Toujours beaucoup

いつまでもたくさん

郷愁 料理と映画と

サイゼリヤの発祥をご存知だろうか。
 
1980年代にサイゼリヤ本店(1号店)は、本八幡駅北口の細い路地の商店街の八百屋の二階にあって、狭い外階段を上がって入った。メニューは値段も含めて現サイゼリヤに良く似ていたけど、似て非なるものでレベルは断然高かった。となりの市川駅にもあって、こちらは今のサイゼリヤぐらいの規模で本店より少しラフな味だった。
懐かしい学生時代の味。
 
それから長い時間が経った。
それでも今から20年近く前、まだ小さかった子供たちと車に乗っていると、サイゼリアという名の新しいファミレスを見つけた。
あのサイゼリヤか?
メニューはもう覚えていない。とにかく安いが、味はギリギリ食べられるぐらいだった。
なにかの間違いだ。
忘れることにした。
 
そもそも隣街に、とあるイタリアンレストランがあり、そこは古き良き時代のサイゼリヤの味と雰囲気を残していた。というより、サイゼリヤに影響を受けたのは間違いないだろう。
しばらく通ったが、そのうちにかなり離れた田舎町に移転しまった。大きな川沿いにあり悪くないロケーションだが、基本的に人口が少ない地区だから、かなりうまく経営しないと難しい。
それでもしばらくは、「テーブルをいっぱいにして、庶民的なイタリア風家庭料理をデキャンタワインで食べる、行くべき価値のある場所」だった。
 
だがいつかはストーリーの終わりが近づいているのが感じられたし、そういう兆しは大体の場合真実になる。そこを仮にリバーサイドとしよう。
 
話は戻る。しばらく経って何かで、その謎のサイゼリヤのファミレスチェーンの紹介をしていた。なんとあの八百屋の二階のサイゼリヤが全国展開していたのだった。
 
再訪してみた。味はかなりまともになり、庶民的なファミレスとして繁盛しているのも分かった。旧サイゼリアと共通の鉄板メニュー「焼き肉ハンバーグ」を食べると思い出す。
 
八百屋の二階で食べた、料理人の若さと情熱溢れる、熱々の鉄板からはみ出さんばかりの焼き肉とハンバーグに目玉焼き。
 
でもそれは郷愁というやつだ。
 

娘とふたり新年会をした。

 
繁華街の外れにあるイタリア料理のお店。
ノスタルジア」 郷愁という名前で、路地裏の角にあるビルの二階にある大きなガラス窓で、外階段を上った踊り場は素敵な鉢植えで彩られている。
 
サイゼリヤ本店に少し雰囲気が似ているかな。メニューは似てもつかない。地場素材を生かした創作料理も多い。でもその立地や、若くて気を感じるスタッフが、旧サイゼリアの郷愁へと誘う。
 
 f:id:pooteen:20160108204919j:image
 
サラダのドレッシングやら和え物が柑橘系の香り豊かなとても素敵な一品だった。
これはとても好き。
 
f:id:pooteen:20160108185218j:image

柳葉魚のサーディン

柳葉魚の淡白な味わいが、上質なオリーブオイルと仲良くモジモジしているようでかわいい味わいだった。
 
 
f:id:pooteen:20160108185612j:image
サバーナ
もちろん造語で駄洒落のようなもんだろうけど、それをわざわざ説明してくれたので可笑しかった。
最初一口食べた時、鯖の味が完全にチーズと喧嘩して負けている感じで、失敗したかと思った。タバスコや胡椒は駄目、塩はチーズと鯖のどちらに味方するかな、せめてバジルを多目に振れば、なんて考えていたのだが。
ところが冷めてくると鯖の味がしっかりとしてきて、濃厚なチーズの味と良く合うようになってきた。
料理人がそこまで意識していたかどうかはわからないけど、なかなか印象深い味だった。
 
ごちそうさまでした。
 
さて
最後にリバーサイドに行ったのは、昨年の春だったか。ひさびさにお邪魔したリバーサイドは、もう昼の営業がメインのようで、夜は煮込みハンバーグ2種しかありませんよ、と。でもいいだろう、折角来たんだし。
キッチンでは二代目とスタッフが大きな声でずっとじゃれ合っている。まずい展開だな。その類いのお店の味は知れている。
出てきた煮込みハンバーグは、完全にストーリーの終わりを告げるものだった。
 
エンドロールを見るまでもなく劇場を去るようで、実に悲しい別れだった。
 

ロシア人作家アンドレイ・ゴルチャコフは、助手で通訳のエウジェニアと共に、故郷ロシアに帰れば農奴となることがわかっていながら帰国し、自殺した作曲家パーヴェル・サスノフスキーの取材のために、モスクワからイタリア中部のトスカーナを訪れていた。だが、その旅も終わりに近づいていた。アンドレイは持病の心臓病を患っており、もう余命が長くなかった。

二人がシエーナまで訪れた理由は教会に祀られてあるマドンナ・デル・バルトの聖母画を見るためであったが、アンドレイは「君たちの美を見るのにはうんざりだ」と言い残して一人外を歩き回り、エウジェニアだけが教会に訪れる。そこには修道女たちとイコンに祈りの言葉を捧げる修道女がいた。その日の夜に泊まったホテルで、アンドレイは自分の故郷の夢を見る。そこには霧に包まれ、走り回る少女と森の風景が広がっていた。

二人は旅の最後に立ち寄った小さな温泉街バーニョ・ヴィニョーニで、「もうすぐ世界の終末が訪れる」と信じ込み、家族を7年にわたって幽閉し周囲から狂人と呼ばれる男、ドメニコに出会う。

 
バーニョ・ヴィニョーニに戻っていたアンドレイは、かつてドメニコに言われていた、蝋燭に火を付けて温泉を渡りきるという試行を行っていた。時には手で、時には後ろ向きで歩いて、またある時には上着で風を遮ろうとするも、どれも失敗に終わってしまう。しかし、三度目の試行で遂に温泉を渡りきることに成功したアンドレイは突然倒れてしまう。心臓病による死期が迫っていたのだ。その時またアンドレイは故郷の夢を見ていた。そこには懐かしい故郷と、雪が永遠に降り続ける風景が彼を包んでいた。

 

youtu.be