ヒトラーが燃やすことができなかった街
前提として
フランスの歴史は血塗られた歴史である。
自由と人権を戦うことによって獲得してきたタフな国。
アメリカのような、実は居直り強盗のような歴史とは違う。
100年前はパリも日本も裏通りでは決闘があったという。
日本は鎖国、明治維新から日露戦争までは、生き残るために大きな犠牲を払いつつも、誇りと主権を持ち続けてきたように思う。その後その誇りは陳腐化し、国民は愚民化し、第二次大戦の総力戦で然るべくして負けた。完膚なきまでに。
国家は残ったが国民は精神的に根絶やしにまでされてしまった。
フランスはナチスに瞬殺されたふりをしながらも、その誇りを失わず戦い続けた。個々が主権のために戦かわざるを得ない移民の多いお国柄なのもある。
とにかく心の中でうまく処理できない。だけど当事者意識を少しでも持っことは大切だと思う。脳みそにトリコロールのフィルターをかけることで、当事者意識について考えるきっかけにもなる。
そもそもここにいたら、パリ市民や中東の人々の本当の気持ちなんて理解できるわけがない。
でも考えたり議論することは大切だと思う。
トリコロールに染まった押上タワーを見て思った。下手すりゃ燃やされるよ。
「犯罪者なら処刑してもいい」
解決困難なこの社会の不完全さが引き起こしたこの事件は、パリの無差別同時多発テロの背景の構造に似ているのではないか。
・テロリストを無条件に糾弾するのは果たして正義なのか
・テロ被害は世界中で起こっており特別扱いすることではない。
・しかしテロリストとは断固戦うべきである
・もちろんパリだけの問題ではないが、個別で対応する必要もある。
・テロリストは視点を変えると社会の不完全さの犠牲者であるのは分かるが、それを義賊として認めるわけにはいかない。
・フランスの国家としての断固戦う姿勢(多くの血は流れる)は、勧善懲悪モデルとして支持を得やすい。
トリコロールセンセーションでこういった議論が出来るようになったことは、評価できますよね。
個人単位と国家レベルでの相反する真理と正義。
強く正しく生きることは、矛盾する真理との葛藤なのです。
トリコロールセンセーションは僕は強く支持します。だけども必ず存在する相対する真理も考え続けます。
ヒトラーは甲高い声で叫んだ。
パリは燃えているか!