Toujours beaucoup

いつまでもたくさん

純粋な労働

起業するまでの準備期間の1年ほど舗装屋でお世話になっていた。

会社員時代の下請けさんで、色々良くしてもらっていた縁もあってお願いした。
バイトなのに破格の待遇で、もちろんバブル後とはいえまだまだ儲かっていた時代なのもあるだろうけど、今より高収入だった。仕事はキツいけど楽しいし、ガテン系の仕事は何よりも「労働した」という純粋な充足感が大きい。だからもう、別に起業なんかしなくてもいいじゃんね?なんて思ったりもしたし、バイト先もそのまま居座って欲しかったんじゃないかな。
現場の帰りは酒屋に寄りながら(みんな酒屋コンシェルジュである!)宴会状態で帰ってくる。運転手は飲んでませんよ当然。つまりサス屋のHさんみたいなノリの人ばかりなのである(笑)
給料日は事務所に戻ると社長が出迎えてくれて、まずはビールを渡してくれる。
飲みやがれ馬鹿野郎ども!
そんな感じである。そして給料を手渡しで渡してくれる。その毎月の一連の儀式のような手順は、単純な事だけど嬉しいもんである。
ただ残念な事に、そこは真面目で馬鹿正直すぎて、元請けにいいように使われて、最終的には色んな不運もあり解散していまった。元請けなんか良い事言っていても所詮はサラリーマンだからね。犠牲を払ってまでは護ってはくれない。
だが世間はそういうものである。
 
冬の早朝に事務所に行くと、イタリアの広場みたいなとこてでのフォルテッシモな焚き火が出迎えてくれる。火の番人はもちろん社長である。
 
火は血を燃やす。
 
顔や前面はちんちんで(三河弁でド熱い)、背中はドサブイ冬の朝の様式美。
 
脳幹まで凍りそうな冷た朝にはそんな事を思い出す。