Toujours beaucoup

いつまでもたくさん

胎内くぐりと青春の一冊

特別お題「青春の一冊」 with P+D MAGAZINE
http://blog.hatena.ne.jp/-/campaign/pdmagazine

 

 

 

盛り場の外れにある公園の横に車を止めた。土曜の26時。公園の地下には駐車場があり、仕事を終えた夜の蝶たちがときおり、遣れた香りの尾を曳きながら地下へ消えていく。

 
02:01
冷たい空気の中からヒールの音が聞こえてきた。
ピンヒールに慣れていないような、濁ったリズムの悪い足音だ。
違う。
横目に足音の主を流すと、新人のようで着こなしもパッとしないし、おぼつかない足音と同様に姿勢も悪い。新人の泣き言を受け止めてくれる相手はいるのだろうか。
 
そんなことを考えていると、後部座席のスライドドアのドアノブを引く音に我に返る。
 
彼女が乗り込んできた。  
「さむい!」
「おつかれさま」
「ちょっと待って。少ししてから」
 
 
川端康成の「雪国」は、中年の島村という男と駒子という芸者との、どこにも行けない閉ざされた冬の中の幻夢のような物語だ。春が来れば雪が解けて消えてしまうような儚い世界。美しくも冷たい自然と、ひんやりとした人肌の触れ合いのような美しい情景描写は、初めて読んだ時の14歳の少年には分かるはずもなかった。
 
それが今となっては、惚れ惚れするような文章の美しさと描写の巧みさ、まどろみの中の夢のような逃避愛がまた大きな魅力に感じられる。
 
「国境の長いトンネルを抜けると雪国だった」
 
あまりにも有名な完璧な書き出しは、読み進めると、妻子のいる東京から温泉芸者の駒子の待つ冬の温泉街を訪ねるという、甘美な非現実の世界に到着していたということを表現しているのがわかる。
「夜の底が白くなった」という美しいメタファーや、汽車の車窓に心情を緻密に反映させる表現法。
そして葉子というもう一人の女。
 
 
差し違えるような恋愛をした彼女は売れっ子ホステスだった。
ある夏の夜に酷く酔っぱらって転がりこんだ店に彼女はいた。黄色いドレスを着て真っすぐ僕の前に立ち握手を求めてきた。それが始まりだった。
14歳の僕が「雪国」を読んで芸者との恋が理解できなかったように、まさかホステスと付き合うようになるとは思っていなかった。
恋愛ゲームを仕事とするホステスは、嫉妬を餌にする獏のようなものだ。
でも彼女は獏になり切れなかった。一生分の嘘もつかなくてはならない。ストーカーが待ち伏せし、おまけに僕までマークされた。売り上げノルマもきつく、彼女はどんどん疲弊していった。
彼女を迎えに行ったあと食事するにも、同業者や顧客に見つかる可能性が高く、車の中でボソボソとお弁当を食べたり、真っ暗な窓の外を眺め続けたりした。
まだ若かった僕には荷が重たかったけど、島村が感じた車窓に写った葉子の美しさを、リアルのイメージできるようになったのかもしれない。
 
「青春の一冊」ということで最初に思い浮かんだのは、村上春樹の「風の歌を聴け」だった。もう数十回読み返している。30分もあれば読めるから、まるでコーヒーでも飲むようなものだ。
 
「雪国」と共通するのは「風の歌を聴け」も、冒頭の言葉にやられた。
 
「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね」
 
村上春樹のデビュー作であり、文章を書くことについて自問し、文章の師となったSF作家デレク・デレクハートフィールドをリスペクトしながら、大学生の僕と鼠のひと夏のエピソードが綴られる。夏休みで帰省した港町と、主人公よりずっとうまい日本語を話す中国人のバーテンがいるバーを舞台に。
ネイティブアメリカンの語り部のような哲学的なフレーズも各所に仕込まれ、青春期特有のニヒリズムも大いに刺激された。
 
また壮大な嘘も仕組まれているのだが、基本的な文学的素養があれば、大作家へのオマージュをこめたフィクションと分かるようになっている。しかし、真に受けて騙されてしまう者たちが日本中の図書館司書や書店員を困らせてしまったという都市伝説もあり、そのあたりも魅力のひとつであろう。
 
だが「風の歌を聴け」はハタチぐらいの時の、世代がシンクロした共感が主で、持っているだけで安心な常備薬のようなものなのかもしれない。
 
アメーバのように人としてまだ形を成してない14歳のころに刻まれた物語と、その後の17歳のころの暴走する欲望を通過儀礼とし、何となく大人の世界に入ったころに触れた物語は全く別物のようなものだろう。
 
事実「風の歌を聴け」でも、14歳の自我の覚醒について書かれている。
 
「雪国」のラストでの街の火事のシーン。
駆け出した駒子は空を見上げて「天の川きれいねえ」という。
いつの間にか二人で見つめる火事の炎は燃え盛る情念のようで、繋いだ手は熱を帯びるが、それは別れの予感を強くするものだった。火が消えないうちに。
 
 時間が止まったような古い図書館で、あるいは深夜遅くまで電気スタンドひとつ点けた勉強机で、足繁く通った喫茶店の片隅で、毎日の電車で、公園で、川辺りで、あるいは寝室で……、時間を忘れてしまうほど夢中で読みふけった一冊はなんですか?

 

 「青春の一冊」という意味では村上春樹の「風の歌を聴け」と一連のシリーズなのかもしれないが、少年期に筋トレのように読み続けた文学作品の中の珠玉の一作、川端康成の「雪国」が忘れられない。それは「生きる」ということを強く感じさせてくれた、胎内くぐりのようなものだったのかもしれない。