Toujours beaucoup

いつまでもたくさん

『百年の孤独』

長い月日が流れて銃殺隊の前に立つはめになったとき、おそらく大佐は、父親のお供で始めて氷というものを見た、あの遠い日の午後を思い出したに違いない。

 

百年の孤独」 ガルシア マルケス

 

 1982年にノーベル文学賞を受賞したコロンビアの作家、ガルシア マルケス

口承伝説の呪術や魔法のように非現実的な世界が、熱風が怒涛のように荒れ狂う南米のサッカースタジアムのように、そして百年の業という川の氾濫のように描かれている。そしてジプシーが羊皮紙に記した予言通り世界は滅びる。

魔術的リアリズムの世界」と称されているけど、付け加えるなら「錬金術によって作りだされたような魔術的リアリズムの世界」だと思う。

 

そしてフレイザーの「金枝篇」へつながる、横坑があるような気がしてならない。

ウィリアム・ターナーの一枚の絵。
そこに描かれた金色に輝く樹。
それはネミの森と湖のシンボルだった。
その金枝が女神ディアーナ(ダイアナ)に守られている。
この一本の枝をめぐる森の王とその殺害の物語。
この金枝からジェームズ・フレイザー
あの壮大な想像的編集が始まった。

1199夜『初版 金枝篇』ジェームズ・フレイザー|松岡正剛の千夜千冊

 

 

重ねて引用させていただくが、フレイザーはまさに錬金術師そのもののようだ。

 

フレイザーが見せた目眩く想像的編集とは、それを一言でいえば「観念連合」というものだ。古代人の観念のなかに入りこんで、そのままその観念に感染し、次々に推理の翼をもって時空に舞い上がる。そして降りてくる。また舞い上がる。ときには地下深くに潜行する。そしてまた息を吹き返す。そのつど、バラバラな現象が観念の力によってくっついていく。まさに観念連合技法というものだ。もうちょっとべつの言葉でいえば「類感」だ。「類が類を呼ぶ」という方法だ。

 フレイザーがこのような方法を採ったのは、古代人自身がそのような「類感呪術」をもって世界を眺め、その類感呪術のしからしむるところを知識とし、そして類感呪術をもって古代社会の原始ルールをつくっていたと確信したからだった。

 だから、ただ連想するのではない。古代連想ゲームに遊んだわけではない。そこに観念と観念がくっつきあう「古代人の知」の法則を発見していった。そこにひそむ「糊代」(のりしろ)を見いだしていった。

 しかし、こんな方法は現代の学問研究では認められるわけがない。したがって、のちのちのことになるが、19世紀末のフレイザーの方法は歴史学や人類学の実証的方法に照らしあわされて、さんざん酷評されることになった。「肘掛け椅子に座ったままの人類学者」ともからかわれた。

 

ドストエフスキー、トルストリィ、ゲーテ、そして戦前の日本の文豪たち。

彼らはあたかも呪術のように読み手を物語の中へ引き込んでしまう。

まるで本物の錬金術を知っているかのように。