Toujours beaucoup

いつまでもたくさん

Fuckin’ Perfect

見学の時間まではまだ時間がある。駅前の沖縄料理屋に入った。

 少年時代を過ごした懐かしい沖縄そばの味。夏の暑い日だった。娘がこれから見学に行く高校に通うようになって、またここに来る機会があればと思った。お酒もある。
 
 娘の高校受験にあたり候補のある学校を見学してきた。電車を乗り継いで行かなければならない遠方の学校で、通学には大変な労力を要する。単純に1日24時間の内4時間は通学に費やさなければならないわけだ。そこまでして行く意味があるかどうかだ。偏差値とかではない。
 
 自身を振り返ってみると、自主性を重んじてくれたのか、はたまた放ったらかしだったのか全て自分で選択してきた。とはいっても10代の浅はかな選択だ。完全に偏差値だけで選択した。言い換えると入れるところに入っただけの話だ。だが結果として、大学の選択が今の自分を決めることになった。大学内で学んだ事ではない。それが良い選択だったのか、そうでなかったのかは今となってはどうでも良いことだ。時計の針は戻せない。
 ただ今となって感じるのは、親として見守りながら、良くも悪くも人生の経験者として、ささやかなアドバイスは与えたいということだ。

 見学は有意義なものだった。娘も随分インスパイヤされたようだし僕も驚いた。僕の高校生活はいったい何だったんだろう。我が母校も見学した高校にも見劣りしない歴史がある。だが学校と周囲の街が放つオーラのようなものの次元が違い過ぎる。街が学校を育て、学校が街を育てる相乗効果を産んでいく。そしてそこを巣立った学生達は学力だけでなく、人間力も備えているのだろう。
 僕が当時都心の大学に進学して感じたのは、自分はなんともスケールの小さい田舎者だということだ。田舎の二流高校での小さく閉ざされた世界というものは、そういった人間しか育たないということだろう。もちろん僕自身の問題も大きいのかもしれないが、同窓会等に出席しても皆の伸びしろの少なさを痛感した。もっとも、伸びしろの少ない人間だから好んで同窓会に出るのかもしれないが。

 その見学会は在校生を中心に進行された。先生は時折りフォローするだけだ。司会進行の自己紹介を聞いて初めて在校生の3年だと知り驚いた。僕はてっきり若手の先生かと思ったくらいだ。私服が90%。ヘアカラー、ピアス、メイクも見られるが、全く気に障らない程度。生徒の自主性に任されているようで、非公式ではあるが先生にはこう聞いた。
「自分の責任は自分でとってもらいます。学校は責任とりません」
 部活動も全国大会に普通に出場しているようだ。もともと質の良い人間がそろっているから、自主性に委ねさせ、文武両道も成り立つ面が大きいのだろうが、やはり積み上げてきた校風による効果も大きいだろう。
 見学に来ていた他の中3の生徒達はどれここれも似たようなものだ。田舎の中学、都会の中学。公立中学、お金持ち中学。制服が違うだけで、顔つきは似たりよったりのティーンたちだ。それが1、2年後にはその高校の在校生たちのような顔つきに育つのかと思うと興味深い。我街の高校生(兄の高二の含めて)たちは、僕が感じたビハインド感を卒業後に感じるのかもしれない。


P!nk - F**kin' Perfect (日本語歌詞付き - Japanese lyrics) - YouTube

 もちろんどん底から這い上がる者もいる。ただそれは蜘蛛の糸のようなもので、自ら上り詰められるものは極めて限られるだろう。法律で定められている機会の均等は、現実的には実現不可能であるから、親としてそれを出来るだけ提供してあげたい。もちろん経済力もあるし、能力を見極めることも大切だが。
 自主性を育むためのアシストをするイメージだ。電動アシスト自転車程度で、親が駆動力になって子供を動かしてはいけないと思う。