味
外出している時に主人が言ったひとことは、かなり核心をついていて笑った。「僕の両親には、Annaは元気が良すぎるから入院していると伝えてるよ」だって。
エレカシのライブが今月名古屋市であるようだ。チケットはまだあるのだろうか。しかしチケットが残っているとしても行くのは無理。わたしは精神病を患っており大きなホールで一時間強続く大音響に脆弱な脳みそが耐えられるはずが無い。そして生きて歌う宮本浩次はあまりにも刺激が強過ぎる。
失神して迷惑をかけるだろう。その後の数日は微熱で寝込んで家族も閉口するだろう。分かり切っていること、予期できるストレスは回避するのが大人である。
刺激が強すぎて失神したり、数日間寝込んでしまうだろう、と。
誰しもこの傾向はあるが、それが強すぎるようだが、そんな自己に誠実に向き合っている。
18のころから競技としてレーストラックでバイクに乗るようになった。その行為は強い興奮状態となり、しばらく体が浮遊するような覚醒状態が続く。肉体はボロボロに疲労しているのに、精神は覚醒し眠ることが出来なくなる。
覚せい剤を打って日本刀を振り回している輩は、強い覚醒状態にあり痛みを感じないから、絶対に止めてはいけない。
味
僕は今では逆に味覚過敏というかかなり繊細になった。あの苦しい時期のように何を食べても味がしないなんてことはなくなった。
知り合いのうどん屋さんに定期的に麺の試食に呼ばれる。僕は的確な言葉で具体的評価はできないから、感じたままを自分の言葉で表現する。うどん屋さんは自分の評価が正しいかどうか、僕の言葉で答え合わせするそうだ。ある日普通に食べにいったら麺の味と食感が変わったのがわかった。もう出汁のバランスが崩れ最悪である。食べ終わったころに、評価を聞かれたので正直に答えたら、やっぱりか!と。それは仕入先にやられたようであった。
不味いもの、特に不味い魚が食べられなくなった。鮮度はともかく活かす殺すも管理と、調理しだい。スーパーの刺身はほとんどがおいしく食べられない。生牡蠣は際たる例で、スーパーも含め街場で食べられる生牡蠣は殺菌処理で旨味が抜けてしまっている。薬品のような味を感じるくらいだ。
ラーメンもそう。ラーメンブームでいっちょまえの能書きで高いラーメンが増えた。
味が濃いのは大丈夫だし好きだ。でもあきらかに塩っ辛いだけ。行き過ぎた魚介出汁。臭いだけの豚骨。
一方、あっさり白湯鶏塩ラーメンは旨味がないかわりに、シンクの味がするとか。
どん兵衛のほうがどんだけましか、なんてことが結構ある。
さてわたしはラーメンを滅多に食べない。理由は明快だ。ラーメンは熱い。熱すぎる食べ物は食べられない。わたしは犬派ではあるが猫舌だ。
そしてもうひとつの理由はラーメンを美味しいと思ったことがとても少ない。味覚過敏と言えば聞こえが良いが熱いのに怯んでしまい食べ始めが遅れるという不手際も手伝って半分ぐらいのところでモタモタと麺が伸びてしまっている。
そして美味しいと評判のラーメンのスープは旨味が多過ぎるように感じている。濃すぎるのだ。美味しいなと思うのはやはり半分ぐらいまで。濃い味付けに飽きてしまいこの辺りで白飯入れたいな、とかアレンジしたくなるのは育ちが悪いせいなのか。そもそも胃が小さいのもハンデである。
わたしには目標がある。わたしの中ではラーメンをガツガツと食べられるように成ればエレカシのライブへ行けるのではないかという全く連合弛緩極まりない目標がある。
ライブへ行ける様になってホールで意識が遠ざかるころわたしはこんな風に自分を励ますんだよね。ラーメンなんだ、エレカシはとびきり美味しいラーメンなんだ。今しか食べられないぞ。美味しいラーメン屋に行列が出来るのは当たり前だぞ。みんなが集まるのは当たり前だぞ。頑張れ人生辛抱だ。
立場はかわりメカニックとしてライダーを送り出す時は「頑張って」とは言わない。なぜならもう死ぬほど頑張っているからだ。もしくは「頑張って」と言われることで満足してしまう。だからいつもこう声をかける。
気をつけて