Toujours beaucoup

いつまでもたくさん

ゴッホのようなブロガーが好きです

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捨て猫のように雨に濡れるハイヒール。主は何処へ。
 
ピカソのエピソードでこんなのがあります。
あるレストランでピカソが、ウェイターにちょっとコレに描いてくれと紙ナプキンを渡されました。
ピカソは30秒ほどで描いて言いました。
「1万ドルだ。」
驚いたウェイター
「30秒でちょっと書いたのが1万ドル!?」
「30秒じゃない、40年と30秒だ」
ピカソは絵だけでなく、自分をブランディングする能力にも長けていたといいます。
 
絵の完成が見えてくると、大勢の画商をアトリエに呼んでプレゼンするのです。
完成すると再び画商たちを呼び、その場で値付けさせるのです。オークションみたいなものです。完成前のプレゼンによって、画商たちはすでに客に営業しています。
 
一方のゴッホは…
売れない自分と戦っていましたね。
ブログを書くように、パトロンの弟への手紙を定期的に送り苦悩を綴っていました。
 
またゴッホ展に行って感じたのは、ゴッホは描き続けた事によって開花した後天的な天才ではないでしょうか。若い頃のデッサンは意外なレベルの凡庸さでした。
 
一方のピカソ
子供の頃からの天才で山師的な才能もあった。生れついての芸術家だったのでしょう。
 
販売されている絵を見て僕はこう思います。
50万円の油絵。高いですよね。
でもその50万円の絵を描くのに1カ月掛かっていたら、つまり売上50万から画商へのマージンや経費を引いたら、なんとも儲からない商売ですよね。
 
芸術家はある意味狂っていないと本物にはなれないと思います。
 
価値をつける人は、その芸術作品のなかの非現実や魂を買うのだと思います。
 
描くのが楽しくて、趣味として描いて次に描くため材料費になれればいいという絵は、材料費にしかならないのかなと、思います。
 
僕は外野席に忍び込んだタダ見の観客みたいなものなので、こんなこと言うのは失礼なのですがそう思います。
 
スポーツや競技や著作でも同じです。
 
ただインターネットでは、ゴミみたいな文章でも、売るテクニックというものがあり、それでお小遣い稼ぎしている人が目につきますよね。
 
絵や芸術はそんな物とは違います。
 
RIKORIKOさんの絵は描き手の叫びのようなものを感じます。でも商業的な価値は分かりません。