Toujours beaucoup

いつまでもたくさん

SEKAI NO OWARIとハードボイルドワンダーランド

たまたま聞いた年末のFM番組に「世界の終わり」というバンドが出てきた。

セカイノオワリだって?

それじゃ「世界の終わりとワンダーバンド」になっちゃうよ!

1985年に刊行された村上春樹さんの小説を思い出した。

「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」

幻想的な二つの世界が同時進行する。

「The end of the world」 スキータ・ディビス(1962年)をエピローグに、やみくろが支配する「ハードボイルド」という世界と、影に支配される「世界の終わり」という世界がパラレルに進行して行く。そして「Hard Rain」ボブ・デュランの鳴り響く中たどり着いた先は「世界の終わり」だった。

 

SEKAI NO OWARI セカオワ

彼らは夜空にそっと現われる星のように、希望を信じるものたちが点と点をつなぐように出会い、それが星座になるように、2010年インディーズデビュー。翌2011年メジャーデビューそして2014年やっと僕の耳に届いた。

テレビも観ないしラジオも聞かない。意識して取りに行かない限り、インターネットでは偶然の新しい音楽との出会いは少ない。

邂逅ともいえる出会いでFMで聞いたセカオワの「ドラゴンナイト」は、ちょっと「青臭い理想の世界観」が強すぎて拒絶反応が出た。でも耳に残る何かがあった。

ちょっとした骨太さと三島由紀夫の言葉を借りるなら「尾を曳いて夜空に没した星」のようなイメージを感じた。

 

気になってPVをYoutubeで観た。セカオワMixを簡単に観る事が出来る。

そこは夜空の下の幻想的な世界が続いていた。ピエロや擬人化したような動物達に、機械化した人間たちが奏でる世界の終わり。ルイス・キャロルそして太宰治の描く世界のようでもある。

決して悲観せず愛と平和を願い続けるような歌詞はシンプルで力強い。

 

 メンバーには、15歳の時に襲いかかってきた父親を母親が刺し違えたり、兄弟のために盗みを働く必要があったようなタフな過去はないだろう。

でも絶対に叶うと信じて自分達の音楽のために全てを捧げてからは、充分にタフな人生を送ってきたのはその顔からも窺い知れる。

 

ひとりをのぞき「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」が刊行された1985年に生まれ、タフで不安だけど信じるしかない道を歩んできた、彼らの行き着いた先がまさに世界の終わりだったのが、「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」のストーリーのようで、デジャヴのような不思議なつながりを感じた。