Toujours beaucoup

いつまでもたくさん

転がる石だったころ

今でこそ半ば当たり前のようになったローリングストーンズの日本公演。

ところがその初来日は1990年まで待つ必要があった。チケットまで販売された1973年の初来日は薬物所持前科など素行不良で入国が許されなった。

ドラッグ中毒、陳腐化と退廃そして内戦、まるで中国のような歴史をたどったローリングストーンズは、1989年にロックの殿堂入りを果たし3年ぶりのアルバム「スティールホイールズ」で生まれ変わった。

つまり革命は終わりメンバーは和解し、ストーンズは偶像化したのである。商業バンドとして円熟期に入り、8年ぶりの全米ツアーと、日本を含むヨーロッパツアーが始まったのである。

新しい時代の到来のような予兆は、前々年1988年のミック・ジャガーのソロ初来日だった。ストーンズの他のメンバーより早く大人になったミックは、アルバム「プリミティブクール」でエンターテイメント性の高いロックを実現した。

コンサート当日、アウシュビッツに到着した貨物列車のように、水道橋の中央線から人があふれ出てくる。チケットの競争率は壮絶で、東京ドームのスポンサー企業に勤める友人の親の伝手を頼ってやっとスタンド席が入手できた。

スタンド席から眺めたミックはおそらくミックであろうことが、アストロビジョンで確認できた。ティナ・タナーのサプライス共演もあり、壮大なショーだった。

ショーが終わりまるで難民のように中央線沿線をぞろぞろと歩き、乗れそうな駅まで2駅くらい歩いた。幻の公演も実現してみるとあっけないもんだった。

 

そして1990年のローリングストーンズの初来日。

ミックと同じく東京ドームでまたしても、友人の伝手を頼ってチケットをなんとか手配した。大ファンだった会社の上司の分も頼まれて一緒に。

大学を出て地元の公益企業に潜りこみ、レースとかの借金や奨学金を返しながら何とかやっていたころの話。その会社はレッテルの割には民度の低い会社で、なかなかの不条理を味わっていたのであるが。苦労して有名私大に一般入試で入ったら、付属から上がってきた偏差値が10以上低そうなのがゴロゴロいて、世の中のいびつさを痛感するのに良く似ている。

 

ストーンズのチケット届きましたよ!」

足軽が大将の首でも獲ったかのように上司の下に持っていくと。

「あ、行けんくなったわ」

で、プイっと顔を戻して自分の仕事に戻りやがった。

もう言葉を失いましたね。絶句しましたね。殺してやればよかったですね。

失意のまま、仲の良かった隣の部署のにダフ屋行為をしに行ったら、超美人事務ミユキちゃんの口利きで先輩が買ってくれた。でもただ同然で、先輩がダフ屋だった。でもちょー喜んでくれたのが救い。

どんな理由で行けなくなったにしろ、謝罪なり、上司だったら色つけて買い取るの最低限のマナーなんですけどね。言うまでもなく。

でもその後自分で仕事始めたら、世の中にはそんなやつゴロゴロいるのがわかった。

 

でも糞上司死ね。

ストーンズの来日と聞くたびに思い出す。