ガッコのころのお店
学生メシというかよく工夫された創作料理で、お任せでお願いしてみたい。
学校とベースとなる街とのコラボレーションで、街イコール人とお店。
こういうお店がある街にある学校に通える学生さんがうらやましいぞ。
飲んで学んで内定ゲット!? 有名企業内定者を輩出する、京都の就活生が集う居酒屋とは
でもこのタイトルはちょっと品が無さすぎだよ。もちろんキャッチーなコピーで効果的なんだけど、店主がイメージしているのはそうじゃない気がするな。これだと客層を変えかねない気もする。
この記事は大学生向けなんだけど、その前の高校生時代には、昭和の頃は前店、角店など学校の近くの常連店分化があった。いまはコンビニ文化ですっかり消えてしまったのかな。豊橋ではそうなった。
母校に通っていたころのそんな巡回店。
・前店
まさに西校門のまん前にある。ジュース、スナック類。休み時間にとんぼ返りできる。校内にも昼前限定のパン屋の出張販売があったけど、競争が熾烈すぎて1年生は残りもんにありつければいいほうで、下手すりゃ買えない。もっとも僕なんかは昼の放課は部室の掃除ノルマがったから、そこにたどりつく事さえできなかったが。
・角店
ここは東門からでた1国の角にある。飲食スペースがあって部活帰りに常用。野球部がメインで、我々弓道部やテニス部がその次ぐらいだったのか。
・ジャスコの楽器屋とすがきや
よくたむろってた。楽器屋には迷惑だったはず。すまん。すがきやはこの辺の若者のソウルフード。
娘が通っていた名古屋市東区の高校はさらに深く歴史のある街と共存し、行き着け店が多様でなかなかうらやましかった。なかでも伝説のラーメン屋だった「水さわ」
娘が3年の頃惜しまれつつ閉店した。
閉店時はOBの名古屋市の名物市長の河村氏が現れてニュースになったほどだ。ただ河村氏の在学中には存在せず、氏のパフォーマンスとも思われたがまあ許す。
ここへはお邪魔したことがある。ここの「薬膳ラーメン」はなかなか印象に残るラーメンだった。
旧い昭和の喫茶店をそのまま転用したラーメン屋で、失礼ながら商売としてはちょっとだめな感じだった。もちろんそんなこと店主も重々承知していただろうけど、彼の生き方なんだと思う。
主に運動部の常連に愛用されいたようで、昼休憩に抜け出すものも珍しくないらしい。部ジャーにスポーツバッグでずかずかお店に入ってきて、センターの大テーブルにすわる。そして「おう」というおやじに「ラーメン汁だけ」とかなぞのコマンドが飛ぶ。そう持ち込みのオカン弁当とラーメンの汁でメシを喰うのだ。もちろんお金を払う。でもって「おう、あいつはドコいったんだ?何やってる?」とか、ベタベタした会話がはじまる。
食べログにまさに卒業生のレビューがあり、ふさわしくそのまま引用する。
ラーメン好きが高じて1987年に開店し、近くの名門県立旭丘高校の教諭、生徒らも代々通い続けた地元の人気店。同校卒業のラーメン通の河村名古屋市長も頻繁に利用されるほどです。
小生も京都に転校するまで3ヶ月お世話になった懐かしのお店。もっとも高校生には500円のラーメン代は大変でしたので、他のお店でお好み焼き200円や焼きそば220円を良く食べていましたが。
このゴールデンウィークで閉店をすると友人らから聞きつけて味噌ラーメン500円と薬膳ラーメン600円の2杯を皆で戴きました。あ~懐かしい!当時は食べ盛りで味よりもボリュームが一番です。
大盛りの無料サービスはありがたかったですねえ。
今食べてもなかなか美味しい味噌ラーメンで御器所にあるすすきのより美味しいくらいです。ただ、麺が島田屋製麺という好来系ラーメン店が仕入れている製麺店が廃業されたとかで昔と麺が変わっているよと教えられたが、中太のストレート麺で固めに茹で加減で、大きめのメンマ、ネギ、厚手の歯応えも良いチャーシュー2枚が入りなかなか腹応えはあります。薬膳ラーメンの方も味付けはあっさりとして厭味さは無いです。途中で卓上の高麗人参酢を注し、味を調えながらいただきました。
ともに麺とスープのバランス、絡みが良い。最近の変化球ラーメン店も見習ってほしいところですが。
友人によると、もう数年も前から、店主がそろそろ店が危ないから皆で食べに来てくれとネットなどで呼びかけて欲しいとのSOS!があったそうです。卒業生には豊田章男社長など著名人が多いのにと思いながら、やるせなさいっぱいで皆お店を後にしました。
最近飲食店でも悪貨が良貨を駆逐する傾向が強いです。消費者も情報に流されず勘と感性を研ぎ澄ましていかないといけません。
一旦閉店しても、充電後再開して繁盛しているお店も沢山ありますので、ここは是非頑張ってほしい。
名古屋らぁめん 水さわ (現在は閉鎖) - 東区 - 愛知県
猿基地さんの商売繁盛を希望します。