初見からK君の所作を心配していた。やたらテンパっていて早口で、まるで浮き球のようなトークをする。コミュニケーションにちょっと問題を抱えていているような感じがした。

ここでK君に興味が出てきた。ただ失礼ながら、ハイスペックなのに何だかバランスが悪そうな人間性についてである。

ジェネコンの父親に「お受験」上がり。パワハラに近いような家庭の教育方針で人格破壊してしまっているのか。その辺りを掘り下げて、彼を知ることができ少しは救済することが出来ればと思った。差し出がましいようであるが。

とにかく飲ませよう。場所を変えた。

現在の豊橋の本丸に行った。

豊橋は吉田藩として戦国時代に築城された吉田城の城下町と、東海道五十三次の吉田の宿として宿場町、書いて字のごとく豊かな豊川の湊町として栄えてきた。

明治維新後は軍都として2個師団を擁し、花街も加わっていったし、立地的に鉄道の要衝としても栄えた。

吉田城一帯は陸軍師団となり戦後は豊橋公園豊橋市役所が置かれている。そこが今橋町となり、曲尺手町、鍛冶町、湊町、関屋町、魚町、呉服町、萱町、大手町、談合町等々の街の機能がそのまま町名になった伝統的なスタイルの街だ。

そうかつての吉田城本丸は牧野氏の象徴であった。

現在の本丸は、官民一丸となって再開発された、駅前商業地区のホテルアークリッシュのメンバーズフロアであろう。アークリッシュはサーラグループ資本で、そのサーラグループは神野氏が象徴でもある。

神野氏は神野新田と地名にもなった沿岸部の新田開拓と、自動車輸入で躍進した近代の港湾地区や、鉄道、サーラグループの前身の中部ガスグループなど、豊橋のインフラや商業にも大きく関わっている。僕自身も新卒で中部ガスグループに一時在籍し、神野氏や関連する財界人の薫陶をほんの少しだけ受けた。

友人はホテルアークリッシュのクラブメンバーで(つまり出資者のようなもの)、彼の招待でK君も同行して、メンバーのためのフロアに招待してもらった。そのフロアに興味深い一角があった。ライブラリースペースで、それも見せるための演出がきいたセンスのいい書架があった。神野氏の蔵書も多く占めるという。

その中になんと岩波少年文庫の初版が勢ぞろいしていた。

 1950年に岩波少年文庫が発刊した際の言葉というのがあって、文庫の終わりに必ず掲載されているもので、少年文庫発刊にかける熱い想いと、高い志がひしひしと伝わってくる素晴らしい文章。物語を読んだ後に必ず読んで、物語の空想の世界から戻ってきたものだ。

現在の少年文庫には、2000年の50周年に書き換えられた新しい文が掲載されているため、当時の文章を読むことはできない。

岩波少年文庫発行に際して

一物も残さず焼きはらわれた街に、草が萌え出し、いためつけられた街路樹からも、若々しい枝が空に向かって伸びていった。戦後、いたるところに見た草木の、あのめざましい姿は、私たちに、いま何を大切にし、何に期待すべきかを教える。未曾有の崩壊を経て、まだ立ちなおらない今日の日本に、少年期を過ごしつつある人々こそ、私たちの社会にとって、正にあのみずみずしい草の葉であり、若々しい枝なのである。

この文庫は、日本のこの新しい萌芽に対する深い期待から生まれた。この萌芽に明るい陽光をさし入れ、豊かな水分を培うことが、この文庫の目的である。幸いに世界文学の宝庫には、少年たちへの温い愛情をモティーフとして生まれ、歳月を経てその価値を減ぜず、国境を越えて人に訴える、すぐれた作品が数多く収められ、また名だたる巨匠の作品で、少年たちにも理解し得る一面を備えたものも、けっして乏しくはない。私たちは、この宝庫をさぐって、かかる名作を逐次、美しい日本語に移して、彼らに贈りたいと思う。

もとより海外児童文学の名作の、わが国における紹介は、グリム、アンデルセンの作品をはじめとして、すでにおびただしい数にのぼっている。しかも、少数の例外的な出版者、翻訳者の良心的な試みを除けば、およそ出版部門のなかで、この部門ほど杜撰な翻訳が看過され、ほしいままの改刪が横行している部門はない。私たちがこの文庫の発足を決心したのも、一つには、多年にわたるこの弊害を除き、名作にふさわしい定訳を、日本に作ることの必要を痛感したからである。翻訳は、あくまで原作の真の姿を伝えることを期すると共に、訳文は平明、どこまでも少年諸君に親しみ深いものとするつもりである。

この試みが成功するためには、粗悪な読書の害が、粗悪な感触の害に劣らないことを知る、世の心ある両親と真摯な教育者との、広範なご支持を得なければならない。私たちは、その要望にそうため、内容にも装釘にもできる限りの努力を注ぐと共に、価格も事情の許す限り低廉にしてゆく方針である。私たちの努力が、多少とも所期の成果をあげ、この文庫が都市はもちろん、農村の隅々にまで普及する日が来るならば、それは、ただ私たちだけの喜びではないではないだろう。

1950年

僥倖にもこれを初版で見ることが出来て胸熱だった。

だが神野少年は読書家ではなかったようで、ページを手繰った足跡は感じられなかった。

 

【 HOTEL ARC RICHE TOYOHASHI 】クラブフロア・CLUB FLOOR

 

さてK君。

招待してくれた友人は豊橋の財界でも最近「あいつは何者だ」とマークされているような有能な人間。ソファーに深く腰掛けた彼は、ガラスの向こうの暗闇に向かって言った。

「学歴なんて何の意味もないね」

もちんK君に向けての叱咤であるが、それを彼はどう受け取ったか。

友人もきちんとした大学を出て日本でも有数な会社を経営している。20代のころは数億円の借金があった。ジェネコンの監督に土下座した頭を踏みつけられたこともある。

もちろん友人はそんなこと言わない。その友人の言葉をK君はどう感じ取ったたか。

K君はいま(これは言わないでくれといわれたので伏せるが)、ある遠き山を目指すための下積みのような仕事をしている。

友人のK君評は、やはり所作に問題あり、10年間の有名予備校講師の経験で学ぶことはできなかったのか、と。

僕はこう感じた。

最後までK君は心のドアを開かなかった。ハイスペックと人格のバランスの悪さの原因は分からなかった。僕は友人とは逆に、予備校講師という閉ざされた社会が人間性を狭めたのかと思った。でも友人が感じたように、あるいは見た目のままだったのかもしれない。

K君は今晩も飲みに出て、構ってくれる人を探してような気がする。

 

ハイスペックの賞味期限は40までだから、気をつけた方がいい。