Toujours beaucoup

いつまでもたくさん

火星の井戸の中の断食芸人

www.afpbb.com

「Dislike」ボタンとは。

虚構新聞かと思いましたよ。

 

それじゃあんまりだと思う反面、フェイスブックも閉塞感から来るユーザー離れで、転換期にきているのですね。

 

フェイスブック創業者の雑貨屋バーグ(すまん一度言ってみたかった)さんは、実名SNSによる透明性の高い世界を理想としいるようですが、一方ではそんなことができるわけが無い、というのも理解していたはずです。

 

ユーザーが増えるほどにより現実社会に近くなっていく。

それは閉塞感であったり、限られた自分だけの王国を作ることににもなります。現実社会だけでもうんざりなのに、SNSの中まで自由に息ができなくなる。

 

pooteen.hateblo.jp

先日のこのエントリーでの話と同じです。

夏休みの絵日記レベルのポストと、床屋政談的な主義思想のガス抜きでフェイスブックのタイムラインは埋まっています。

センスのいい画像やユーモアにも富んだ文章、読ませて見せるつまり閲覧者目線のポストはなかなかありません。玉石混交の情報も玉の確率がどんどん下がっています。

ただ生存確認には最適ですね。これは内容問わずフェイスブックのメリットです。

 

「いいね!」「Like!」ボタンでは感情や趣味思考などかなりのデータが感じ取れます。商用にはかなり有用なデータですね。また当然ながら個人情報も収集できますが、それはユーザーサイドである程度コントロールはできます。

それでも憎悪の雷雲を呼び寄せそうな「Dislike」ボタンはやめといた方がいいと思います。

そんな事しだすと次に来るのは「グーグルアドセンス」と「アフリエイト」のフェイスブック対応ではないでしょうか。

 

僕の場合フェイスブックは「自身のキャラクター宣伝用ツール」という位置づけです。日々のポストは事実(実名)に基づいたノンフィクションとして書いています。このブログとフェイスブックの文章の多く共有してもいますが、表現の方法はかなり変えています。

 

でも最近ではフェイスブックに少々食傷気味で、デレク・ハートフィールドの「火星の井戸」の中で、かすかな風を感じる横坑を探しているかのような閉塞感を持っています。

 

星の井戸

火星には無数に掘られた底なしの井戸があった。井戸は恐らく何万年の昔に火星人によって掘られたものだろう。不思議なことにそれらの井戸はすべて水脈を外して掘られていた。いったい何のために彼らがそんなものを掘ったのかは誰にもわからなかった。実際のところ火星人はその井戸以外に何ひとつ残さなかった。井戸だけである。その井戸は実にうまく作られていたし、何万年もの歳月を経た煉瓦ひとつ崩れてはいなかった。

 何人かの冒険家や調査隊が井戸に潜った。ロープを携えたものたちはそのあまりの井戸の深さと横穴の長さ故に引き返さねばならなかったし、ロープを持たぬものは誰一人として戻らなかった。

 あるとき宇宙を彷徨う青年が井戸に潜った。

*この宇宙を彷徨うというのが実にいい

彼は宇宙の広大さに絶望し人知れぬ死を望んでいたのだ。下りるにつれ井戸は少しずつ心地よく感じられるようになり、奇妙な力が優しく彼の体を包み始めた。1キロメートルばかり下降してから彼は適当な横穴をみつけてそこに潜りこみ、その曲がりくねった道をあてもなくひたすらに歩き続けた。どれほどの時間歩いたのかはわからなかった。時計が止まってしまっていたからだ。2時間かも知れぬし、2日間かもしれなかった。空腹感や疲労感はまるでなかったし、不思議な力は依然として彼の体を包んでくれていた。

 そして彼は突然日の光を感じた。横穴は別の井戸に結ばれていたのだ。彼は井戸をよじのぼり地上に出た。彼は井戸の縁に腰を下ろし広大な荒野を眺め、そして太陽を眺めた。何かが違っていた。風の匂い、太陽……太陽は中空にありながら、まるで夕陽のようにオレンジ色の巨大な塊りと化していたのだ。


「あと25万年で太陽は爆発するよ。パチン……OFFさ。25万年。たいした時間じゃないがね。」
 風が彼に向かってそう囁いた。
「私のことは気にしなくていい。ただの風さ。もし君がそう呼びたければ火星人と呼んでもいい。悪い響きじゃないよ。もっとも、言葉なんて私には意味はないがね。」
「でも、しゃべってる。」
「私が? しゃべってるのは君さ。私は君の心にヒントを与えているだけだよ。」
「太陽はどうしたんだ、一体?」
「年老いたんだ。死にかけてる。私にも君にもどうしようもないさ。」
「何故急に……?」
「急にじゃないよ。君が井戸を抜ける間に約15億年という歳月が流れた。君たちの諺にあるように、光陰矢の如しさ。君の抜けてきた井戸は時の歪みに沿って掘られているんだ。つまり我々は時の間を彷徨っているわけさ。宇宙の創生から死までをね。だから我々には生もなければ死もない。風だ。」
「ひとつ質問していいかい?」
「喜んで。」
「君は何を学んだ?」
 大気が微かに揺れ、風が笑った。そして再び永遠の静寂が火星の地表を被った。青年はポケットから拳銃を取り出し、銃口をこめかみにつけ静かに引き金を引いた。

 

村上春樹風の歌を聴け」文中より、デレク・ハートフィールド「火星の井戸」を引用しました。

 

この「火星の井戸」はとても好きなエピソードです。

そもそも火星に掘られた井戸は水脈を外して掘られていた、というところがフェイクなのです。火星に水はありませんし、あったとしても水脈を外したらそれは井戸ではなく縦坑ですよね。無数に掘られた縦坑に横坑の存在。

でもそんなことはどうでもいいのです。作者のデレク・ハートフィールドは、取材で他の作品のストーリーの矛盾を突かれてもこう問い返します。

「宇宙でどんな風に時が流れるか知ってるかい?」とデレク

「そんなこと分かるわけ無いじゃないじゃないですか」記者

「誰もが知っていることを書いて、いったい何の意味がある?」デレクは返します。

 

そして宇宙を彷徨う青年。

青年はまるで七つの海を越え、七つの砂漠を越え、七つの山を越えてきたようなような漂泊のイメージを感じます。これが、宇宙船で火星に不時着した青年、となるとずい分とイメージが異なります。

あるいは青年は灼熱の太陽の下の砂漠のど真ん中で、遠ざかる意識の中で、夢とも意識ともつかない自問自答をしているのかもしれません。

井戸の中へ深く下りるにつれ、不思議な力に包まれたのは、意識から無意識の状態へ落ちていったのでしょうか。

もしくは断食で混濁した意識や、深い心の淵の闇に落ちた状態を示唆しているのでしょうか。

 

宇宙を彷徨う青年は断食芸人でもあるのですね。

 

Likeの世界にDislikeを持ち込のは、良い選択ではなさそうです。